Magical!
*某魔法小説パロ
*ハーリング=クィディ●チ
*呪文は破壊だったり呼出だったり
グツグツと穏やかな音を立てていた鍋の表面がボコボコとその音を変えるのにそう時間はかからず、マンドラコラの根を刻んでいた少年はその変化に気がつくや否や伏せろ!と大声を張り上げた。
次の瞬間、鍋の表面から蛍光緑の液体がドーム状に膨らんだかと思えば破裂し、液体が四方八方に飛び散る。
「おい燐!!!待て!!!」
「待てって言われて待つアホはいねえ!」
異臭と煙が未だ立ちこめる教室で、男と少年の怒鳴り声と放たれた閃光がが飛び交う。二人をのぞいたほかの生徒達は当たり前のようにローブで口をふさぎ、実に静かに煙が晴れるのを待つばかりだ。悲鳴など何もない。動くこともしない。巻き添えを喰らうのはまっぴらだ。五年もの間、少なくとも二週間に一度はこういうことが起こっていた。またか、と呟くのも億劫なほど。ちなみに今回は三週連続の三回目だ。
「しえみ、鍋の処理頼んだ!」
「はいはい」
「杜山さんたまには断ってええとおもうわ……おい奥村!鍋は寮に運んどいたるから自分で洗え!」
「それでも運んであげるんだから優しいわね」
「勝呂ついでに俺の分も提出しといて」
「断る」
「ですよねー!…ロンペレ!!!」
ガッシャーンと派手な音を立てて教室の後方の大きなガラス窓が割れる。ここはもはや城と言うべき学び舎の五階であるのだが、燐少年に高さは関係なかった。キャマーレ!ともう一声、呪文が聞こえたかと思えば箒にまたがった彼の姿が、割れたガラス窓から見える南塔の後に消えていくのが見える。
煙と異臭が薄くなった教室で、男ー藤本獅郎がため息混じりに告げた。
「勝呂、奥村に今回のレポートを二枚で提出と伝えておけ」
「はい」
「瓶にできた薬は詰めて教卓に提出、提出が終わった奴から帰っていい」
獅郎がそう宣言するのと同時に、高らかに授業の終わりを告げるチャイムが響いた。
正十字学園は世界有数の魔法学校である。十歳の頃から魔法使いを目指す子供達が寮生活で絆を結び、将来の魔法界を背負う一員になるべく日々切磋琢磨している学び舎で、学園の入学許可証が届けば両親はその子供を誇りとする。
奥村燐は正十字学園において良くも悪くも有名な生徒だ。良い面では魔術と箒の扱いに非常に優れており、人当たりのいい人気者の性格であること。悪い面ではそれ以外の勉強が全くできず、先ほどのような問題行動を頻繁に起こすということ。特に、獅郎が担当する週に一度の魔法薬学は大の苦手で、少なくとも二週に一度は薬鍋を爆発させ、あのような逃走劇を繰り広げるのだ。そして、その度に特に燐と仲のいい友人の勝呂はその鍋を担いで寮に帰らなければならない。入学して五年、魔法薬学の授業がその日の一番最後にある理由は燐ではないかと、重たい薬鍋を抱えながら勝呂は考えたりする。ちなみに、かぶっていた蛍光緑は消してやった。
「今日も奥村君すごかったわあ」
勝呂の隣を笑いながら歩く志摩は、先ほどの燐を思い出してククッと喉を鳴らした。彼の手には自分の教科書以外に勝呂の教科書も抱えられている。
志摩に呆れ声で返したのは出雲だ。
「関心するところじゃないでしょ。あのバカ、五年生にもなって薬の一つも作れないどころか爆発させるなんて、恥ずかしい…」
「やなくて、あんな一瞬で箒呼んで南塔まで飛んでいくなんてすごない?惚れ惚れするわあ」
「そこ!?」
「だって奥村君の乗り方きれいやん?」
「まあ…そうだけど」
「やのにチェルカトーレやらないなんて本当もったいないわあ」
「あいつがチェルカトーレやったらうちの寮が優勝しますのに」
「子猫さんもそう思うやろ!?はーもったいない」
「その会話を現役のうちのチェルカトーレの前でできるあんた達もすごいわよ」
「かまわん、事実や」
出雲が二人分の鍋を持ったそのチェルカトーレを横目に言った。ざわざわと騒がしい廊下は、四色のローブを纏った子供達で埋まっている。赤、緑、青、黄。正十字学園には四つの寮があり、それぞれに特色と団結がある。勝呂、志摩、子猫丸、出雲、しえみ、そして燐は赤ーー獅子寮に所属し、一年生の頃から行動を共にしていた。
