「…誰?」

「ふぅ…、大丈夫だった?」


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遡ること約一時間前。
長きにわたる放浪の末、たどり着いた村はとても静かで落ち着いた良いところだと思った。どうやら内乱の影響を殆ど受けていないらしい。この村なら暫くは骨を休められるかもしれない。どっちにしろ、まずは話の通じる人を探さなくてはいけない。

「すいませーん。えっと、村長さんのお家ってどこですか?」

「ん?僕、迷子かい?」

「違います!とにかく、この村の村長に会いたいんです!」

「この村?…なるほど、分かった、村長の家はこの通りを曲がった先の広場だ。ちゃんと親御さんに伝えるんだぞ」

「はぁ、ありがとうございました」

親、などと言われると少し腹が立つ。俺は一人だっていうのに。まあ、話を通すには親のパシリ役を演じる必要がある。単独だとややこしくなってしまうのは分かるが…まあ、一応村長の居場所は聞けたし、いっか。

だけど、ここに来てから妙な胸騒ぎがする。村の近くに小さな休火山があるのは知っていたし、それに伴って空気中の星幽光が増加するのも予め予測していた。今更驚くことじゃない筈。じゃあ何故…。

「…!?」

急に空気が重苦しくなった。おかしい。明らかにおかしい。そのとき、得体の知れぬ咆哮が鼓膜を震わせ、全身に緊張を走らせた。

「何、今の声!?まさか…魔物!?」

場所は…広場と同じ方角。恐らく火事による煙が立ち上り、のどかな村へ不穏な空気を流していた。斜陽を直に受ける顔を手で覆い、目を細め、事態に一早く気づき逃げようと向かってくる村民を目印に駆け抜ける。

「くそっ、早くしないと…」

まだ幸いに被害者は見ていない。だからこそ急ぐ必要がある。広場にはまだ来ていなかった。だが、火の手がとある民家からによるものだと目視で確認するや否や、躊躇いなく飛び込んでいこうとした、が。

「誰だろう…?」

自分より先に誰かが民家の前で立っている。遠いのではっきりとしなかったが、多分女の子、それも同い年くらいの。悔しいけど俺より大きい。って、そんなことはどうでもよくて!大事なのはここから僅かに見える裏庭に奴がいた。真っ黒な見慣れたシルエットにあの咆哮、庭から出た形跡はない、そして仮に火事の原因が奴だとすれば、見えてくるのはただ一つ。

「飼い犬か!」

裏からは直接入れそうにないので、迂回するしかなかった。

今考えれば、無理をしてでも飛び込めば二人とも助けられたのかもしれないと思うと悔しくて仕方ない。

いざ民家の前に行ってみると、先程の少女がいない。まさか、と思い裏手の側を覗くと、彼女はいた。いたが、恐怖からか身動きを取れず、その場で固まってしまっている。

「おい!離れろ!」

応答はない。完全に意識が持って行かれてしまっていたので何度呼びかけても無駄だった。慌て駆け寄ると、既に奴はすぐ近くまで迫り、この家を焼いたであろう灼熱の火球を再び打ち出す寸前だった。

「くっ…そぉぉお!!」











「あれ…なんで…私…」

間に合った。でも少し左側の服の裾が焼けてしまった。それはどうでもいい。今一番大切なのは全身に伝わる柔らかな感触、温もり。そうだ、この少女は…生きている。俺は、この子を救えたんだ。少し悦に浸っていたが、段々恥ずかしくなってパッと立ち上がった。ちょっと惜しい気もしたが、そんな場違いなこと考えている場合じゃない。

「…誰?」

「ふぅ…、大丈夫だった?」

少女がゆっくり体を起こすのを見計らい、すっと手を差し出す。

「立てる?」

「あ、ありがと…」

力一杯引き上げ、立たせる。やっぱり自分より大きい。しかしそんなこと考えていても、無表情で涙を流し続けている彼女の姿は見ていて辛かった。ふと振り返ると今度こそと第二撃を蓄える魔獣の近くに女性、少し手前に男性と付近に転がる剣を確認出来た。

(あの二人…この子の親なんだろうな…)

そう思った途端、言葉にならぬ怒りが勢いよく沸点へ到達した。許せなかった。彼女の親を奪った奴を、どうしても。しかしいつまでも魔獣は待ってはくれない。気づくと既に構えた口から溢れんばかりの炎が蓄えられ、今にも吐き出されようとしていた。

