ン 03




はぁぁ、と深い溜息を吐く。ここまで来れば大丈夫だろう。屋上の床に座り込むと、ドッと疲れが押し寄せてくる。

毎日逃げ回る日々。まるで昔の、あの残酷で、凄惨で、けれども幸せだった頃に戻ったような気がする。才蔵と名前を呼ばれて、ヤるぞと鎖鎌で攻撃されて、最後には笑い合っていた、あの頃に。


「…アホか、俺は…」


まだ未練があるのか。幸村たちの前でははっきりと諦めの言葉を口にしたのに。結局、心の底では渇望しているのだ。アイツに、鎌之介に、名前を呼ばれることを。そして、この時代でも昔と同じ関係になることを。なんて、馬鹿馬鹿しい。


「見つけたぁ、霧隠っ!」
「げっ…」


物思いに耽っている間に、屋上のドアが開け放たれていた。
勢い良くやって来たのは、先程まで俺を追いかけていた人物。…鎌之介だった。


「霧隠、喧嘩しようぜ!」
「断る!」


飛び掛ってきた鎌之介を軽くいなし、溜息を吐く。何度吐いても尽きることのない溜息は、今日だけでも十回を超える。


「何でだよ? 中学ん時、めっちゃ強かったんだろ?」
「そんな昔のことは忘れたっつーの」


俺の中学時代の喧嘩遍歴を何かと持ち出してくるのには本当に参る。高校では真面目に過ごすつもりなのだ。喧嘩なんてして教師に目を付けられるなんて真っ平御免だ。


「………」


それに何より、喧嘩をすれば、鎌之介が昔の記憶を取り戻してしまうかもしれない。それだけは、絶対に避けなくてはならない。だから俺は逃げる。喧嘩もしない。鎌之介には、本当の俺を知らないまま、平和に生きて欲しい。あの時代では、叶わなかった願いだから。

鎌之介は俺が絶対に喧嘩しないと察したのか、俺の向かいに座り込み、頬を膨らませる。


「ちぇー、霧隠のケチ! 兄貴なら付き合ってくれんのに…」
「はいはい残念。生憎俺はお前の兄貴じゃねーからな」
「分かってるよ、んなこと! あ、兄貴といえば、昨日さぁ……」


鎌之介はよくこうして自分の話を俺にする。お陰でこの時代の鎌之介について詳しくなった。大学生の兄がいるだとか、自宅は高校の近くにあるだとか、成績はあまりよくないだとか、様々なことを知った。
ほぼ一方的に鎌之介が話すだけなのだが、この時間は案外嫌いではない。むしろ好きかもしれない。自分の知らない鎌之介を、知ることが出来る時間だから。


「な、酷いと思わねー?」
「お前の兄貴、鬼畜だな」
「だろ?」
「でも仲いいんだろ?」
「おう!」


鎌之介が笑う。満面の笑みで、笑う。昔は自分だけに向けられていた、純粋な笑顔。遠い昔、「俺以外にその顔、見せんなよ」と嫉妬混じりに告げたら、一瞬きょとんとした後、「仕方ねーなー」と照れたようにはにかんだ鎌之介は、もういない。
あの時の約束は、過去に置き去りのままなのだろう。その原因は、俺が鎌之介を置いて逝ってしまったからだ。最後まで、鎌之介の傍にいることが出来なかった、俺の責任なのだ。


「霧隠…?」


名を呼ばれてはっと顔をあげれば、目の前に鎌之介がいた。少しでも近付けば、肌が重なるような位置にまで。

ドクリと心臓が跳ねる。昔と同じ距離、だった。ずっとずっと探し求めていた存在が、すぐ傍にある。

身体の奥底から、とてつもない感情が込み上げてくる。駄目だと思うのに、身体は止まらなかった。


「霧……」


俺は、鎌之介を押し倒していた。

屋上の床はコンクリートだからきっと背中が痛いだろうとか、誰かが来たら誤解されそうだなとか、様々なことが思い浮かんでは消えていく。

鎌之介の両手首を掴んだ自分の手が、震えているのを感じる。思い出して欲しい。思い出して欲しくない。二つの気持ちがせめぎ合い、どうしようもなく泣きたくなった。


「霧隠…? どうしたんだよ…? どっか痛いのか…?」


ああ、そんなに俺は泣きたくみえるのだろうか。忍のくせに、感情を露わにするだなんて、忍失格もいいところだ。鎌之介、頼む。霧隠なんて他人行儀な呼び方はやめてくれ。昔は最初から才蔵と、名前で呼んでただろうが。それなのに、どうして…。


「覚えて、ねーんだよ…」
「霧、隠……?」


鎌之介の肩口に額を押し付けて顔を隠す。そうでもしないと、崩れ去ってしまいそうだった。
触れた箇所から伝わる熱。遠い過去に無くした温もり。それがすぐ目の前にあるのに、こんなにも苦しい。

ああ、これこそが神から与えられた罰なのだろう。

霧隠?と名を呼ぶ鎌之介に縋るようにして、俺は静かに涙を零した。


120913






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