ン 01





昔から記憶に残るのは、血と白煙と身が震えるような殺気と。

誰よりも大切で、誰よりも愛していた者の笑顔。


無邪気に笑う姿も、照れたように笑う姿も、怒った後にちょっとだけ笑う姿も、全て鮮明に覚えている。それなのに。


『才蔵……っ!』


一番強く記憶に残っているのは、自分の顔を覗き込んで涙を流している姿だった。


********


携帯のアラームが鳴る。耳障りな音を立てるそれを乱暴に切りながら、ベッドから這い出るようにして起き上がる。まだ少し眠気が残っているが、世界はやたらとクリアだった。


「また、か」


今日見た夢は、夢ではなく現実に起こったことだ。夢という表現は正しくはないのだろうが、夢にしか思えないのだから仕方ない。先程まで見ていたものは、過去の自分の記憶なのだから。

ハンガーに掛けていたブレザーを手に取る。濃紺のそれを着込みながら短く溜息を洩らす。今日から自分は高校生になるのだ。もう、15歳なのだ。……15年も、出会えなかったのだ。

筆箱とファイルしか入っていない軽い鞄を手にして階段を下りる。リビングに行くと、母親が朝ご飯を作っていた。炊飯器から立ち上る湯気を見つめながら、昔は火が必要だったのにな、と下らないことを考えた。


********


俺には生まれた時から一つの記憶があった。それは酷く鮮烈で、悲惨で、幸福な、訳の分からない記憶だった。

自分は忍で、主がいて、十勇士と呼ばれる仲間がいて。刀を握って人を斬り、仲間と笑い合い、そして一人の人間を愛した。そんな、記憶だ。

父や母にその話をすると、いつも不思議がられた。そうなの。変な夢ね。怖かったでしょう。そんなことばかり言われた。違う、夢じゃない、本当のことなんだ。いくら言っても、両親はただ聞き流すだけだった。

その記憶は酷く苦しかった。楽しいことはいっぱいあったはずなのに、最後の記憶…おそらく俺が事切れる寸前の記憶があまりに強すぎて、楽しい日々は霞んでしまった。

ただ、一つだけ。俺の名を呼ぶあの声は。引き止めようとするあの腕は。好きだと訴えるあの瞳は。深く自分の中に根付いている。それはきっと。

俺が心の底から愛した、唯一の存在だったから。


********


「才蔵、おっはよー!」


真新しい制服に身を包み、同じ格好をした人間たちに混じって高校への道を歩いていたら、背中を強く叩かれる。誰だか疑問に思う必要もない。


「伊佐那海、テメェ……」
「才蔵、顔怖ーい。そんなんじゃ友達できないよ?」
「いらねーよ、そんなもん」


素っ気なく答えれば、伊佐那海は少しだけ笑った。


********


伊佐那海とは、中学2年の時に出会った。

その当時、俺は荒れていた。前世の記憶があったおかげで、物の見方が同年齢の奴より大人びていたし、昔とあまりに違う環境に若干の戸惑いがあったからだ。上手く周りに溶け込めず、いつしか他人と関わること自体が面倒になって、何もかもを諦めていた。何よりも、一番会いたい『アイツ』がどこにも居なかったから。この世界は酷くつまらなかった。

無気力な姿が気に食わなかったのか、上級生には毎日のように喧嘩を売られた。その相手をしているうちに、いつの間にか中学では問題児扱いされていた。

そんな時、伊佐那海と出会ったのだ。転校生としてやって来た中学2年の教室で。なんて事はない、ただのクラスメートとして。

記憶の中に残る人物との再会は、伊佐那海が初めてだった。『アイツ』どころか、オッサンや佐助とさえ出会うことはなかった。だから、初めて伊佐那海を目にした瞬間、思わず泣きそうになった。

だが、伊佐那海は何も覚えていなかった。奇魂に似た髪飾りをつけているのに。今の世界でも神社の娘なのに。確かに伊佐那海なのに。前世の記憶は全く残っていなかった。

やはり俺は一人なのだ。きっとこれは、罰なのだろう。『アイツ』を置いていった、罰なのだ。
俺は更に荒れた。今までの非じゃないくらい、暴れまくった。いま思い出せば恥ずかしいことばかりだが、他校の奴と喧嘩ばかりしていた。

そんな時に、筧さんに出会った。前世の記憶を保持している、昔の仲間に。教師として学期途中で赴任してきた筧さんは、俺を覚えていた。俺と同じように、前世であった全てのことを知っていた。

