燐、15歳、××してます

 「あなたにぴったりの部屋がありますよ」

 と、直属の上司が差し出したのは、アニメのキーアイテムを模したグッズだった。なぜわかるかというと目の前の男に丸一日拉致監禁され一斉放送とやらにつき合わされたためだ。
 僕と彼の間に微妙な空気が流れる。失礼、と咳払いをして彼はそれを仕舞い、今度こそ取り出したのは家の鍵。銀色の、キーホールだ―もついていないどこにでもある鍵。僕はそれを一種の覚悟を持って受け取った。
 それが三ヶ月前のことで、本当はすぐにでもその家に引っ越したかったのだが(何せ事は一刻を争うのだから)、天才だとか最年少だとか言われる僕が引っ越しをして更に少しゆっくりできるだけの休みを手に入れるにはそれほどの時間が必要だった。それにしても天才はともかく最年少はそろそろやめて欲しい。もう三十路も見えてきて後輩も部下も居るのに最年少、だなんて。
 かくして、六月の雨降りの中、僕は段ボール2つに詰めた少ない荷物と、布団と、テーブルと、小さい棚と、ラジオを持って引っ越し先のマンションにやってきた。フェレス郷が所有しているらしいここは、外観がどぎついピンク(いわゆるメフィストピンクとかいうあれ)一色だったので住人は変わり者なのかなと心配になった。しかし、エレベーターで一緒になったおばあちゃんや小さい女の子が挨拶をしてくれたから、きっといい人ばかりなんだと思う。安心した。

 僕の部屋は602号室で、最上階の角部屋だった。一番いい部屋だと聞いている。鍵を開けて中をうかがえばコンクリート打ちっ放しの広い一室が短い廊下の向こうに見えた。よかった、中はピンク色じゃない。なにせロビーからエレベーター、フロアの廊下に至るまできっちりきれいにまぶしいピンクだったから、ほっと胸をなで下ろした。騎士団から借りた台車を我が新居の玄関に入れて、僕の引っ越しのうち、荷物の運び込みは終わる。あとはこれを適当におけば僕の部屋ができあがって、引っ越し完了、となる。
 ラジオを適当なチャンネルに回してBGM代わりにしながら、片づけを開始する。流れてくるのは流行りドラマの主題歌らしい。ここのところ良く聞く。しかし僕の持ち物にはテレビが無いから、僕はこのドラマが面白いのかつまらないのかを知らない。適当に鼻歌を歌いながら段ボールの中身を片付けていた。段ボールの中身の大体は祓魔師関係のものと本だ。半日とかからないだろう。蕎麦を買いに行こうかな、と思ったが、天気予報によると今日は一日中雨らしい。明日からしばらくは晴れの予報。ちなみに昨日までは結構晴れていた。ふざけんな。
 お便りのコーナーで読まれたメールは29歳の男性のものだった。結婚したいそうだ。同い年ながら僕はその気持ちがわからない。しかし彼の理想はずいぶん高くて、パーソナリティーは理想を低く持てとアドバイスしていた。その通り。家庭的で自分を養ってくれる人、なんてヒモ宣言、捨てるべきだ。大きく頷きながら薬品を棚にしまっていたら、後ろから声がした。

 「なあ、この本ってどこの棚に置いておくんだ?」
 「本は枕元に積むから棚には入れなくていい、よ……?」
 「はあ?それ地震来たらあぶねーだろ!ちゃんと棚しまえよ!」

 僕は見知らぬ少年に怒鳴られながら持っていた薬品の瓶を手から落としてしまった。は、と足下を見る。瓶は今にも床にぶつかって中身を飛ばしてしまいそうだ。幸いにも中身は人体に影響はない。と、思っていたらすっと白い腕が伸びた。先ほどの少年がスライディングしながら飛び込んできたらしい。

