揺籃アングレカム 02


「才蔵の、浮気者ぉーっ!!」


教室に着いた途端、伊佐那海に罵られた。腹を狙って迫り来る足をひょいと軽く交わした才蔵は、伊佐那海の顔面を片手で引っ掴む。


「朝っぱらから訳わかんねーこと叫ぶんじゃねぇよ、馬鹿。ていうか浮気って何だ浮気って」
「う、うう…。昨日見たんだもん、才蔵がちょー美人の子と歩いてるの!」


昨日と言えば、イケメンから逃げる少女と出会った日だ。きっと伊佐那海はその時のことを言っているのだろう。面倒臭いことになったなと才蔵は溜息を吐く。そんな彼を見て、伊佐那海が頬を膨らませた。


「あの制服、伊達女のでしょ!? 才蔵もあんな高飛車なお嬢様ばっかがいる学校がいいの!?」
「人聞きの悪いこと言うな。絡まれたんだよ。てか高飛車って…お前何気に口悪いな」
「じゃあ……付き合ってないの?」
「当たり前だろ」


そう告げて、顔から手を離す。まだ不満そうな表情をしていたが一応納得したらしい伊佐那海は、それ以上問い詰めてくることはなかった。

鞄を机の上に放り投げ、自分の席に座る。昨日掃除を一緒にした男子の後ろの席だ。
いつものようにHRが始まるまで寝ようとしていた才蔵は、たまたま視界に入ったものに目を奪われた。


「おい、それ」
「へ? どしたよ霧隠」
「その写真!」
「あー、これ。昨日言ったじゃん。伊達女の姫だよ」


男子生徒の手の中にある携帯の画面には、昨日出会った少女の姿があった。明らかに隠し撮りと分かる角度からの撮影に、才蔵は呆れとほんの少しの苛立ちを感じる。


「何だよ、やっぱり気になるのかよ」
「こいつ……名前は?」
「由利鎌之介。男みてーな名前だけど、めっちゃ可愛いよなぁ。伊達女でNo.1の美人だぜ。あー、くそ、付き合いてぇぇー!」


ダンっと机に拳を叩きつけ、願望を口にするクラスメイトの手から携帯を奪い取った才蔵は画面をまじまじと見つめる。

変な女だとは思いながらも、類い希なる容姿の持ち主であるとは感じていた。女にさほど興味がない才蔵が思わず見とれるほどだ。恐らくこのクラスメイト以外にも、魅了されている人間は大勢いるのだろう。


「……………」


才蔵は無言で携帯を操作し、その写真を消去する。それを見ていたクラスメイトは「あああああ!?」とこの世の終わりだとでも言うような叫び声を上げた。


「ほらよ」
「ほらよ、じゃねーよ! お前何なの? Sなの?ドSなの?俺以外見るなってことなの?俺のこと好きなの?ホモなの?うわああああ姫ぇぇぇぇぇぇ」


かなり混乱しているらしいクラスメイトは、携帯を抱き締め机に突っ伏した。その様子を見ていた生徒たちは「ホモ…?」「えっ……?」「ベーコンレタス…?」一つの言葉にしか反応していなかった。

それらを総無視した才蔵は、自分の席に戻り寝る態勢に入る。昨日の少女の写真を持っているクラスメイトに感じた苛立ちは、一体何だったのだろうか。今までに経験したことない感情に、才蔵は戸惑っていた。


「由利、鎌之介」


小さく呟いた名前は、甘い響きを持って、チャイムの音にかき消された。


********


午後1時30分。既に午後の授業が始まっている時間に、鎌之介は保健室を訪れた。


「半蔵ー、寝に来たー」


堂々と仮病を使って授業をサボり、やって来た鎌之介に半蔵は呆れたような視線を向ける。


「またデスか? いい加減にしなサイ」
「うわっ先生っぽいこと言ってる」
「私、先生デスけど」


保険医である服部半蔵は、保健室常連者である鎌之介と仲が良かった。勝手知ったる保健室、鎌之介は自分の特等席である一番奥のベッドに一直線に向かう。靴を脱ぎ、ベッドに横たわった鎌之介はパタパタと両足を動かした。


「あー、学校だるー。早く帰りてー」
「君は本当に言葉遣いを使い分けるのが上手デスね」


他の教師やクラスメイト達には完璧な女言葉を遣うのに対し、半蔵や英語教師であるアナには男言葉を遣う。授業をサボるのは感心しないが、鎌之介の器用さだけは賞賛に値すると感じていた。

半蔵の何気ない一言に、鎌之介はぐっと息を詰める。昨日のことを思い出したからだ。

どことなくライズに似た顔立ち。掴まれた腕の熱さ。男らしい背中の広さ。ストラップを渡された時に触れた指の感触。その全てを鮮明に思い出し、鎌之介は知らず顔を赤くする。


「…この間、ヘマした」
「男言葉遣っちゃったんデスか?」
「うん。あー、あんな失敗すんの、半蔵だけだと思ってたのに……!」


たった一度の失敗。その相手は半蔵だった。入学当初、何故かしつこく迫ってくる半蔵にキレて、つい遣ってしまったのだ。あんな失敗は二度としないとあの日にきつく誓ったのに、この様である。我ながら情けない気分になる。

そもそも自分がこんな目に遭っているのは全て甚八のせいだ。甚八が悪いんだ。
鎌之介はそう自分に言い聞かせ、ベッドに寝転がる。その拍子に、スカートのポケットに入れていた携帯電話が転がり落ちる。それを拾った鎌之介は、両手で携帯電話を掲げた。