筧さんは、オッサンや六郎さん、佐助、甚八の所在を知っていた。佐助や甚八は記憶がないらしいが、オッサンや六郎さんにはしっかりと残っていて。直接会って話した時は、胸の奥が締め付けられた。自分を覚えてくれている存在がいることが、こんなに嬉しいとは想像もしていなかった。

そして、アナ。彼女とは中学3年の時に再会した。俺の母親の友人の子として。来年から大学生になる為、大学の近くに一人暮らしをする予定だったのだが、女一人では心配とのことで、たまたま大学に近い所に家があった俺の母親を頼って来たのだ。突然「今日から一緒に暮らすアナスタシアちゃんよ」と母親に紹介され、ぶったまげたのは仕方のないことだと思う。

次々と再会することのできた昔の仲間のお陰で、荒んでいた俺は救われた。前向きに生きることができた。伊佐那海ともちゃんと向き合うことができた。

俺はしつこいくらいに伊佐那海に前世の話をした。初めは不思議そうな顔をしていた伊佐那海も、だんだんと記憶が蘇ってきたのか、何度か前世に起きた出来事を口にするようになった。そして、帰り道の途中で立ち寄ったうどん屋でうどんを食した時に、彼女の記憶は全て蘇ったのだ。


********


その後、伊佐那海のお陰で清海と弁丸にも再会した。清海は記憶がなかったが、弁丸は覚えていた。

伊佐那海、アナ、オッサン、六郎さん、佐助、筧さん、甚八、清海、弁丸。もう二度と会えないと思っていたのに、短期間で再会することができた奇跡に感謝すべきだろう。……ただ、一人だけ。『アイツ』にだけは、会うことができなかった。


「才蔵」
「ん? 何だ?」
「……会えると、いいね」
「………そうだな」


幼稚園、小学校、中学校。新しい世界に足を踏み入れる度に、『アイツ』を探した。だけど一度も見つけられなかった。
もしかしたら、転生していないのかもしれない。違う姿になっているのかもしれない。そんな可能性はいくらでもあった。だけど。


「会えるさ、きっと」


俺はきっと、死ぬまで『アイツ』を探し続けるだろう。一人にしてしまったことを謝るために。伝えきれなかった想いを伝えるために。傍に居られなかった時間を埋めるために。


「あっ、クラス表もう出てる!」


入学する高校に入った途端、伊佐那海が声を上げた。校門から少し歩いた所に、クラス分けが書かれた表が張り出されている。


「私と才蔵のクラス、確認してくるねー」


俺と同じ新入生たちが群がっている中に飛び込んでいく伊佐那海の後ろ姿を眺めながら、辺りを見回す。
これはもう習慣のようなものだ。『アイツ』をつい探してしまうのは。無駄だと分かっているのに、何故か止められない。きっと心のどこかでは、諦めきれていないのだろう。

桜が舞う。目の前にひらひらと落ちてきた桜の花弁を、手のひらで受け止める。そして、何気なく、桜が落ちてきた方角に、視線を向けた。


「―――……は、」


グラウンドに聳え立つ桜の木の下に、さらさらと揺れる赤髪があった。心の奥で何かが音を立てて弾ける。人混みに紛れて一瞬しか見えなかったが、妙な確信があった。

あれは、遠い昔に置き去りにしてしまった愛しい存在だと。

新品の鞄が落ちる音がしたが、無視した。伊佐那海の叫び声も、気にならなかった。
群れる人を押しのけて、地を駆ける。何も考えてなかった。ただ、早くあの手を掴みたかった。

昔、手放してしまった、あの手を。

最後の一人を押しのけて、手首を掴む。少し走っただけなのに、やたらと息が上がっていた。馬鹿みたいに心臓がバクバクと音を立てている。

怖い。嬉しい。嫌だ。お願い。相反した想いが脳内を駆け巡る。『アイツ』であって欲しいのに、向き合うのが怖かった。

赤髪が揺れ、白い肌が視界に映る。何度も焦がれた、翡翠の瞳が俺を射抜いた。ああ。やっぱり『アイツ』だった。会いたかった。抱き締めたかった。また、名前を呼んで欲しかった。何よりも大切で、何よりも愛した存在が、いま、目の前にいた。

長年求め続けた存在は、掴まれた手首を一瞥し、大きく見開かれたの瞳が数回瞬き、訝しげに柔らかい唇を小さく動かした。


「誰だよ、お前」


きっと、会える。そう信じていた。初めから笑い合えるなんて甘い想像はしていなかった。甚八や清海のように、過去を覚えていない可能性だって、充分想定していた。それなのに。

どうしてこんなにも、傷付いてるんだ。

これが、『アイツ』を―――鎌之介を、置いて逝ってしまった、罰なのだろうか。

俺にはそれさえ、分からなかった。


120716



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