キスをしましょう




「とうさん!」

 明るい二人分の少年の声が藤本を呼ぶ。書斎で騎士団の仕事に明け暮れていた藤本はその手を止め、柔らかい笑みを湛えて二人の少年・燐と雪男を振り返った。
 上司で友人のピエロに押し付けられた当初はああだこうだと言っていたが、年月さえあればその存在は可愛すぎて目に入れても痛くない愛する息子達に変わって行く。今では、血が繋がっていなくとも藤本は自分の息子だと言い切り、友人や弟子に引かれる位に二人を溺愛していた。

「どうした?」

 くしゃくしゃと頭を撫で、藤本は非常に穏やかな声色で尋ねた。聖騎士である藤本は時として厳しく冷徹に事に当たりその役目をまっとうしてきた。迷いなく引き金を引き、場を圧倒する迫力で詠唱を行う。どちらが悪魔か分からないと揶揄された男が、こうしてただの父親になっていることを誰が予想できただろうか。

「あのな!」

 いつも藤本に話をするのは燐だ。話好きというわけではなく、原因は燐の半歩後ろから藤本を窺う雪男の方にある。
 雪男は実父とは違う藤本に見返りも要求されずに育てられていることを引け目に感じている。藤本は気にしなくて良いと思うが、良くも悪くも感受性の高い子供に実の親がいないという事実は重くのしかかり、特に真面目な雪男は兄以上に背負う事情の重さを冷静に見つめていた。だから、雪男は藤本に何かをしてもらうことが苦手だ。話を聞いてもらう、一緒に遊んでもらう、本を読んでもらう。当たり前の事であるにもかかわらず。何か困ったら、唯一己が頼る事を許した兄の燐に言う。それを燐が藤本を始めとした周りの大人に訴えるのがいつもの形だ。
 無理に変われとは言わない。少しずつ、根気良く付き合わなければいけないのだと藤本は知っているからそのことを指摘はしなかった。時間がかかっても雪男が一人で立てる未来がくればいい。
 さて、燐の要求はどちらなのだろうかと頭の端で考えながら、藤本は燐に首を傾げて話を促した。

「あのな!きすってなんだ?」
「は?」
「なんかそれをすると、えーっとえーっとせああせ?」
「しあわせだよにいさん」
「そう!しやわせになるらしいんだ」

 いや、言えてねぇよ。と、藤本は突っ込めなかった。
 二人揃って爛々と答えを待っているところを見るとこれは二人分の疑問らしい。純粋な好奇心と探究心から来た疑問だが、少し困る。以前に「俺たちはどうやって生まれたんだ?」という問いに対して例えば中学の保健体育に則った答えを口にし掛けた際は、気が付いた修道院の面々が必死で藤本を抑え、渡り鳥が運んでくるのだとかありきたりなごまかしを述べたので未遂に終わったが、後で子供の疑問に現実を突きつけるのはナンセンスだと部下たちに説教された。それを考えると少々メルヘンな感じに答えるべきなのだろう。藤本はどうしたものかと頭を捻る。その表情は意図せず険しくなり、燐が不安気に訊ねた。

「おれはしやわせになれない?」
「そんなことねーよ」

 幸せになるのに条件なんてない、みんなが平等に享受できるのだと。藤本は長い時間をかけてこの兄弟に教える。くしゃくしゃと燐と雪男の頭に片手ずつ乗せて髪をかき回す。擽ったいと嬉しそうな笑顔が二人分咲いた。
 よし、このまま質問も忘れてくれ。幸いにもお前は単純だろ。
 雰囲気もくそも無いようなことを燐に内心で呼びかける。

「それできすってどうやるんだ?」

 不幸にも今日の燐はしつこかった。
 子供には自分の様な経験豊富な熟練者になると(と後日言ったらピエロと弟子が腹を抱えて笑った)キスは戯れでしかないのだという現実は悲しいだろう。藤本も幼い頃であればキスを神聖視していたし、夢を見ていた。壊すのは忍びない。
 なかなか妙案が思い浮かばない藤本は最終的にどうにかして話を終わらせようという思考にシフトする。

「まず相手を探してこい、一緒に幸せになりたい人。お前らは将来どういう風になりたい?」
「ゆきおといっしょがいい」
「にいさんといっしょにいたい」
「…そうか」

 兄弟仲の良いことは喜ぶべき事だ。二人の生きる先には分厚く高い壁が幾つも聳えていて、一つ一つを乗り越えていかなければならず、その時に兄弟の絆が必要不可欠なものになるだろう。しかし、仲が良すぎるのも考え物だと思う。二人だけで完結した世界は、壁を乗り越える障害と成りうるだろうから。
 今は、現実の厳しさを教える時だろう。藤本は心を決めた。

「一緒なのは女の子にしろ、兄弟も良いけど他に大切な人を作るんだ」
「なんでだよ」
「結婚するのは女の子だろ」
「それならだいじょーぶ!けっこんしきならゆきおとやった!」
「え」

 燐は嬉しそうに藤本に語る。絶句する藤本はただ流れて来る明るい声を耳に入れて、何とか自分に分かるように翻訳するしかできない。
 兄弟は仲睦まじく、ポケットからシロツメクサで出来た指輪を取り出し、藤本に見せる。

「なあゆきおこのしろいのなんだっけ?」
「しろつめくさ」
「それそれ!しらつめくさのゆびわこうかんして、ちゅーした!」

 しらつめくさってお前は二文字目が言えないのか、花の指環なんて可愛い、とか、そんな所に反応している場合ではない。
 まさかの経験済みだった。
 ついに藤本は頭を抱えて、愛しい息子達の行く末を案じる。今は幼い子供の戯れですむが、もし成長してもこのままだったら。今のところ二人にはお互い以外に遊ぶ友達が居ない。幼稚園には通っているが、燐は未だ覚醒はして居ないものの悪魔としての力の片鱗を見せ付け子供だけでなく大人にまで恐れられているし、雪男もその性格が格好の苛めの対象だ。子供を信用するのは親の仕事だが、子供を心配するのも親の仕事だ。
 いつの間にか双子の意識は半身から藤本に移っていた。ジッと百面相をする養父を二つの透き通った瞳が見つめる。純粋無垢な所がまた憎たらしい。いや、可愛いんだけど。くそう。無自覚なカミングアウトが落とされて爆発した頭は聖騎士の名にふさわしくなく大混乱だった。
 そのうち、雪男がはた、と気が付いたような顔をした。

「あっ。ねえ、にいさん、もしかしてちゅーのことが"きす"なのかも」
「お前はなんでそんなに頭がいいんだろうな」

 今は必要無いけど。全然無いけど。
 重苦しいため息をつく藤本を余所に兄弟は顔を見合わせる。いつの間にか繋がれた手を解こうなんていう考えは既に生まれなかった。きっちり恋人繋ぎだった。

「やったなゆきお、おれたちしやわせになれる!」
「うん!」

 笑い合う二人を見て、ふと、少なくとも今はこれで良いのかも知れないと藤本は思った。いつ、何が降ってくるのか分からないのだから、幸せをその身に感じていられる瞬間を大切にするべきなのかもしれない。その手を解かない限り、彼らは共に乗り越えていけるのだ。しかし、穏やかな顔で見守っていた藤本は、一つ違和感を覚える。

(雪男?)

 弟の方の様子を可笑しいと思った。妙な胸騒ぎがする。ジッとその顔を見つめていたら視線に気が付いた雪男が藤本を見て、そして。

(――――!?!?)

 にやり、と、片手で足りる年に似合わない真っ黒な笑みを浮かべた。ぞくりと背筋が凍るのを感じる。子供相手に?いや、子供相手だからこそだ。
 一瞬で兄に顔を戻し、病弱で守られる側の弟の顔になって雪男は燐に提案する。

「もっとちゅーしたらしあわせふえるかもよにいさん」
「おおっゆきおあたまいい!んじゃ、うごくなよ」
「うんっ」
「待て待て待て待て」

 藤本が二人を引き離してどうにか止めた。そのまま脇に抱えてぐるぐると回ると燐の方は楽しそうにきゃっきゃと歓声を上げる。
 しかし、雪男の方がそれはもう憎悪すら混じらせた恨めしそうな目で見るのを藤本は必死で気が付かないふりをした。



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