水葬ハルジオン 04
「ばっかみたい」
「………は?」
土曜日。清海に無理やり神社内の掃除を手伝わされ、ようやっと掃除を全て終わらせ縁側で休憩をとっていた。
伊佐那海が冷たい麦茶を持ってきてくれ、茶菓子をつまみつつ、ぼーっとしていると、随分と辛辣な言葉を吐かれた。
あまりに突然のことに目をぱちぱちと瞬いていると、隣に座っていた伊佐那海は、ふんっと鼻で笑い苛立ったように饅頭を頬張った。
「馬鹿みたい、って何だよ」
「才蔵のことに決まってるでしょ」
「は…? 意味わかんねーんだけど」
何の脈絡もなく馬鹿と言われても困る。脈絡がないのはいつものことだが、今日のはいつも以上に意味が分からない。答えを求める様に伊佐那海の横顔を見つめていると、彼女は諦めたように溜息を吐いて、俺に視線を向けた。
「鎌之介のこと、本当にこのままでいいの?」
「………またその話かよ」
伊佐那海はことあるごとに鎌之介との関係の修復を望むような言葉を吐くようになった。幸村たちとこの神社に集まった時、その話は終わったはずだ。鎌之介には何も話さない。このままでいい。鎌之介には、普通の高校生として、前世の記憶など思い出してもらわずに、普通に暮らしてもらうと。そう、決まったはずではないか。それなのに、伊佐那海は俺に何度も問いかける。このままでいいのかと。それで後悔しないのかと。
「いいって言ってるだろ。無理に思い出させる必要なんてねーし。その方が、いいに決まってる」
「でもそれは、才蔵が勝手に決めたことじゃない。鎌之介は、才蔵に逢いたがってるかもしれないじゃない…!」
「んな訳ねーだろ。あいつには、記憶がないんだからよ」
俺のことを知らないのに、逢いたがっているも何もないだろう。今の鎌之介は空っぽだ。前世のことなんて、何一つとして覚えていない。今のあいつが知っているのは忍びである霧隠才蔵ではない。ただの、霧隠才蔵なのだ。
伊佐那海はスッと目を細めて俺を睨んだ。その視線の鋭さに、思わずたじろぐ。伊佐那海が時折見せるこの目が、少しだけ苦手だった。
「それは、才蔵のエゴだよ」
「……はぁ?」
「思い出さない方がいいって、それ、本当に鎌之介のため? 才蔵は、記憶を思い出した鎌之介に嫌われたくないから、逃げてるだけじゃないの?」
その言葉は、的確に俺の心を突いた。鎌之介の幸せを願うという言葉の裏に隠された、俺の気持ちの裏側を、的確に捉えていた。
そんなことはない。違う。そう、言い返したかった。でも、言い返せなかった。確かに、そうだったのだ。伊佐那海の言う通りだ。俺は、怖いのだ。鎌之介を置いて逝ってしまった自分を、鎌之介は非難するだろう。あれだけずっと傍に居ると言ったのに、さっさと約束を破って間抜けにも死んでしまった俺を、きっと鎌之介は憎んでいるだろう。そう考えると、鎌之介に記憶を取り戻されるのが、恐ろしくて仕方がなかった。
いつから俺はこんなにも弱くなったのだろうか。争いなどない、平和な世界に生まれ落ちたせいだろうか。それとも、元々持っていた気質なのか。どちらにせよ、俺はとんだ臆病者だ。鎌之介のためと謳いながら、結局は自分の保身に走っているのだから。伊佐那海は、そんな俺の虚勢さえも、全て見抜いていたのだろう。―――いや、オッサンや六郎さんたちも、きっと分かっていたに違いない。それでも彼らは見て見ぬふりをしてくれていたのか。だとしたら、俺はなんて格好悪いのだろう。
―――もう、鎌之介が好きになった“霧隠才蔵”は、どこにもいないのかもしれない。
「そう、かもな」
「才蔵………」
「俺は、あいつに嫌われるのが、怖いんだ」
たった一つの約束さえ、守れなかった。いつまでもこびりついて離れない、最期に見た鎌之介の泣き顔。こんなにも弱い自分を、鎌之介だけには見て欲しくなかった。
