従者×若君

*従者雪×若君燐パロ
*中途半端です




 ゆらり、と宙が青く煌めき、一つの人型が暗闇の中をはねる。しなやかに、力強く、全身に美しい青の炎を纏った彼がその白く細い手に握った刀を一振りすれば、青い炎が閃光の様に曲線を描き、瞬き、そして淡く闇ににじんで、周囲のあらゆる物がひれ伏すように無に還っていく。
 そうして、最後に残ったのはたった一人、少年のみで、彼は刀を鞘に仕舞うと短く一息ついて、疲れた様に目を閉じて、少年は耳を澄ませる。
 シン、と静まった暗闇の、その向こう側で男がクスリと笑った。
 瞬間、彼はありったけの力でその向こう側に向かって刀を振るい、青い炎が刃と成って暗闇に突き刺さった。途端、ピシッと音がしてバラバラとガラスが割れるように暗闇が崩れていく。代わりに現れたのは豪華絢爛を尽くした広い広い屋敷の玄関だった。天井にはシャンデリアがきらめき、壁際に飾られる調度品の一つ一つが名前を持ち、足元の大理石が美しい。そんな見慣れた光景を確認すると、少年ーー燐はようやく刀を鞘に納めた。彼がまとっていた炎も鞘にしまわれるように霧散して、長く伸びていた耳も人間のように小さく、少しだけ先が尖った形に収まる。
 
 「お見事です、燐様」

 低めのテノールの声が響き、ブーツの音高く歩いて来た男を燐は忌々しげに睨んだ。燐は、彼が嫌いだ。
 第一に、顔がよく、翡翠色の目は黒縁のメガネで飾られ、短めの整った髪は清潔を印象づけ、コンプレックスだと言う顔のほくろも端正な顔立ちを邪魔する事なく、浮かべた優しげな笑みは女性たちを虜にするだろう。
 さらに、燐よりも背が高く、こうして向かい合えば自然と主人であるはずの燐が見上げ、男が見下ろす構図にしまうほどで。
 そして、燐の教育係をつとめ、男が仕え始めた当初、一度だけそれが気に喰わないと1メートル以上の距離に居るように命令したことがあるが、一時間もしないうちに男の策によって撤回せざるを得なくなった、というエピソードがあるほど、頭がいい。
 従者のくせに、従者のくせに、従者のくせに!彼と出会ってから、燐がそう悪態を付いた数は知れず。

 「あれほどの数を一瞬で無に返してしまうとは…さすが、若君であらせられますね」
 「…お前の幻術くらい屁でもねーんだよ、つまらなすぎて欠伸が出ちまう」
 「そうですか、では燐様が退屈なさらないように次はもっと抜け出すのが困難な物を造り上げましょう」
 「………」
 「燐様、いかが致しましたか?」

 ああ、イヤになる。彼は全部全部判って言っているのだ。燐は、本当は彼が作り出した幻術に抜け出すのにわざわざ剣を抜かなければいけないほど苦戦していた。ただそれを認めるのが嫌で強がって言ってみただけなのだ。
 燐が男を嫌う要因の最後は、"従者のくせに”彼は皮肉を交えて燐と接することだった。
 今まで燐に使えてきた悪魔たちの様に思ってもいない褒め言葉を並べ立てることが良いとは思わないが、しかし、もう少し控えめでもいいんじゃないだろうか。
 この、雪男と言う男は、もう少し燐を主人らしく暑かったっていいんじゃないだろうか。
 だが、残念なことにこれらを口にすれば雪男は論を並べ立て否定をするだろうから、燐は舌打ちをするだけにして、雪男に背を向けて屋敷の奥に戻ろうとした。すかさず雪男が声をかける。

 「お勉強の続きですか?」
 「んな退屈なことするか、昼寝だ昼寝、付いてくるんじゃねーぞ」
 「一時間後にお迎えにあがります」
 「ほっとけよ」
 「私は燐様にお勉強をなさっていただかなくてはなりません」
 「知らねえ、俺の寝室入ってきたら燃やすからな」