四つの寮は学校生活のありとあらゆる面で対抗するのだが、一番盛り上がりを見せるのがハーリングというスポーツで、特に花形のチェルカトーレという役割はあこがれの的である。現在獅子寮のシーカーは勝呂がつとめているが、勝呂自身を含む寮生のほとんどはチェルカトーレを燐につとめてもらいたいと思っている。しかし燐はその申し出を実に丁寧にかわしており、入学から五年間、ハーリングのフィールドに入ったことはない。
やがて一行は獅子寮の寮塔にたどり着いた。合い言葉を告げて中にはいると暖かな暖炉と寮生の笑い声が出迎えてくれた。
「また奥村の奴爆発させたのか?」
「せや。あいつ戻ってきとるよな?部屋か?」
「?いや、まだ戻って来てないと思うけど」
寮生のひとりがそう言うのを聞いて勝呂達は顔を見合わせる。獅郎が燐を追いかけることはあまりないが、燐は一番苦手な魔法薬学以外でも度々問題を起こしている。逃走中にそれらの教授に出くわし課題を押しつけられるのを避けるため、燐はすぐに寮に帰っているはずなのだ。南塔の地下から寮の近くへ秘密の通路が延びていることも彼は知っている。
「誰かに捕まったんやろか?」
「また逃げてうちの寮が減点されないといいけど」
「どっちにしろ夕食までには戻ってくるやろ」
とりあえず疲れた、と勝呂は重たい薬鍋を柔らかな絨毯に落とした。
結果から言って燐は教授に捕まることも、減点されることもしていなかった。ただ、人に出会った、という点で志摩の予想は正解だったと言える。
魔法薬学の教室からの鮮やかな逃走劇を終えた燐はいつも通り南塔のそばから寮近くまでの秘密の通路を使うために自分の手足とも言える箒を操り静かに着地した。正十字学園の東西南北には塔が建っており、中でも南塔の側は木々が美しい燐の好きな場所だ。手にしていた杖をローブに仕舞い、箒を小脇に抱えると日差しの降り注ぐ木々の隙間を早足で通り抜ける。勝呂は鍋を寮に運んでくれるだろうが、洗うことは手伝ってくれないだろう。できれば夕食前には終わらせたい。夜に水道を使って外出禁止時間に引っかかったことが何度かあるのだ。
燐が目指していたのは南塔の側の、昔の卒業生が建てた石碑だった。この石碑を杖で三回叩き呪文を唱えると秘密の通路の入り口が開く仕組みだ。燐に教えたものはなにも言わなかったが、燐は、この通路の入り口を作った者と石碑を建てた者は一緒じゃないかと思っている。
『…リ=………』
石碑の文字は掠れてしまって読めない。
石碑が見えてきた頃、燐は先客がいることに気がついた。石碑に寄りかかるようにして少年が一人、眠っていた。緑のローブを纏い、エンジ色の分厚い本を膝に載せて無防備な寝顔をさらしている。メガネの奥の目元と口元に並ぶ黒子が特徴的だ。
どうしたものか、と燐は困った。
石碑を杖で三回叩き呪文を唱えるためには、どうしたってこの少年は邪魔だし、なによりも秘密の通路の存在を簡単に口にしないようにうんと釘を刺されているのだ。見ず知らずの人の前でその行動を行う訳にはいかない。いくら寝ていようとも、だ。だが通路を使わないで寮に帰るのは危険が高すぎる。
少しは待ってみようと箒を芝生の上に置き、そっと少年の前にしゃがみ込んだ。
短い髪の毛や顔立ちは整っていて、おそらく自分と同じか年上くらいの年だろう。同性の燐から見ても少年はかっこよく、少なくとも一度は女子生徒からその名前を聞いていてもおかしくはなかったのだろうが、あいにく、燐にそこまでの頭はなかった。びゅう、と風が吹く。
「う、わっ」
だらしなく羽織っていたローブが風にはためき飛んでいきそうになるのをあわてて押さえつける。その声に、少年が目を覚ました。
「ん……?」
閉じられていた瞼が引き上がり、のぞいたのは翡翠色の瞳。それがきょろきょろと辺りを見回しやがて燐を見つけだすと、少年は実に柔らかく優しい笑みを浮かべた。
「初めまして、奥村燐君」
「へ?あれ、どこかで会ったことあるか?」
「ううん、ないよ。初めまして、だからね」
燐はぱちぱちと瞬きした。少年は明らかに優等生で、どちらかと言えば自分と住む世界が違う様に思え、自分の様な劣等生はこういう人間の眼中にも入らない、と燐は思っている。良くも悪くも彼は自分の評判にとことん無頓着であった。
「君、有名だろ。獅子寮の奥村燐なんて学園中が知ってる」
「あんまり覚えはねーんだけど…」
「謙遜だね」
「ケンソン……??あ、なあ、お前は名前なんて言うんだ?」
