ごかい


 奥村兄弟がただならぬ関係である、という噂が正十字学園に広まったのは春休みが近づく、肌寒いが良く晴れた日の事だった。
 なんでも、昨日の夜、正十字学園の女子生徒の一人が手提げ袋の持ち手を仲良く片方ずつ持って歩く奥村兄弟を発見、追跡したところ、丁度公園に差し掛かったところで背の低い兄の方が、背の高い弟の方に顔を近づけたのだという。声は聞こえなかったがあれはキスだった、と彼女は言う。それを周囲が納得したのは奥村兄弟が常に、二人でいるからだ。高校一年生にもなって寮で二人暮らしをし、お弁当を一緒に食べ、登下校も一緒。証言者の女生徒含め雪男に好意を寄せる者にとって雪男に近づけない一因である兄・燐の存在は邪魔であった。
 かくして、奥村兄弟がただならぬ関係である、もしくは、奥村燐が弟の奥村雪男に言い寄っているという噂は好奇心と少しの悪意を混ぜながら学園中に広まっていったのである。

 「…って、今更だと思うのは私だけ?」
 「しゃーないやろ、学校の奴らは塾を知らんのやから」
 「正直、それがどうしたってくらいですねえ…」

 志摩廉造から噂を聞いた神木出雲、勝呂竜士、三輪子猫丸の三名はそれぞれ、あきれ顔で言った。ですよね、と言い出した志摩ですら相槌を打ってしまうほどだ。奥村兄弟がただならぬ関係、どころか、青汁だってショートケーキになってしまうくらい甘すぎる関係である事は身をもって知っている。ただ、一つ気になる事もある。

 「まあ、奥村が若先生に言い寄ってる、っていうのは、何か気になるなあ」
 「ああ…むしろ逆よね」

 勝呂の言葉に出雲が大きく頷く。
 奥村兄弟が紆余曲折をして付き合うまでの一部始終を知っている面々は、どちらかというと弟の方がその愛が深い事をよく知っている。相談に乗っていた出雲、燐がいわば飼い主のように懐いている勝呂や子猫丸、一緒に馬鹿をする志摩、それぞれ、視線だけで殺されるのではないかと言う恐怖を味わったからだ。―――おかげで、奥村兄弟がお互いの気持ちを確かめ合って結ばれたときにはやっと解放されると咽び泣きながら祝福する羽目になった。

 「元々噂流した子が若先生のファンの子らしゅうて、いろいろ尾ひれがついとるんですよ」
 「それ、まずいとちゃいますか」

 子猫丸の言葉にぴしり、とその場が固まる。ハッと三人は息をのんだ。
 同じような女子生徒が燐を責めるようなことがあるかもしれない。もし、そんなことがあれば――――

 嫌な予感がする、と勝呂は眉間に深いしわを刻んだ。





 燐が女生徒の集団に捕まったのは玄関で弟と別れて教室に向かう途中、朝のHRが始まる前の事。

 「ちょっと、話があるんだけど」
 「ん?」

 遂に来たか、と静まり聞き耳を立てる廊下の空気に首をかしげつつ、燐は素直にその申し出を受けた。こうして燐は女生徒たちに体育館裏などというずいぶんベタなところに連れてこられて、ぐるりとその周りを取り囲まれる状況に陥った。

 「えっと…それで何の用だ?」

 早々に告白なんていう青春の一ページではないのだろうとは思ったが、心当たりはない。ぽりぽりと頬をかきながら燐が尋ねる。と、集団から出てきたのは一人の女生徒だった。燐には判らないが、彼女は昨晩雪男と燐を見かけ、最初に噂を流した張本人である。彼女はリーダー格らしい女子に背中を押されながら、燐の前に立った。

 「…昨日の夜、奥村君と歩いてたわよね」
 「ああ、スーパーに買い物に行ったな」
 「その帰りに公園で奥村君と、その…キス、してたでしょ」
 「…は」

 頬をかいていた指が止まり、燐の頭は耳まで赤く染まる。
 ぱくぱく、と魚のように口が音もなく開閉したかと思えば、絶叫が響く。思わず耳をふさいだ女生徒も負けじと叫ぶ。

 「はああああああああ!?そ、そんなわけねーだろっ」
 「見たのよ!!とぼけないで!!」
 「お前が見たの多分雪男の頭に埃が付いてたの取ってやった時だろ!」
 「は?なにっそれ…で、でも大体あなた雪男君にくっつき過ぎよ!好きなんじゃない!?」
 「な、ななななな、なに言ってんだお前!!!そんなわけ…っ」

 否定の言葉は語尾がしぼみ、それを真っ赤な顏で言っているのだかrあ、それは、ありありと女生徒の言葉を肯定しているようなもので、彼女たちは嫌な笑みを浮かべた。
 頭に関してはあまりよくない燐もその顔をみてしまった、と慌てて口を閉ざし顔を隠したが、もう遅い。弱みは握られたようなものだ。怖い。うつむいて、ぎゅ、と拳を握った。
 顔を見合わせ、ゆっくりと刃物を燐に振り下ろすように一人が口を開く。
 
 「兄弟を好きになるなんて…」
 「なにか問題でもありますか?」

 言葉を遮った、地を這うような低い声に、燐は顔をあげ、女生徒たちは背筋が凍るような感覚を覚えた。まるで、地獄から来た死神の鎌が首筋に当てられているようだった、と彼女たちは後に語る。

 「ゆきお」
 「兄さん」
 「雪男君っえっとそのこれはっ…」

 愚かにも声を上げた女生徒を押しのけて、雪男は燐に駆け寄ると腕を取り、腰を支えて素早くその唇を奪った。
 断末魔のような悲鳴が上がる。慌てて燐が雪男を突き放そうとするが、一瞬で身動きが取れないようきつく抱きしめられていたためにかなわない。角度を変えて何度も何度も深く口付けを交わせば、だんだと燐は溶けていって最後には体を雪男に預けてはあはあと乱れた呼吸を整えなければいけなくなってしまった。胸に顔をうずめる兄を愛おしげに見つめ頭を撫でる雪男に漸く、噂を流した女生徒の金縛りが解け、彼女がおそるおそる話しかけた。

 「奥村君…」
 「はい?」
 「お兄さんとはどういう、関係なの?」

 「恋人です」

 見たこともないような満面の笑みでそう告げられた彼女は別の意味で卒倒し、そして唖然としたまま残った他の女生徒には、羞恥に耐え切れず燐が殴って止めるまで延々とのろけ話を聞かせ続けたという。


 

 夕方、奥村兄弟が恋人同士であり、特に弟のブラコンの拗らせ方はある意味兄の方に同情を覚えるほどだ、という噂を耳にしたとある四人は、とても納得顔で頷きあった。

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