「どうして……」
「伊佐那海?」
「どうして、そう思うの? 鎌之介は、才蔵が好きだったんだよ? 世界で一番、好きだったんだよ? 才蔵のこと、嫌う訳ないのに。それなのに、どうして鎌之介のことを信じてあげられないの?」
「………伊佐那海、」
「そんなの、鎌之介が可哀想だよ……」
そう言って、伊佐那海は視線を手元に落とす。半分だけ齧られた饅頭が淋しそうに手の中にある。心の底から悲しそうな顔をする伊佐那海に、鎌之介の泣き顔が重なる。
そういえば、伊佐那海は俺が死んだあとも、鎌之介と共に居たのだ。俺を失った、鎌之介の傍に。俺が死んだあとのことは薄っすらとした聞いていなくて、鎌之介がどういう状態だったかは訊いていなかった。伊佐那海も、自ら進んで話そうとはしなかったから、結局鎌之介がどんな最期を迎えたのかも知らない。
だが、伊佐那海は知っているのだろう。俺に知らない、鎌之介を。だからだろうか。伊佐那海が、これほどまでに鎌之介に対して感情的になるのは。清海に対してはここまで必死にならなかったのに、鎌之介に対して必死になるのは。俺が理解できない鎌之介の想いを、理解しているからなのだろうか。
「伊佐那海」
「………」
「………悪い」
「………ばか、みたい」
背中を丸めて俯く伊佐那海に、俺は小さく謝ることしか出来なかった。
********
「霧隠! 今日こそ俺とヤり合おうぜ!!」
「帰り道にまで出没すんじゃねーよ! てめーは俺のストーカーか!!!」
学校が終わり、まさに帰り道を歩いていると、背後から鎌之介が襲撃してきた。だいぶ慣れてきた俺は、鋭い蹴りを軽くいなし、いつものように鎌之介の顔面を片手で引っ掴む。こうすれば鎌之介は大人しくなるのだ。
「なんでヤるのが駄目なんだよ!」
「迷惑なんだよ。他の奴をあたれ!!」
「俺は霧隠がいいんだよ!!!」
「……っ、めんどくせー奴…」
不覚にも、きゅんとしてしまった。こいつは不意打ちで可愛いことをするから油断ならない。またいつかのように鎌之介を衝動のままに抱き締めてしまいそうで、慌てて手を話して距離を取る。
「霧隠?」
「なんでもねーよ、くそ……っ」
襲撃には慣れたが、まだ霧隠と呼ばれるのには慣れない。どうしても違和感が付きまとうのだ。鎌之介は、初めて出会ってすぐに俺を「才蔵」と呼んだから。
「とにかく、俺はお前と喧嘩はしねー。諦めろ」
「…けち!」
「はいはい、けちで結構」
膨れる鎌之介を可愛いと思いながら、さっさとその場を去ろうとする。こんな道の真ん中でいつまでも立ち止まっていると悪目立ちする。前世の習性がまだ残っているのか、あまり人目につくのは好きじゃない。
鎌之介をその場に置き去りにして歩き出そうとすると、ポツリと身体に何かが冷たいものが当たった。
「………?」
何だと思うよりも先に、ドザーッと身体中がびしょ濡れになった。雨だった。さっきから雲行きが怪しいとは思っていたが、まさか夕立に遭うとは想像もしていなかった。基本的にニュースなど見ないから、今日の天気など知るよしもない。当然傘なんて持ってきてないし、折りたたみ傘などという画期的な物も持っているはずがない。これは走って帰らないと、最悪風邪をひく。
見る限り、鎌之介も傘の類を持っていないようだった。お前も早く帰れよ、そう声をかけようとして振り向くと、鎌之介が俺の手を掴んだ。
「えっ……」
「雨だ! 俺ん家ここから近けーから、雨宿りしてけ!」
「はっ!? いや、ちょ、まっ」
俺が拒否の言葉を吐くよりも前に、鎌之介は俺の手をぎゅっと握ったまま走り出した。自然、俺は鎌之介に引っ張られる形となる。靴底が水たまりを踏みつけ、ぱしゃりと音を立てる。雨に濡れた赤髪が、目の前で揺れている。