「……奥村雪男」
「えっ同じ名字!?」
「そうだね」
一瞬、雪男の顔に陰りが見えたが、燐はこの"偶然"に気を取られて気がつかなかった。わっと目を輝かせたかと思えば、目の前の少年に対して一気に沸いた親近感に胸を躍らせている。
「んー…じゃあお前のこと雪男って呼ぶな!雪男は俺のこと燐って呼べよ、同じ名字なんだから」
「いいの?」
「だめなのか?」
きょとん、と首を傾げ瞬きをする燐に雪男は静かに言った。
「僕は蛇寮だよ」
燐の所属している獅子寮と雪男の所属している蛇寮は生十字学園の歴史の中で度々衝突しており、それは今でも強く根付き、獅子寮と蛇寮の生徒の仲は特に悪いと言われている。しかし、燐は雪男の言葉を聞いてもなお笑って見せた。
「かんけーねーよ、雪男は雪男だろ?俺はお前と仲良くなりたいって思ったから、そりゃお前が嫌ならいいけどよ…」
「そんなことない!」
雪男が一際大きな声で否定した。燐はもう一度びっくりする。小さくごめん、と雪男は言って、また優しい笑顔で言葉を続けた。
「すごく嬉しいよ」
「そ、そうか…?」
あまりにも雪男が優しく笑いかけるので段々燐は心の底がむずむずとくすぐったい気分になる。きゅっと鳴って、手足が痺れる。その正体を燐は知らない。
「えっ…とじゃあ、雪男、よろしくな!」
「こちらこそよろしくね、燐」
授業の終わりを告げる鐘が響く。雪男がすっくと立ち上がった。
「もうそろそろ僕は戻るよ。ねえ燐、また話してくれる?」
「もちろん!俺も話しかけていいか?」
「楽しみに待ってるよ」
一歩、雪男が燐の方に踏み出して、燐の視界がローブの黒で染まる。一瞬、何か違和感を感じたがすぐに視界は明るくなった。ぽかんとする燐に雪男はくすくすと笑う。
「じゃあね」
そう言い残して雪男は城の方に消えていった。
燐が、雪男にキスをされたのだと気がついたのは雪男の姿が完全に消え、冬の風に体が冷えきってからで、その時、燐はずるずるとその場にへたりこんだ。
火照った頬に冬の風はずいぶん優しいのだと知った。
雪男が戻った城の玄関で待ちかまえていたのは藤本だった。彼は雪男の姿を認めると素知らぬ顔で立ち去ろうとする雪男に素早く近づきその腕をつかんだ。
「なんですか、藤本先生」
「理由はお前がよくわかってるだろ、奥村君」
キッと雪男が藤本を睨む。先ほどまで燐に見せていた優しさや穏やかさなどみじんも感じさせない、別人のような空気を纏わせて。藤本もまた、険しい顔で雪男を見つめていた。
「どうして燐に会った」
「…偶然ですよ」
「優等生のお前が授業をサボって居眠りをしていたところに授業を逃走して秘密の抜け道を使おうとしていた燐が通りかかる、その、どこが、偶然なんだ?」
「覗きなんて悪趣味ですよ先生…それとも、校長先生かな?」
雪男が乱暴に藤本の腕を振り払う。
「僕は五年も我慢した」
「いいやお前は一生我慢するべきだった!あの日あいつがお前の兄貴をどうやって、どんな目に遭わせたかはお前が一番知ってるだろう!」
「だから僕は強くなりました、今の僕なら兄さんを守れる」
雪男の脳裏に浮かぶのは五年前、兄・燐が青い炎に飲まれた時のことだ。そしてその事件の後に燐は双子の弟である雪男を含めた記憶を藤本と正十字学園校長の手によって消されている。
それは、事件を起こしたサタンーー呼び名は通称であるが、魔法界でもっとも恐れられている魔法使いの彼はれっきとした雪男と燐の実父であるーーが燐に秘められた己と同じ力を覚醒させるために燐がなによりも大切にしていた弟・雪男を利用したからだ。
父親はサタン、母親は死別。幼い頃から身を寄せあってきた半身に、雪男は並々ならぬ兄弟、家族以上の愛情を向けていた。だからこそ、雪男は再び自分が燐の隣に立って今度は助けることを誓ったのだ。そのために常に主席で成績優秀である事を己に課した。
燐と会う事を禁じた藤本や校長が認めざるをえないほどに。
「養父さんは邪魔しないでね」
射抜くような瞳に、藤本はハッとした。その隙に雪男はこれ以上話したくないとその場を立ち去る。
かつかつとローファーを響かせて廊下の奥に消えていく息子を、藤本は悔しそうに見送ったのであった。
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