夢想アポロジー


冷蔵庫を開けて中を覗いて閉める。また開けて、覗いて、閉める。
何度繰り返してもあるものがあるし、無いものは無い。


「兄さん何してるの?」


通りかかった雪男が首をかしげる。
振り返った燐は涙目で、雪男は吃驚して目を見開いた。


「どうしたの!?」


思わず駆け寄って燐の肩をつかむ。
行為の最中以外では普段泣かないような兄だ、よっぽどの事があったに違いない。
誰かの所為だったら即刻殺すとまで決意しながら雪男は燐の事を抱きしめた。


「ねえんだ…」


小さく、燐が呟く。
よっぽどショックだったらしい、可哀想に。
雪男は優しい声で応えることにした。少しでも慰められればいいと思いながら。


「何が?」

「アイスが無いんだ!」

「へ、アイス?」


予想外の方向に話が進み、間抜けな声が出た。
アイスに怒りはぶつけられないので、とりあえず志摩あたりにぶつけようと思った。
迷惑極まりない話ではあるが、そのことに突っ込む人間は居なかった。


(…ってあれ、アイス…?)


と、雪男は少し自分に心辺りがあることを思い出した。


「ああ、わざわざ並んで買ったやつで…くそっ悪魔が喰ったのか!?」

「………兄さん」

「なんだ?っていうか雪男、暑苦しいから離せ」

「だが断る。ねえ兄さん、そのアイスってバニラ味のやつ?」

「お前知ってるのか?そうだよ、カップに入ってて…」


予想は的中した。
しかも、雪男にとって都合の悪い方向に。
黙っておこうと思ったが、良くも悪くも食べ物に関しては鋭い兄である。
急に黙りこくった雪男をみて、サッと顔色を変えた。


「まさかお前、食べたのか?」

「えー……っと…、……ごめんなさい」


どん、と突き飛ばされた。
それもかなり強めの力だったので、背中から調理台にぶつかる。痛い。
背中を擦って体制を建て直しかけた雪男に第二段として横からのパンチが向かうが、そこは流石にガードした。
しかし、反動で飛んだメガネが床に落ち、拾う前に上から踏まれた。
ぷちん、と何かが頭の中で切れた。


「なにすんだよ兄さん!」

「それはこっちの台詞だホクロメガネ!お前、俺がどんなに楽しみしてたか知らねえだろ!嫌がらせのようにどっかのメガネが出しやがった課題片付けたら食べようと思ってすっげー頑張ったのによ!!馬鹿、アホ、死ね、悪魔、人間のすることじゃねえー!」

「悪魔はお前だろ!それに課題が出るのは兄さんがちゃんと勉強しないからだ!授業中も当たり前の様に寝やがってどういうつもりだよ、こっちは寝不足になりながら分かりやすい授業を考えてるのにね!大体課題だって殆どできてなかっただろう!?それでアイス食べようっていうのが甘いんだ!分かんないもんは仕方ないじゃなくてさ、少しは努力のかけらでも見せて欲しいよ…炎のことだって今みたいに感情に任せてるから隠すのだって失敗するしさ!神父さんや僕の苦労を少しは考えろ!そんなんじゃ」


あ、まずい。と、雪男は思ったが、口は止まらなかった。


「そんなんじゃ、いつか本当に悪魔になって、殺されるぞ!」


燐が雷に打たれたように表情を無くす。
見開かれた目が決壊していくのがスローモーションに写った。


「え、と兄さん…その…」


撤回しようと兄に手を伸ばしたが、すばやく弾かれた。
その行為一つで自分をどこまでも責め立てられる気がする。

激しく後悔に打たれる雪男を、燐がキッと睨む。


「雪男なんか…っ」


最後まで言う事はできず、燐は呆然とする雪男の横を駆けて行った。

そのまま部屋のベッドに沈み込んで、枕を涙で濡らす。
使い魔の猫がなにやら言ったが、答える気分にはなれない。


「もう、知らねー…」


そしてそのまま、燐は泣き疲れて眠ってしまったのであった。



***



気付いたら、知らない場所にいた。
懐かしいような、優しい気持ちになれる場所。

燐は辺りを見回して、ゆっくり歩き始めた。
家、電柱、標識。
通り過ぎる野良猫、道端の花。
そして。

ぴたり、とその前で足を止めた。

自分が生まれ育った教会。
ただ、記憶とは少し違う。


「なんか、新しいよーな…」


敷地内に入ろうとして少し躊躇したが、確実にここは自分の家なのだからと思い直して教会の門を潜った。
思ったように少しばかり新しい教会だった。分かったのは中学生時代に壊した窓なんかが無事であるから。
恐らくはまだ、自分が小学生だった頃。