そういえば、俺はあまり鎌之介の後ろ姿を見たことがない。それは当然だろう。いつも俺を追いかけていたのは、鎌之介の方なのだから。なんだか、新鮮な気持ちだった。鎌之介は、いつも俺をどんな気持ちで追いかけていたのだろう。今となっては、それさえも分からない。分かり切っていたことなのに、何故だか急にとてつもなく淋しくなった。
繋がれた手は、とても熱い。それほど強く掴まれているわけではないから、振り払って逃げるのは簡単だ。でも、出来なかった。この温もりを、二度と失いたくなかった。俺が最期に触れた温もりと、あまりにも似ていたから。
激しい雨の中、二人きりで走り抜ける。過去にもこんなこと、あったっけ。あれは確か、オッサンの指示で二人で任務にいっていた時のこと。そん時も、急な雨に打たれて慌てて近くの空き家に飛び込んだのだった。適当に火を起こして、体温が奪われるからとお互いに服を脱いで、互いに身を寄せ合って、温もりを分けあった。もう二度と、来ることのない日の記憶だ。
思い出さなくていい。鎌之介に、また泣いて欲しくない。だから、思い出さないでほしい。でも、俺を思い出してほしい。またあの時みたいに笑って欲しい。好きだと言って欲しい。どうして。どうして、俺の気持ちはどっちつかずなのだろう。伊佐那海の言うとおり、馬鹿みたいだ。
「ここ、俺ん家。ほら、早く入れよ」
「ちょ、押すなって!」
鎌之介の家は本当に学校から近かった。自宅が学校から近いとは以前にも聞いていたが、こんな近くにあったのか。通学に便利だな。
鎌之介の家は普通の一軒家といった感じで、何の変哲もない。家の中に誰かいるようで、鍵はかかっていなかった。玄関のドアを開けて鎌之介は俺を玄関先に押しこむ。濡れたまま家の中に入るのは少し心苦しくて「中、濡れんぞ!」と告げるが「俺も濡れてるから同じだろ」と取り合ってもらえなかった。確かに言うとおりだった。
お互いにぽたぽたと身体中から水滴を零しながら、玄関先に立ち尽くす。鎌之介もさすがにこのままで家の中に入るのはまずいと思ったのか、家の奥に向かって声を張り上げる。
「兄貴! いるんだろ!? 悪い、でかいタオル2枚持ってきてくれ! 同じ学校の奴もいるんだ!」
どうやら家にいるのは鎌之介の大学生の兄らしい。兄がいることは以前にも聞いていたから、特別驚かなかった。昔は鎌之介の家族について尋ねたことはなかったが、もしかしたら兄くらいはいたのかもしれない。まぁ、前世では兄弟でなかった者が兄弟になっているようだから、もし前世の鎌之介に兄がいても関係はないのかもしれないが。
というか、鎌之介の家族と顔を合わすのはなんとなく気まずい。寧ろ家に上がることも気まずい。それに、自分を知らない鎌之介を知っている、鎌之介の兄とやらが羨ましい。変な嫉妬をしてしまいそうだ。だからこそ、出来ればこのまま帰りたいのだが、それは鎌之介が許してくれないだろう。ここは男らしく腹を決めるしかない。はぁ、と溜息を吐き、ガラにもなく緊張していた、その時。
「おや。珍しいデスね。鎌之介がオトモダチを連れてくるナンて」
ゾクリと、全身の毛が逆立つ。ジワリと冷や汗が浮かび、ないはずの苦無を取り出そうとしてしまった。そう、声を聞くだけで条件反射的に臨戦態勢を整えてしまう、男が、家の中から出てきた。
「なん、で………っ」
「? 才蔵?」
腰まであった長い赤髪はばっさりと切られていたが、独特の言葉回し、切れ長の瞳、鍛え抜かれた痩躯………見間違える、筈がない。
「なんで、テメェが此処にいる!?」
俺を見て、面白そうに瞳が細められる。弓なりに釣り上がる口元は、間違いなくあの男のものだった。
「―――服部、半蔵………っ!」
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