揺籃アングレカム 01
放課後。非常に気怠い時間帯だが、授業が終わった為か、生徒達は早く帰宅するべく真面目に掃除をしている。
才蔵は自分の胸辺りまで柄がある箒に凭れ掛かりながら、はきはき動くクラスメート達をぼんやりと眺めていた。
「そういえばさー、俺、成功しちゃったんだよ! 姫の撮影に!」
「えっまじかよ。姫って伊達女子学院高校の?」
「それ以外どこにいんだよ! あんな美人」
「うっわ嘘だろ。写真送れ!」
「やだよ!」
アホらしい。比較的仲の良い部類に入る男子達の会話に心中で呆れ返る。
彼女が出来ないからといって、近郊にある女子高の生徒を盗撮(会話から推測するに間違いなく盗撮)するとは。
彼女だの何だのと、そういう浮き足立った話題に興味のない才蔵はさっさと掃除道具を片付ける。
すると背後からぐっと肩に腕が回された。
「フッフッフッ。才蔵君や。姫の写真、羨ま」
「興味ねぇ」
「最後まで言わせて!?」
皆まで言わせず、才蔵は鞄を持って教室を出た。
********
そもそもどうしてそこまで彼女を欲しがる。その神経が分からない。彼女がいることが一種のステータスだとでもいうのだろうか。
才蔵は女に興味がなかった。当然、男にもない。女は面倒臭いのだ。嫉妬深いし、表の顔と裏の顔の差が激しいし、いいことなんか一つもない。現在才蔵が親しくしている女性など、伊佐那海と隣に住んでいるアナくらいのものだ。あと母親。
人でごった返す繁華街を歩く。アナにおつかい(という名のパシリ)を頼まれていのだ。自分で買いに行けよと軽く悪態を吐きつつ、目的の店が通学路近くにあるのだから仕方がないとも思う。
取り敢えずアナに頼まれた物を購入しよう。そう考え、店がある方向に足を向けた瞬間。
ガシッと襟首を物凄い力で掴まれた。
「!!?」
「動かないで!」
突然背後を取られ、何故か背中をぐいぐいと押される。まるで楯にでもするかのように道に押し出された才蔵は、眉を寄せて背中に張り付いている人物を見る。
「おい、一体何―――」
何の真似だ。そう言おうとして、口が止まる。怒るのを止めようとしたのではない。目に飛び来んできた鮮やかな色に、言葉を奪われたのだ。
燃えるような赤髪。輝く宝石のような翡翠の瞳。透き通るような白せきの肌。まごうことなき美人が、才蔵の背中に隠れるようにして立っていた。
数拍言葉を失った才蔵は、何者かを呼ぶ声にハッとする。切羽詰まったようなその声は、だんだんと才蔵たちの方へと近づいてきた。
「姫! どこに隠れているんです!?」
仕立てのよい漆黒のスーツに、肩まで伸びた同色の髪。切れ長の瞳は深い蒼で、これまたまごうことなきイケメンだった。
あの西洋風の男が「姫」と呼ぶ度に、背後にいる少女がギュッと才蔵の制服の裾を掴む。どうやらこの少女はあの男から逃げているようだった。
「おい、アイツお前のこと探してんぞ」
「煩いわね、分かってるわよそんなこと! ちょっと、動かないでよ! ライズに見つかるでしょ!?」
有り得ないほどの美人だと思ったが、口はさほど良くないらしい。ふぅ、と小さく溜息を吐き、才蔵はその場から立ち去ろうとする。
「あああ、待って待って、動かないで! ライズは目がいいからバレちゃうじゃない!」
ぐいぐいと制服を掴まれ、結局元の場所に戻される。何なんだこの変な女は。才蔵の不信感はますます強まった。
「……………」
正直に言って、面倒臭い。明らかに厄介事に巻き込まれている。今すぐ家に帰りたい。だが。
「―――こっち来い」
「えっ……?」
何故か放っておけなかった。才蔵は少女の腕を掴んで歩き出す。あのイケメンに見つからないように、少女を隠すようにして。少女は戸惑う気配を見せるが、結局は大人しく才蔵について来た。
********
二人が入店したのはほど近くにあった喫茶店だ。繁華街にあるといっても、それなりに奥まった場所にあるため、客足は全くと言っていいほど少なかった。人の少ないこの喫茶店なら、あの男とて立ち寄らないだろうし、何よりゆっくりと話が出来る。今の状況に、これ以上相応しい場所はないだろう。
「ほら、飲めよ」
「……ありがとう」
向かい合うようにして席に座り、注文した紅茶を勧めれば、少女はチラチラと才蔵を窺いながらもカップに口をつける。随分と用心深く紅茶を飲む様子に、毒でも盛ってるわけじゃあるまいし、と内心思う。
ちびちびと紅茶を飲む少女を頬杖をつきながら眺める。こうして真っ正面から見ると、かなりの美人だということが改めて分かる。先程から数少ない客たちが、ちらちらと少女を見ているのを感じる。
「で、お前何で逃げてたんだよ」
「………いろいろあって」
「何だよいろいろって」
「いろいろはいろいろでしょ」
「いやだからいろいろってどういう」
「だから、いろいろあんだっつーの! 察しろよ馬鹿!」
「………は?」
「……………あ」