「人が話をしているときに…邪魔すんな、犬っころ」

右手で腰のホルダーに納められた抜き身の短剣を逆手に握り、獣に向ける。アイリには何が何だか分からなかった。早く逃げなきゃいけない筈なのに、奇妙な安心感がそこにはあった。彼の眼光は鋭く、本当に同じ位の歳の子どもなのか疑いたくなるような真っ直ぐな瞳。今、目の前には謎の少年、その向こうにはかつて子犬だった漆黒の魔獣、何が起こるか全く予想出来ない状況の中で少年は私の腕を引き寄せ耳元で幾つか会話をし、最後にこう呟いた。

「少ししゃがんでて」

言われるがままにしゃがむ。この時見せた一瞬の笑顔は不思議と気持ちが軽くなるような気がした。私の方から向き直ると彼はより一層強く睨みつけ、自らへ言い聞かせるかのように小さく叫ぶ。

「  ・甲!」

よく聞き取れなかったがそれはまるで美しい絵画のような光景だった。彼が唱えたと同時に何処からか水流が生まれ、六角形を並べたような壁になる。そこへあの豪炎が襲い掛かり、衝突する。勢いのまま弾け飛ぶ火の粉、水壁を隔てていても眩しい光に再び恐怖を覚えるが、それでも怯まずに守ってくれていた。私が今出来ることは一つ、この危険な状況で尚、私の震える手を握っていてくれる彼を信じることだけ。

「弾けろぉお!」

叫び声と共に壁もろとも掻き消えた。繋がれた左手を離し、即座に右手の短剣を逆手から持ち替え、右後足の筋目掛け投げつける。攻撃の後の僅かな怯みでまともに突き刺さり、体勢を崩した瞬間を逃さずに懐へ滑り込む。そのまま掌底突きの要領で今より深く短剣を捩込む。思わず見惚れてしまう程、アイリにとっては一瞬の出来事だった。相手が完全にバランスを失って喚いている間に彼女の父の剣を拾い、両手で大きく振りかぶる。

「だぁぁあ!!」

そのまま重量で胴体を一刀両断。断面からは血飛沫の代わりに火の粉が飛び散り、呻き声をあげる間もなく崩れゆる。この魔獣は火山から溢れ出る炎の力を急激に取り込んだせいで突然変異を起こしたのかもしれない。それは確かに抗うことは難しいが…互いに被害者だと思うと遣るせない気持ちになってしまう。

魔獣が全て火の粉となって消えるのを見届けてから短剣を回収しに向かう。今は魔獣よりも彼女の方が気掛かりだ。未だその場から動けず、地面にぺたりと座り込んでしまっている。

「はい、お父さんの剣」

「え、あ、うん…」

「ええと、その、じゃあ…向こう、行ってるから」

「え…あっ、パパ!ママ!」

我を取り戻し駆け寄る彼女の瞳には感情の込められた大粒の涙が浮かんでいた。







あれから暫くして。
水流で鎮火させている間、彼女の泣き声が止むことは無かった。火事の方は幸いにも一部を除き半焼で済んだのだった。そして、ようやく落ち着いた彼女は真っ赤に腫れた眼を擦りながら深々と頭を下げた。

「助けてくれて…ありがとう」

「こっちこそ少し早ければ…ごめん…」

「謝っちゃいや…。なんて言ったら良いか分からないもん…。それより、」

不思議そうに、問い掛ける。

「さっきの水の壁とか、今お家の火を消した水とかって何?」

すると少年は背を向け、俯きながらこう返す。

「簡単に言ったら魔法だよ。自然の力を心と力で従わせる術。それは世界中至る所に存在している星幽光って呼ばれる…」

「あ…あすと…何?」

「アストラルライト。人も動物も植物も山も海も空もぜーんぶ星幽光"アストラルライト"から出来てるんだって。詳しくはもう教えてもらえないけど」

更に疑問符を増やしたアイリはもっと噛み付く。

「じ、じゃあ、君は何でそれを使えるの?」

「それは僕が…星幽術士"テイマー"だから」

こんなに幼い少年が不思議な魔法を使える。それはアイリにとって衝撃だった。

「ところで、さっき何か袋みたいの持ってなかった?」

「え?うん、持ってたけど…あ、裏に置いて来ちゃった」

「ちょっと取って来るよ。出来れば…ね?」

しっかりしてるが全てが唐突だった。村の男の子はみんなただ騒がしいだけ。見た目からしても私と同じ…多分10歳くらいだと思うんだけど、不思議とそうは見えなかった。

「お待たせ。それで、この林檎なんだけど…売ってくれないかなぁ?僕さ、林檎って大好きなんだよねっ」

唐突に変なことを言い出した。

「え、えぇ?いや、うん、良いけどさ…」

「じゃあ、はいお金っ」

ますます意味が分からない。普通お金を渡すときに財布ごと渡すっけ?

「え、って重っ!?」

「全部あげる。それで少しは楽になるでしょ」

それに、と私を置いてきぼりで話を続ける。

「中に入ってるバングル。必ず役に立つから。じゃ、僕はもう行かなきゃ。みんな集まってきたら厄介だもん」

確かに間違ってはいない。こんな大事件が起きた時に外部の人間がいたとなると確実に虚偽の罪に問われてしまう。それは幼いアイリも分かっていた。だから引き留められなかった。

「ち、ちょっとこれ…!」

「だからあげるよ」

「そうしたら君はどうするの!?」

「なんとかなるって」

なんとか話を考えなきゃ。無理だと分かっていても命の恩人だからいてほしい。話し続けていないと…行ってしまう。

「ええと、あの…その…」

「あのさ」

彼の背中から聞こえる声。それが妙に大人びた声に感じて鼓動が少し早くなる。

「林檎ありがとね、大事に食べるっ」

村の外へ向かう足を止めこちらを振り返り、美味しそうに頬張る。そして彼が放ったのは、私の運命を大きく変えることになった言葉だった。

「さっき君の手を握ったときに強い風の力を感じた。多分僕とは違う何かが。もし気になるならここから少し行った先の小屋にレヴィって人が住んでる。あの人なら何か分かるかもね。僕の先生なんだ。それと…そのバングル、大切にしてほしい。僕の母さんの形見だから」

そう言い残し、再び歩き出す。何を言ってるのか分からない。風って?それに力?君の母の形見?どうしてそんな大切なものを私にくれたの?

「ねぇ、何で!?それに!」

一番大事なことを聞き忘れていた。

「君の名前は!?」

振り返らない。当然、問いには答えない。否、僕には答えられない。答える資格がない。だから独りなんだ。自分自身の答えが見つかるまでは。それに、今はやらねばならぬことがある…だから。

私が我慢出来ず追いかけようとした瞬間、村の人達が集まってきて大騒ぎになった。追いかけるどころでは無くなってしまった。村人の話は尽きない。事件のこと、取り分けアイリの家の火事、一部の目撃者から明らかになった黒い怪物、そして早すぎる火事の終息の原因。手早く両親は埋葬され、私は気の毒だからと墓が完成するまでは独りベンチで座っていた。その隙に財布から例のバングルを取り出す。

「親の形見って言われても…」

とても美しい翡翠色の装飾が施されたシンプルな形状の代物で、表面に可愛らしいリスの模様が彫られている。せっかくなのでとりあえず嵌めてみると、不思議と体が軽く感じる。体の奥から力が伝わってくるような。ふと試してみたくなり、ずっと引きずって運んでいた父の剣を持ち上げると、まるで棒切れかのように軽々と持てた。

「え、嘘…なんで!?」

急に恐ろしくなってきた。外して試してみたところ、やっぱり片手で振り回すどころか、両手でやっと肩まで上がる程度。かつて父は何処かの兵士として軍に所属しており、中でも強いほうだったらしい。これも比較的上等な剣の様で、まだ新しめだった。しかもそれはかなり腕力を必要とする幅7〜8pの質素なブロードソード。父でさえ軽々振るう為には両手で持っていたのに。

「あれ、もしかして…だから私に…?」

もし彼が言っていた言葉が本当なら…。などと考えていると、無情な現実を味わうことになる。村人達が私の元へ集まってきた。先程とは打って変わって険しい表情を皆浮かべている。それは、パパとママが襲われたあの魔物が拾ってきた子犬だったのだが、その変異の過程を目撃していた者がいたのだ。そして私が拾ってきたことは周知である。おまけに何故変異したのか、私を含め誰も原因を知らない。これが意味すること、それは。

「アイリちゃん…親を失って悲しいかもしれないけど…」

「村に危険な魔物を引き入れたのは事実だから…」

「すまない…アイリちゃん…」

村からの追放。その内容は、居住を認めない代わりに特例として立ち入りは許可する、というものだった。

決定からは皆しっかり準備しなきゃと大忙しで旅の用意のために動いてくれた。しかし、静かになった親の墓の前で一人祈りを捧げると、誰にも告げることなく村を出た。

私はもっと知りたい。自分のことも、君のことも。そしてもし君と同じように誰かを救う力になれるのなら。

パパとママが生きていたら、きっと応援してくれるだろう。…二人っきりにしてごめんね。

まずはレヴィさんに会いに行かなきゃ。






全てはここから始まった。
アイリと謎の少年との出会い。
時は流れ、そして満ちる。

孤独の少年を中心に
   廻り始める名も無き物語。

4人は運命に導かれ。
やがて過去は絡み合い一つになる。
最後に残るものは果して。






Episode zero END

――To be continued

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