望月

『な、雪男!みてみろよ!』
『本当、綺麗だね』
『お前本気で思ってるのか?』
『もちろん、感動してるし、教えてくれた兄さんにも感謝してる』
『なら良いんけどよ』
『ねえ兄さん』
『ん?』




パタパタと、廊下を駆ける音。
一拍止んで。
勢いよく燐が飛び込んできた。

「雪男、大変だ!!」

「そう、僕は忙しいよ」

「仕事どころじゃねーよ!」


振り向く事もせず、机に向かい続ける雪男の腕が、後ろから伸びた両手に捕まれる。
わ、と小さく声を上げたのもつかの間。
そのまま文字通りズルズルと引きずられてあっという間に廊下へ出る。
華奢な体に似合わず力がある燐に、観念した雪男は、逃げないからと自分で歩かせて貰う事を要求した。
さすがにこのまま階段に突入したら困る。


「ふん、観念したか」


胸を張る燐。


「観念しましたお兄様」

「俺に叶わないか」

「頭の短絡さでは叶いません」

「………うっ」

「え、兄さん泣かないでよ」

「嘘だばか」

「はあ…よかった、兄さんに泣かれたら僕困るから」

「恥ずかしい事言うなばか」

(ああ今日も兄さん可愛いなあ)

「ニヤニヤすんなばか気持ち悪い」


…最後は聞かなかった事にした。

雪男は引っ張られた衣服を整えて、兄に尋ねる。


「それで、どうしたの」

「あ、そうだった!来い、雪男」


再び燐はすごい勢いで歩き出した。慌ててそれを追う。
着いた先は寮の庭だった。
時刻は20時、日も落ちて完全に夜。
燐は天を指差した。


「あれ」

「…月?」

「おう、綺麗だろ」

「そうだね」


ハッとする程綺麗だった。
金色のその姿の堂々たるや、文句の付けようがなく。綺麗なものは綺麗であると言う事を体言した様な満月だった。


「…"月が綺麗ですね"」

「え?」


雪男は思わず燐を見た。いつの間にか、燐も雪男を見ていた。


「兄さん、」


その言葉の意味を、知っているのか。
聞こうとしたが、燐が遮ったために叶わなかった。


「昔お前言ってたの思い出してさ、どういう意味なのかなって」

「…ああ」


確かに、兄の性格を考えると、意味を知った上で言うのは考えにくい。
少し落胆したが、それでも、雪男にとっては意味のある言葉だった。


「I love you.」

「!?なんだいきなり!」

「意味だよ」

「何の!」

「"月が綺麗ですね"」

「……え…っと」


意味と、先程の自分の発言を繋ぎ合わせて、みるみるうちに頬が紅潮していく燐。
雪男は追い打ちをかける様に言った。


「嬉しいなあ、兄さんが言ってくれるなんて」

「いや、あれは意味を知らなかったしな…!」

「否定するんだ?」

「し、しねーよ!」


墓穴を掘って、うわあとついにはしゃがんでしまった。
辛抱堪らなくなった雪男は人目が無いのを確認してからそっと、抱きしめる。


「兄さん」

「…なんだよ」

「"本当に、綺麗ですね"」


答えは無かったが、ゆっくりと預けられる体重が心地好かった。

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