しまったと口元を慌てて押さえる少女の向かいで、才蔵はぽかんとする。先程まで女らしい言葉を使っていた人物が、急に自分と変わらない乱暴な言葉遣いに変われば驚くだろう。
気まずい沈黙が流れる。居たたまれない空気を破ったのは少女の方だった。
「あああ最悪だもう! ちゃんと女言葉使えてたのに! こんなミスしたの、一回しかなかったのにぃぃ…!」
頭を抱えてテーブルに突っ伏す少女に事情を訊けば、今度はすんなりと教えてくれた。
少女はどこぞの名家(詳しくは教えてくれなかった)の娘で、幼い頃からお姫様のような言葉を使うよう教育されていたらしい。
しかし、小学生になる少し前にやって来たボディーガードの言葉を真似て遊んでいる内に、いつの間にか男言葉が定着してしまったのだという。
それはまずいということで、少女は普段は女言葉で女らしく過ごしている、らしい。
「あー、もうやだ。こんなヘマ、本当に一回しかしたことなかったのに……。そもそもアイツの口調が移ったから……甚八のせいだ…!」
「はぁー……」
場所や人によって言葉を使い分けるなんて。女とは何て恐ろしいのだろうか。才蔵の女性に対する不信感は更に増した。
「じゃあ、そっちの男言葉がお前の本来の喋り方なのか?」
「……まぁ、そういうこと」
「それなら、俺の前では男言葉で喋れよ」
「は?」
「別に誰かに言ったりしねぇし。俺はそっちの方が好きだし」
嘘の言葉より、真実の言葉の方が良い。それに、この少女には何故か男言葉の方が似合っている気がした。外見は完璧すぎる少女なのに。
才蔵の言葉を聞いた少女は、きょとんとした後、ボッと顔を赤く染める。突然どうしたと驚く才蔵を少女は睨んだ。
「す、好きとか、きっ、気持ち悪いこと言うなよ!」
「はあ?」
「…っ。あーもー、いい。帰る!」
口を挟む隙も与えず、少女が立ち上がる。その時になって、少女が伊達女子学院高校の制服を着ていることに気づいた。お嬢様学校として名高いあの高校なら、こんな少女が居ても不思議ではないだろう。
才蔵がそんなことを思っている間に少女は喫茶店を出てしまう。何故ライズとかいう男から逃げていたのかさえ訊けていない。才蔵は代金を支払ってから、慌てて少女を追った。
「おい、待てよ」
「ついてくんな!」
足早に歩く少女は、才蔵から逃げるように街中を突き進む。もしかしたらこのまま逃げられるかもと懸念した時、唐突に少女の足が止まった。
そのお陰で才蔵は少女に追いつくことが出来た。
立ち止まる少女の視線の先を追えば、そこにはガラス越しに飾られたイタチの携帯ストラップがあった。少女はそれを食い入るように見ている。
「……それ、欲しいのか?」
「別に……。ただ、にょろに似てると思ったから……」
「にょろ?」
良く分からなかったが、とにかく少女はそのストラップが酷く気になるようだ。口調は男寄りだが、こういう物に興味があるところは女らしいと思った。
「ちょっと待ってろ」
「え………」
短く言い残して、才蔵は店に入る。どうしたんだとしよが驚いている間に、才蔵が店から出てくる。本当にちょっとしか待たなかった。きょとんと見上げてくる少女の手を掴んだかと思うと、その上にぽとんと何かを落とす。
「これ………」
「それやるから早く帰れよ。……そろそろこの辺も物騒になってくるしな」
才蔵が少女に渡したのは、あのイタチの携帯ストラップだった。大した額ではなかったし、何となく、才蔵自身がプレゼントしたくなったのだ。
少女はストラップを両手の平で持ち、きらきらと輝く瞳で見つめている。そんなに嬉しかったのだろうかと眺めていると、少女がバッと顔を上げて才蔵を見た。
「あ、ありがとう!」
そう言った顔が、本当に嬉しそうで。才蔵は視線を奪われる。アナも相当な美人だが、才蔵には少女の方が輝いて見えた。
「姫っ!」
遠くの方から、男の声が飛んでくる。「あーあ、見つかったかー」とさして残念そうでもなく呟いて、少女は走り出した。
「えーと……匿ってくれて助かった! あと……ストラップありがと!」
じゃあな!手を振りながら、少女は去っていく。短いスカートが翻り、それもやがて人混みに紛れて見えなくなった。
黙って見送っていた才蔵は、家に帰ろうと歩き出したところでようやく気づく。
「……そういや名前訊いてなかったな」
そして自分も名乗ってはいなかった。少女の名前を知ることが出来なかったのは少し残念だったが、そこまで落胆はしなかった。……またどこかで、会えるような気がしたからだ。
何故そんな気がするのか。何故また会いたいと思うのか。それは分からなかったが、いつか来るかもしれない再会の時を想い、才蔵は帰路に着いた。
―――アナのお使いをすっかりと忘れて、彼女に殴られるとは知らずに。
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