 そう言って燐は海色の瞳で雪男を一睨みすると、早足で屋敷の奥、寝室の方へ消えていった。後ろ姿を見つめる雪男が深くため息を吐くのも構わなかった。


 燐が雪男と出会ったのは一週間前、記念すべき百人目の従者として迎えた時だった。燐に付く従者は皆、悪魔の中でも上流のいわゆる貴族の出身の優秀な者ばかりだったが、燐の無茶な要求や傲慢さの前ではその優秀さも雀の涙ほどで、長続きせず、更に燐は心というものに大変敏感で、彼らや彼らの家の者が燐の炎や父である青焔魔の力を利用しようと目論んでいることをすぐに察してわざと辞めていくようにし向けていた。

 「あのやろう!ムカつく!」

 自室にはいるなり、燐はふかふかのベッドに飛び込み、身を沈めた。キングサイズのそれは、物質界にある年の離れた異母兄弟のメフィストの屋敷にあった物を奪おうとして、メフィストから強引に新品を贈らせたオーダーメードのとても高いものらしいが、そんなことは燐の知ったことではない。
 燐の頭は悪い意味であの生意気な従者のことでいっぱいだった。
 燐なりに今日の勉強は頑張った方なのだ。いつもよりも長く机に向かったし、問題だって多く解いた。でも雪男が採点をしたらほとんどが間違っていて、嫌になったのだ。きっと雪男は勉強が好きなのだろうが、俺は違うのだと燐は叫んでやりたかった。が、あいにく雪男に口で勝てない。だから逃げた。結果は、雪男に捕まってしまったのだが。
 そして、あの皮肉めいたセリフ。
 不思議なことに、他の心に敏感な燐であっても、雪男の心は感じ取ることができない。だから、どうして燐を怒らせるような事をわざわざ言うのだろうかとかそういう事が全く判らないのだ。判らないことが、怖いのだと言うことを雪男にであって燐は初めて知った。同時に若君であるはずの自分が一介の従者に恐れを抱くという事実は燐のプライドを傷つける。
 思い出してまたイラッとしたのか尻尾がバシンバシンと布団を叩いた。コールタールが舞い上がり、それらをボールの様に尻尾でパタパタと落ちてきてはまた中にたたき上げる。

 「俺だって、わざと勉強できない訳じゃねーもん…なにも出来ない訳じゃねーもん…」

 枕に顔を埋めながらふるえる声でぶつぶつとつぶやくそれらを、もし雪男に向けたらどんな皮肉めいた言葉が返ってくるのだろうか。判らない。怖い。――なにが?
 
 「俺、なんであいつの何に怖がってんだろ」

 どうして、判らない事が怖いのだろうか。
 その難問を解く術は燐になく、考えつかれた燐はいつの間にか夢の世界に旅立っていた。



 部屋に誰かが入ってきたのを察知して、ゆっくりと意識を浮上する。眠っていたとしても燐の意識は常に外に向いていて、これは若君としての立場が自然とさせている事だった。狙われる命も多い。しかし、この屋敷には常に、燐の許可なくほかの悪魔が入ってこられないように強力な結界が張ってあるから、今、ここに入ってこられるのはたった一人だ。

 (あの野郎、入るなって言っただろーが…)

 頭まで毛布を被りながら燐は深くため息を付いた。狸寝入りをきめて、諦めて帰ってもらう事にしよう。勉強なんてまっぴらごめんだ。毛布は被ったままだしきっとうまくいく。意趣を晴らしてやろう――ため息が嫌な笑みに変わって、燐は耳をそばたてた。
 雪男は、なるべく足音を立てないように柔らかで分厚い絨毯の上を、寝室の入り口から燐が眠るベッドに近づいてきている。見えているはずがないのに、燐はキュッと目をきつく閉じた。…しかし。