 そして、瓶は少年の手のひらを突き抜けて、床にぶつかってその中身をぶちまけた。
 いろんな意味で衝撃的で、すこし眩暈がしたのは気のせいじゃない。はず。



***



 僕らはテーブルを挟んで正座して向かい合っていた。

 「燐、15歳、幽霊してます」
 「………雪男です、29歳で祓魔師してます…」
 「雪男だな!元気ねーぞ大丈夫か?」
 「気にしないで燐くん」

 瓶が燐くんの手をすり抜けて床に激突した直後、案の上液体は僕の足下にぶちまけられた。
 薬品なんて二の次で、とにかく燐くんに向かって「誰?」と連呼する僕に、「その話は後だ」と燐くんは一点張りで雑巾で僕の足下を拭いていた。僕は紺色の頭をぼんやり眺めていた。そのうち燐くんが濡れてしまった僕のズボンを脱がせようとしてきたので慌てて自分でやると言って風呂場に逃げた。
 浴びてこい、と燐くんが勝手に取り出した下着とズボンとTシャツを風呂場に投げてきたからついでにシャワーも浴びて、僕が着替えて返ってきたら、割れた瓶の欠片がテーブルの上にあってその他は元通り…どころか段ボールに入っていたものはすべてきれいに片づいていた。しかし、整理整頓が行き届いた部屋とは対照的に僕の脳内はごちゃごちゃの散らかり放題だ。
 燐くんはとても普通にコップと、麦茶の入った容器を持って尋ねてくる。

 「適当に片づけちゃったからあとで不便なとこ変えとけよ」
 「あ、うん」
 「麦茶でいいか?」
 「うん」
 「ほい」
 「ありがとう」

 テーブルの上に置かれた麦茶はよく冷えていて、シャワーで火照った体にはちょうどいい。僕は一気に飲み干し、勢いよくグラスを置いた。

 「…で、君は誰だ!!!!」

 我ながらよく耐えた方だと思う。


 
 燐くんは幽霊だそうだ。ぶっ飛んでいる。しかし幽霊にしては昼間から元気でフレンドリーだ。そう言うと最近では彼のような幽霊は多いと返ってきた。

 「さっきお前がエレベーターで一緒だったトヨさんとマチコちゃんもそうだろ?」

 ぶっ飛んでいる。
 聞くとこのマンションの住人はみんな幽霊らしい。騎士団の祓魔対象にはならないが、住み着く家が見つからないホームレスみたいな幽霊の為にフェレス郷が部屋を貸しているのだという。あの悪魔、ぶっとばしてやりたい。

 「だからここ、雪男の部屋でもあるけど俺の部屋でもあるからさ、同居人ってことで」

 燐くんはにこにこと笑っている。さっきからずっと彼は笑っていた。幽霊は現世に強い未練があってできるものだと教わったし、実際僕が見てきた幽霊はその例に漏れる事無く未練たらたらで、こんなに人間ばなれして爽やかな彼が幽霊なわけがない。しかし僕がさっきすり抜ける瓶を見たように彼には実体が無く、それは教わった幽霊そのものだった。
 それにしても、幽霊と同居、とはフェレス卿の無茶ぶりもここまでくれば暴力じゃないだろうか。と、僕はため息混じりに、燐くんに応える。

 「…よろしく」
 「おうっ」

 しかしなんとなく、まるで経験したみたいに、燐くんとはうまくやっていけるんじゃないかと、確信にも似た予感を僕は持っていた。
 燐くんが相変わらずの笑顔で手を差し出す。握手、と付け加えられたので僕も手を伸ばした。
 そうしてすり抜ける腕を見て、僕はちょっと笑った。燐くんも笑った。

 「へへっ」
 「どうしたの」
 「雪男タイプかも」
 「…は?」

 僕は笑うのをやめた。

 「仲良くしようなっ」

 笑えない。

 「俺のこと一目惚れさせたんだから覚悟しろよ?」

 笑えねえよ。
 幽霊に一目惚れされるとか笑えねえよ!!

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