(俺、夢みてんのか)


だとしたら、なぜ。
疑問は沸いたが、不思議と醒めて欲しいとは思わなかった。
少なくとも、幸せな記憶なのだ。幸せは長いほうがいい。

背丈も恐らく見た目も、今の高校生の自分だから、教会の中には入るべきではないだろう。
自分がこの夢を見ている理由は他にある。漠然に自然に当然にそう感じて、燐は裏庭の方にまわる。
昔遊んでいた遊具があって、懐かしい。


「…悪魔」

「あぁ?」


不本意な言葉を言われて、苛立ちと共に振り返ったら、そこにいたのは意外にも小さな男の子だった。
燐の迫力に気圧されて肩を震わせる彼は見た限り小学生で、丁度この時の自分と同じような…と、いうより


「って雪男か、お前」

「な、なんで悪魔が僕の名前知ってるの」

「悪魔じゃねーよ…あ、いやそうでもねー…わけねえ!」

「…どっち?お兄さん馬鹿なの?」

「ば、馬鹿っておま…」


小さいながらも相変わらずな弟に思わず言葉を失う。

生意気だの兄貴を馬鹿にするなだの、いつもと同じ文句が口を突きかけるが、いくら癪に障ると言っても小学生である。ムキになる方が馬鹿だと少し大人になりながらグッとこらえた。
生意気はともかく、兄貴であると名乗るのは夢でも不適当だろうと、燐はその頭で考えた。だとするならば。


「俺には志摩って名前がちゃんとあんだよ」

「志摩?」

「おう」


…ちゃんとあるのは奥村燐というのだが。

小さい雪男は志摩というその年上の青年をまじまじと見る。
そういえば悪魔と言っていたのだから、既に雪男は祓魔師を目指している事で、今の自分と同じ授業を受けているということなのだと気がつく。


(やっぱりすげーよな)


自慢の弟。

教師と生徒だったり、祓魔師としての先輩と後輩であったり、恋人であったりする今の関係でもなお、やはり雪男はその位置に居る。
ただ、少しばかり雪男は不服らしいので言うことは無いが。

ようやく燐を安全だと認識した雪男が警戒心を外し、志摩さん、と燐を呼んだ。
名前は名乗らなくても苗字位は言っておくべきだったかなと後悔。


「ん?」

「なんで修道院に来たの?」

「あー…」


考えていなかったことだ。気がついたら居ました、などとは言えない。


「散歩だ散歩」

「さんぽ?」

「修道院って誰でも入っていいんだろ?」

「そうだけど…うん、まあいいや。じゃあ次」

「まだあるのか」

「当たり前でしょ」


当たり前らしかった。
どうも馬鹿にされているのは気のせいだと燐は自分に言い聞かせる。


「なんで僕のこと知ってるの?」

「そりゃー…ほら、有名だから」

「え?」

「ジジ…聖騎士の息子だろ、お前」

「ああ」

「分かったか?」

「うん。じゃあ志摩さんは祓魔師なんだ」

「……ああ」


否定するのもおかしかったので肯定はしてみたが、微妙な気持ちになる。
バレはしないだろうが、弟に嘘を吐くのは慣れていない。


「志摩さんみたいな人でもなれるんだ」

「どういう意味だおい…つーか、俺も質問していいか?」

「いいよ」


雪男の性格を考えると更に質問を重ねてくるし、恐らくそれは先ほどの質問以上に燐にとっては痛いこと。
先手必勝といわんばかりに(既に先手は打たれているのだが)、燐は嬉々として質問した。




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