ン 02




高校生になっても、日常は変わらなかった。朝起きて、飯を食って、学校へ行って、つまらない授業を聞いて、家に帰って、また飯を食って、風呂に入って、寝て、また起きる。全く同じサイクルを繰り返すだけ。何の変哲もない、本当に平和な日常。

ただ、一つだけ。今までとは変わったことが、あった。


「霧隠!」


どこにでもある平凡な昼休み。教室の窓から身を乗り出して俺の名前を叫んだのは、昔からよく知っている奴だった。


「俺とヤろうぜ!」


またそれか。昔と一切変わらない言葉に呆れと、ほんの少しの切なさがよぎる。

燃えるような赤髪も、顔に刻まれた刺青も、白い肌も、大きな声も、何一つ変わらないのに。


「無視すんなよ、霧隠!」


俺のことを、才蔵とは、呼ばなくなった。


********


鎌之介には記憶がなかった。出会った当初の伊佐那海のように、何もかもを忘れていた。容姿は昔と同じなのに、共に生きた記憶だけが、消えていた。

再び出会ったとしても、前世の記憶があるとは限らない。それは分かっていた。だが、心のどこかでは鎌之介は覚えているはずだと思っていた。否、信じたかった。

そんな浅はかな希望は、冷たく払われた手に残る痛みであっさりと打ち砕かれた。


『誰だよ、お前』


あの言葉が、数ヶ月経った今でも胸に深く刻まれている。


********


「そうか…鎌之介は、覚えていなかったか」


幸村のオッサンの呟きが虚しく響く。俺を含めた記憶のある勇士たちは、現在伊佐那海の実家に集っていた。伊佐那海の家は神社で部屋がかなり広い。大人数で集まっても支障がない為、こういう集まりの時は大抵伊佐那海に場所を提供してもらっていた。

俺の報告により集まったかつての仲間たちの表情はみな一様に暗かった。

鎌之介との再会を果たした週の日曜日。俺は勇士たちを呼び出した。新たな仲間と再会する度に、こうした集まりを開くのが通例となっていたのだ。この時、再会を果たした人物も共に連れてくるのだが、俺は鎌之介を連れてこなかった。

以前筧さんが記憶のない佐助や甚八を連れてきたように、自分もそうすれば良かったのかもしれない。だが、またあの知らない者を見るような訝しげな目で見つめられることに、堪えられなかった。

純和風といった様相の伊佐那海の実家は、出雲に足を踏み入れた時のことを想起させる。出雲で服部半蔵と刃を交えていた時、鎌之介がやって来たのだ。あの、自信に満ち溢れた無邪気な笑みを浮かべて。

六郎さんが敷いた座布団の上に座ったオッサンは、小さく溜息を吐く。今の世界ではモデルをしているこの男は、悩ましげな顔さえ様になっている。

「鎌之介は……変わってなかったか?」
「……ああ。ちっとも、変わってない」


容姿だけは。心の中だけでそっと付け加える。

短い沈黙が落ちる。すると伊佐那海が携帯を素早く操作して、ディスプレイをオッサンたちに突きつけた。


「はい、これ。鎌之介だよ。隠し撮りしたのだけど」


いつの間に撮影したのだろうか。疑問には思ったが詳しくは尋ねなかった。
オッサンたちは興味津々といった様子で伊佐那海の携帯を覗き込んでいた。


「ほんとだ。鎌之介だ」
「あら。変わらないわね」


弁丸とアナがそれぞれ感想を洩らす。オッサンや六郎さん、筧さんも鎌之介の元気そうな姿を見て少しだけ安堵したようだった。

伊佐那海が携帯を仕舞い込んだ時、障子の向こうから声が掛けられた。


「伊佐那海。お茶と団子を持ってきたぞ」
「あっお兄ちゃん! も〜遅いよ〜」
「すまんすまん」


苦笑いしながら部屋に入ってきたのは、清海だった。前世の時のような格好は相変わらずだ。ただし、鎌之介と同じく記憶はないのだが。


「あっ、コラ才蔵! 伊佐那海に近づきすぎだぞ!」
「はぁ?」
「おっちゃん、シスコンも大概にしときなよ」


この世界で、清海は伊佐那海と血の繋がった本当の兄弟になっている。どうやら転生というのは、本来兄弟関係になかった人物と兄弟になる可能性もあるらしい。もしかしたら才蔵にも兄や妹がいたかもしれない。事実、六郎には双子の弟以外にもう一人妹がいるらしい。ちなみに弁丸はこちらの世界でも六番目の子供らしい。


「弁丸。拙僧はシスコンではないぞ」
「はいはい。おっちゃんは関係ないんだからあっち行って!」
「む……。本当にお主たちは一体どんな関係なのだ?」
「おっちゃんには分からないよー」


記憶がない清海にしてみれば、クラスメートの俺ならまだしも、モデルとして有名なオッサンやそのマネージャーである六郎さんとの関係は理解できないのだろう。

首を捻る清海を、弁丸がさっさと部屋から追い出した。少しだけ、清海が可哀想に思えた。
伊佐那海の実家である神社近くに住む小学生である弁丸は清海に懐いていた。それは勿論、前世で仲が良かったことが大きい。きっと弁丸は清海に記憶を取り戻してもらいたいはずだ。だが、弁丸は清海に前世の話をすることは一度もなかった。


「才蔵、鎌之介のことはどうするつもりだ?」
「どうって……」


筧さんに問われ、思わず口ごもる。

鎌之介には、記憶を取り戻してほしい。また昔のような関係に戻りたい。また鎌之介に、才蔵と呼ばれたい。

だが、同時に恐れもあった。鎌之介との別れ方は、あまりにも酷い。一人泣き叫ぶアイツを置いて、俺は死んだ。きっとあの記憶は、鎌之介にとって消したいものなのだろう。だとしたら。


「……このままで、構わないと思ってる」
「なんだと?」


その場にいた全員が驚いた表情を浮かべた。それもそうだろう。記憶がないままでいいということは、鎌之介との関係を無かったものにしてしまうのだから。


「才蔵、それ本気で言ってるの?」


伊佐那海の静かな瞳が俺を見据える。俺と鎌之介の関係は、伊佐那海が一番良く知っている。だからこそ、その言葉が強く響いた。


「ああ」


この一言を口にするのに、酷く胸が痛んだ。今まで築いてきたもの全てを放り捨てるようなものだ。けれど、鎌之介は今のままの方が幸せだろうから。何もかもを忘れてしまった、ただの高校生の方が。鎌之介は、


「いいんだ」


俺を忘れてしまった方が、幸せなんだ。


********


「きーりーがーくーれ! 今日こそ俺とヤり合いやがれ!」


中学時代の俺の喧嘩遍歴を聞きつけてきたらしい鎌之介は、毎日毎日喧嘩をふっかけてきた。それを毎回毎回のらりくらりと適当に凌ぐ。喧嘩なんて冗談じゃない。


「断る!」


廊下を全力疾走し、鎌之介から逃げる。「待ちやがれ!」という言葉には耳を貸さない。

走るスピードは俺の方が上だ。鎌之介との距離がどんどん開く。この状態だとそう経たない内に撒けるだろう。


「霧隠!」


……鎌之介と離れることを、今の状況を望んでいる筈なのに。鎌之介との距離が長くなる度に、胸の痛みは増していった。


120814



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