 「若君」

 ゾクリ、と背筋が凍る。嫌な何かが重くのしかかってくるような感覚を覚えた。雪男は、燐を若君とは呼ばないし、聞こえた声はあの低いテノールではなかった。誰だ。こいつは。結界は。
 ドクドクと鳴る心臓を抑えながら、燐はベッドの傍に立てている愛刀に手を伸ばす。が、触れたのは刀ではなく、なま暖かい、悪魔の。

 「あああああああああああ!!!!!」

 絶叫し、ベッドから飛び起きると、悪魔とは反対側の床に体を転げ落とす。くつくつと笑い声が耳に付いた。かたかたと震える体をやはり震える手で抱きしめながら、ようやく確認した悪魔の姿は覚えがない者だった。

 「誰だっ…」
 「狸寝入りはいけませんよ、若君」
 「お前は、誰だ」
 「叫んでも誰にも聞こえません、この部屋全体に術をかけさせていただきましたから」
 「答えろ!!!!命令だ!!!」

 嫌な汗が全身から噴き出していた。両腕で自身を抱きしめながら、しかし、目だけは悪魔を捉え続けている。直感で、この悪魔の力が相当なものであることはわかった。肩で息をする燐をあざ笑うかのように悪魔はそっと燐に近づこうとする。

 「近づくな、そこで、答えろ」
 「かしこまりました――――わたくし、フルカロル様の命令で参りました」

 名前に覚えはなかったが、おそらく、燐は会ったことがあるのだろう。残念ながら燐の頭は多くの悪魔の名前を覚えられるほどちゃんと働いてはくれない。

 「お前の主人とやらは何をして欲しいんだ?」
 
 にやり、と悪魔が笑う。一段と寒気がした。

 「若君を我が家の者としたいのです」
 「そうか」

 平静を装いながらも燐は内心焦っていた。権力でどうにかなる事だったらよかったのだが、燐自身が狙いとなるとその頼みを聞き入れることは出来ない。しかし、抵抗しようにも刀は悪魔の側に置いているし、刀を抜かずに炎を操れるほど調子がよくない。ーーさっき、雪男の幻術を壊すのにかなり体力を使ってしまったのだ。

 (あいつならこういうとき口で上手く切り抜けるんだろうな)

 悔しいが、あの頭の良さを今だけは羨ましく思った。
 きっと、燐がここでこの悪魔の要求通りに彼の主人の元へ言っても、燐の父親にあたる青焔魔は認めないとすぐに取り戻しに手下を差し向けるのだろう。だから、着いていったとしても着いていかなかったとしても結果は同じだ。しかし、どうしてもこの要求に乗る事は出来ない。燐は、目の前の悪魔の目を見た瞬間にそれだけは理解していた。悪魔の目は、―それはおそらくこの状況を遠くでみている彼の主人のものなのだろうがー燐に対しての欲に染まっていたのだ。
 燐が持つ魔神の炎は悪魔を引きつけやすく、しかも燐は青焔魔と違ってまだ未熟な悪魔である。幼少からその身を狙われたことは数知れず、燐が悪魔の心に敏感であるのもその体質故だった。

 「断る、と言ったら?」
 「力付くでも―」
 「―――――っ」

 悪魔が、ベッドを越えて燐の間近まで一気にその距離を詰めた。燐はすぐさま後退するが、すぐそこまで背後に壁が迫っていた。万事休す、とこの前雪男から教わった言葉が頭をよぎる。きっと、こういう時に使うはずの言葉。ああ、彼なら、青焔魔の手の者によって連れ帰られた燐に、燐の知らない言葉を使って精一杯の皮肉を浴びせるのだろう。脱走に使ったから身の危険を感じても力が使えません、なんて恰好のネタじゃないか。
 くそ、と燐はあきらめて従う事を示すようにそっと目を閉じた。
 そのときである。

 「燐様、目は閉じたままにしていてくださいね」

 耳が捉えた声に、燐は緊張が解けていくのを感じた。悔しさすらも覚える安堵は、張りつめていた糸を切るように、燐を絨毯にしゃがみ込ませる。刹那、発砲音と悲鳴が聞こえ、そして凍てつくような風が吹き荒んだ。雪男の言う通りに、燐は目を閉じたままだったが、やがて室内が静かになったのを認めるとゆっくりと瞼を開いた。
 まず目に入ったのは傍らで燐に手を伸ばしながら倒れているあの悪魔で、燐はヒッと短い悲鳴を漏らす。

 「ご安心を、凍っております」
 「お前っ」

 声がした方を振り向けば、声の主である雪男は早足で燐の元に歩いてきていた。いつもきっちりとまとめられている前髪や、息が乱れていて、両手には装飾中が握られている。雪男が燐の目の前まで行き着くと、燐は自然と何を言われるのだろうかと身構えた。

 「――――申し訳ございませんでした」
 「え…」

 しかし、予想に反して雪男は燐の前にひざまずき、頭を垂れ、更に謝罪の言葉を口にした。燐はぱちぱちと瞬きして、雪男を凝視する。信じられなかった。雪男の口調には一切の嘘が含まれていないようで、本当に心から謝罪をしているかの様だったから。

 「なんで、謝るんだよ」
 「結界の綻びを察知出来ませんでしたし、燐様の御身を危険にさらしてしまいました。なによりも、ご命令に背いてしまいましたから」
 「めい、れい…?」

 ―――俺の寝室に入ってきたら燃やすからな

 「従者として失格です」
 「なんで、そんなに俺のこと」
 「僕は燐様の従者ですから」
 「どうせ、家や血筋の為だろ!?」

 そうだ、こいつだって、きっと。どんなに曇りない本心の様だったとしてもその裏には思惑がある。いつもそうだったじゃないか。
 燐は、伏せられたままの雪男の頭を騙されないぞと言わんばかりにぎりっと睨む。

 「……僕に身内はおりません」
 「じゃあなんだ、権力か?地位か?」
 「燐様の従者で居たいのです」
 「嘘だ…っ」
 「いいえ、僕はあなたを守るために、あなたに仕えるために、生きてきたのです………残念ながら、本日でそれもかなわなくなってしまいましたが」

 燐は信じられなかった。
 かつて、こんなにも燐の身を案じた者がいただろうか。皆、燐がおそわれれば燐の無事よりも己の保身に走ってばかりだったというのに。こんな悪魔が存在するのか。

 「…やめさせねーぞ」

 気付けば、そう宣言していた。え、と雪男が弾かれたように顔を上げ、そしてあわてて再び伏せていく。顔を上げろと言えばおそるおそるといった風に翡翠色の瞳が燐の顔を窺った。その様子がいつもの雪男と余りにかけ離れていて、ああなんだ、と燐は雪男を見直した。

 「その、お前が俺に仕えたいっていうなら別に…仕えさせてやらない事もない」
 「燐様…」
 「とりあえず、昼寝の続きがしたいから、別の部屋を用意しろ!」
 「客間であれば、今すぐお休みいただけます」

 そう応えた雪男が満面の笑みで、なぜか燐は恥ずかしさを覚えてふん、と立ち上がってすぐに客間の方へ歩こうとした。の、だが。

 「………」
 「いかがしましたか?」
 「…腰抜けた……」

 悔しそうな燐の言葉に雪男はやっぱり優しげに笑って、失礼します、と燐の背中と膝裏に腕を差し込んだ。あ、いやな予感、と燐が思ったのもつかの間、ふわりと浮き上がった体はいわゆるお姫様だっこ、という奴で。

 「おっおろせ!」
 「おろしたら燐様は客間まで行けませんよ」
 「じゃあこの体勢をやめろ!」
 「一番快適なものだと思ったのですが…いけませんか?」
 「……そーゆー、目…やめろ……」

 まるで、捨てられる子犬みたいな目。
 燐は観念して、仕返しのように雪男のベストを皺が付く暗い強く握ってやった。

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