重量に従い垂れ下がるストラップは、昨日見知らぬ高校生に買って貰ったものだ。佐助の飼っているにょろに似ているストラップ。
これを手渡された時の、ぬるま湯にでも浸っているような、あの感情は一体何だったのだろうか。
資産家の娘である鎌之介は、幼い頃からたくさんの贈り物を貰ってきた。似たような人形も貰ったことがある。でもそれとは違う。

両親、ライズ、甚八、十蔵、半蔵、佐助からも何かを貰ったことがある。みな大切な人なのに、その時の温かさとは違う。
彼からのプレゼントは、今までに感じたことのない熱さを伴っていた。胸の奥がチリリと焦げるような、息苦しさを感じるようなものなのだ。

ストラップを見るたびに胸が強く締め付けられる。理解の範疇を超える感情に、携帯電話を胸に抱いた鎌之介は小さく溜息を吐いた。

すると、白衣を着た半蔵が鎌之介の様子を見にベッドの傍にやって来た。

「何だか本当に体調が悪そうデスね」
「そんなこと、ない……」
「ふぅん?」


顔を逸らす鎌之介に、半蔵は訝しげな表情を浮かべる。そして、鎌之介の携帯電話に付けられているストラップを見て、切れ長の瞳をすっと細めた。


「それ………」
「?」


大事そうに抱かれているストラップを凝視する半蔵に、鎌之介はきょとんとする。半蔵はベッドに片膝を掛け、ゆっくりと上体を倒す。すると、まるで鎌之介を押し倒しているかのような格好になる。
しかし悲鳴も罵倒も上げない。ライズによって純情培養された鎌之介は、この状況が端から見ればどう映るのか、全く分かっていなかった。


「うーん」


手を伸ばして鎌之介の唇に触れた半蔵は、相変わらずな反応に不満そうに眉を寄せる。


「本っ当につまらない反応デスねー。0点」
「は?」
「全く、ライズさんの趣味なんデスかね……純真無垢な少女って」
「??」


訳が分からないという風に目を丸くする鎌之介に、半蔵は深い溜息を吐き、ゆっくりと口を開いた。


「白いパンツが丸見えデスよ」
「え?……っ! 変態っ!!」


半蔵の手によっていつの間にか捲られていたスカートから下着が見えていたことに気付いた鎌之介は、顔を真っ赤にしてバッとスカートを抑える。

覆い被さられても何も感じないのに、下着を見られると照れる。危機感でいえば明らかに前者が勝っているのに。全くもって意味が分からない。本当にライズの趣味なのではないかと半蔵は本気でイケメン執事を疑い始めた。


「鎌之介、いるの?」


スカートを元に戻したところで、保健室に新たな人物が現れる。透き通るような妖艶な美声は、伊達女子学院高等学校のトップに君臨する美人教師のものだ。


「アナ」
「おや、珍しい」
「半蔵もいる………ちょっと、アンタ鎌之介に何してんのよ!」


美しい金髪を揺らしながら現れたアナは、半蔵にベッドに押し倒されているかのような姿の鎌之介を見て叫ぶ。
「やぁ」と片手を上げて笑う半蔵の無駄に長い三つ編みをガッと引っ掴み、乱暴に鎌之介から離れさせる。


「何してんのよこの変態保険医…!」
「おや、嫉妬デスか?」
「誰がするか!」


楽しそうにニコニコと笑う半蔵の腹に一発拳を叩き込み、アナは深い溜息を吐く。この男はまた鎌之介で遊んでいるのか。


「鎌之介、大丈夫? 何もされてない?」
「え、あ、うん」


ベッドに座り込む鎌之介を見ると、衣服にそれほど乱れはないし、半蔵が犯罪を犯したのではないと分かる。しかしいつかはやりそうで怖い。普段は他人に興味のない半蔵が、鎌之介に興味を持っているのだから。
高校にはライズも甚八も十蔵もいない。自分が鎌之介を守らなければ。アナは再度決意を固めた。


「アナ、何か用?」
「伝えたいことがあったんだけど…。サボりはよくないわね」
「ははは…。つ、伝えたいことって?」
「はぁ…。貴方に頼まれてたCDのことなんだけど、昨日、従兄弟に頼んで学校帰りに買いに行かせたら、買うの忘れて帰ってきたのよ」


CDというのはアナと鎌之介、二人がファンのバンドのアルバムだ。昨日発売されたため、アナが自分のものと鎌之介のもの、2枚分を従兄弟に頼んでいたのだが。


「えー、楽しみにしてたのに」
「ごめんなさいね。何か、訳の分からない女に絡まれたとか言い訳してたけど」
「はぁ? 変な従兄弟だな。訳の分からない女って何だよ。一目見てみたいっつーの」

怒る鎌之介を見て、アナは「今日の帰りも頼んで見るわ」と携帯を取り出す。それを何気なく見ていた鎌之介は、携帯の待ち受け画面を見て目を見開いた。


「アナ、それ!」
「え?」
「ま、待ち受け!」
「ああ、これ。なかなかイケメンでしょ?」


お使いを忘れた従兄弟なんだけどね。そう言って笑うアナに、鎌之介は何も反応出来ない。不機嫌そうに寄せられた眉。だるそうな雰囲気。しかしどことなく怜悧な空気を漂わせている相貌。

待ち受け画面にでかでかと映っているのは、昨日鎌之介が巻き込んだ男子高校生だった。


120823


top





人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -