知らなければよかった、なんて

恋、というものをしたことがなかった。

自分が考えている事といえば、主である幸村のことや上田のこと、仲間の動物達や忍としての生き様など、およそ色恋とは無縁のものだった。

恋なんてしないと思っていた。自分の全てを投げ打ってもいい存在など、敬愛する主以外にいるはずがないと思っていた。それなのに。

どうしようもない、恋をした。


********


上田城の屋根の上に佇む佐助はスッと腕を空に向けて伸ばす。するとその腕に空を飛んでいた小鳥たちが留まった。小さく囀る小鳥を見て佐助は顔を緩ませる。動物と一緒に居る時がなによりも心が休まる。
柔らかい風が頬を撫で、青々と茂る木々を優しく揺らす。静かな上田が、佐助は好きだった。

ふと視線を下に向ける。人の気配を感じたからだ。屋敷から庭へと出てきたのは才蔵と鎌之介だった。数歩先を歩く才蔵を鎌之介が追いかけるような形だ。それを見て、佐助の胸がズキリと痛む。あまり見たくない光景だった。


「なーさいぞー、俺とヤろうぜー」
「断る。あーうぜーついてくんなよ」


またいつものように鎌之介が才蔵に迫っているようだ。才蔵の衣服の端を掴んで駄々をこねる鎌之介は幼子のようだった。そんな鎌之介を才蔵は迷惑そうに片手で押しのける。ほぼ毎日上田で見る光景だ。珍しくもない。それなのに佐助の心臓はドクドクと激しく脈動する。


「俺を満たしてくれんのは才蔵だけなの!」
「知るかっ! ほら、服離せ」


今日の才蔵は機嫌があまり良くないようで、いつもより随分と乱暴に鎌之介の手を振り払った。あっ、と小さく声を上げる鎌之介を尻目に、才蔵は忍特有の素早さでその場から逃げ去った。


「あー!」


まんまと逃げられてしまい、残念そうな声が上がる。一人庭に取り残された鎌之介の後ろ姿は少し淋しそうで、耐えられなくなった佐助は小鳥を手放し庭へと降り立った。


「鎌之介」
「? お、緑?」


鎌之介は突然現れた佐助に目を丸くする。特別気配を消していたわけではなかったが、才蔵しか見えていない鎌之介は佐助の気配に気づいていなかったらしい。
驚く鎌之介を見て、佐助は呼吸を整えてから口を開いた。


「我、分からない」
「何が?」
「鎌之介、どうして才蔵追う? 才蔵、とても冷たい」


才蔵の鎌之介に対する接し方はお世辞にも優しいとは言えない。蹴るは踏むは罵倒はするは、その対応は冷たいの一言に尽きる。それなのに鎌之介は才蔵を追いかける。何度拒絶されようとも何度あしらわれようとも決して諦めることなく才蔵を求め続ける。それが佐助には理解できなかった。

疑問を口にした佐助に、鎌之介はことりと小首を傾げる。


「別に気にしたことねーなぁ。俺を満たせるのは才蔵しかいないから、追っかけるしかねーじゃん」
「でも、鎌之介、傷つかない?」
「傷つく?」
「鎌之介、才蔵のこと、好き。だから」


たとえば自分が幸村に冷たい言葉を言われたら、きっと傷つく。鎌之介も同じはずだ。あんなにも好きな才蔵に冷たくされたら傷つくだろう。しかし鎌之介は落ち込んだりせず、一心に才蔵だけを追いかけ続けている。


「あー、まぁたまにあるけどさ。それでも、俺は才蔵の事が好きだから」


好きだから、諦められない。好きだから、追いかけ続ける。
鮮やかな笑顔で才蔵を好きだという鎌之介に、佐助は言葉を失う。ここまで人を想うことができるなんて。羨ましかった。人を想うことができる鎌之介も、そんな鎌之介に想われている才蔵も。羨ましくて、仕方がなかった。


「鎌之介……」
「んー?」
「我じゃ……、駄目……?」


どうしても才蔵だけなのか。自分では駄目なのか。こんなことは言うつもりはなかったのに、口から勝手に出てしまった。だが後悔はしていない。毎日追われ追いかけの関係の二人を見ていて、ずっとこの言葉を言いたかったのだ。

鎌之介は一瞬目を見開いた後、ふっと目元を緩ませた。その表情を見ただけで、答えが分かってしまった。


「悪いけど、緑じゃ駄目だ。俺は、才蔵じゃないと駄目なんだ」


だから、ごめんな。そう言い残して、才蔵が消えた方角へと歩き出した鎌之介の後ろ姿を無言で見送る。それを見計らっていたかのように、佐助の肩に先程の小鳥がゆっくりと降り立った。


「好きな相手以外、駄目……」


その気持ちを、佐助は理解できる。佐助が抱くこの想いも、きっと鎌之介以外では駄目だから。鎌之介にしか、抱けない想いだから。

初めから分かっていたはずだ。鎌之介が上田にやって来た時には既に才蔵が傍に居て。鎌之介には才蔵しか見えていなかった。だから、分かっていたはずなのだ。自分の想いが報われる日が、永遠に来ないことを。

それでも。それでも聞きたかった。才蔵ではなく自分では駄目なのかと。
自分ならもっと鎌之介を愛すると。大切にすると。そう、伝えたかったのに。満足に恋をしたことがない自分には、その想いを伝える術を知らなかったのだ。
アナの忠告をもっとよく聞いておけばよかったと少し後悔する。そうすれば、せめて自分という存在を鎌之介の中に留めておけたのに。


「これが、恋」


恋はもっと甘いものだと思っていた。甘くて、優しくて、幸せなものだと思っていた。だが、佐助がした恋は、苦くて悲しくて辛くて、それでも諦められない恋だった。

肩に停まった小鳥が小さく鳴く。そっと指先で触れれば小鳥は目を閉じて、また鳴いた。その温かさが、胸に痛くて、苦しくて。佐助の頬を、一筋の涙が伝う。
恋なんてしなければよかった。そう思えたら少しは救われるのに、自分の想いを否定することが、彼にはできなかった。

恋をしたことがない自分には、恋を忘れる方法さえ、分からなかった。


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