花枷アルメリア 09




帰還した上田城にて簡単な手当てを受けた才蔵は、幸村の前に腰を下ろしていた。傍には六郎が控えており、才蔵の後ろには勇士たちが勢揃いしていた。ただし、佐助だけは別室にいる鎌之介の元にいた。


「よくやった、才蔵。無事で何よりだ」
「ああ」
「鎌之介の様子はどうだ?」
「傷の治療はアナと伊佐那海がしてくれた。今は佐助が傍についてる」


才蔵の応えに幸村は小さく頷く。鎌之介の身体は傷だらけで、至る所に怪我があった。治療は基本的に佐助の役目だが、鎌之介が女性であるということもあってアナと伊佐那海が代わりに手当てをしたのだ。

才蔵の後方に座っている伊佐那海の目は真っ赤になり、まだ微かに潤んでいた。皆が生きて帰った嬉しさと、鎌之介の酷い状態を目の当たりにした悲しみとが入り混じった複雑な表情を浮かべている。その隣では清海が心配そうに妹を見つめていた。


「悪い、オッサン。服部半蔵の生死は分かんねぇ」
「構わん。儂はお前や鎌之介たちが無事ならいい」
「オッサン……」


幸村にとって、数日前のあの決断は辛く苦しいものだった筈だ。それなのに自ら憎まれ役を買って出るような真似をして、才蔵を引き留めた。
その判断は確実に正しかった。半蔵との死闘を終えた後だからこそ良く分かる。数日前の負傷した状態でもし半蔵と戦っていれば才蔵は今ここにはいないだろう。

自分の主の大きさを改めて感じた才蔵は微かに頭を下げる。それに幸村は笑ってみせた。部下の無事を心の底から喜んでいる、笑顔だった。


********


鎌之介が眠っている部屋を才蔵が訪れると、そこには佐助はおらず幸村が静かに座していた。

ジッと鎌之介の横顔を見つめていた幸村は才蔵に気付き顔を上げる。そして、緩く口角を上げて微笑んだ。


「才蔵か」
「来てたのか」
「ああ……」


幸村の反対側に座った才蔵は鎌之介を見る。未だに目覚める気配を見せない鎌之介の肌は青白く、生気がない。命に別状はないとのことだが、本当に目を開けてくれるのか心配になる。

布団に散らばる朱髪に指先で優しく触れた幸村は、ぽつりと呟く。


「鎌之介は、儂を恨むであろうな」
「え……?」
「儂が止めさえしなければ、もっと早く苦しみから逃れられたかもしれん」


鎌之介がどんな目に遭っていたのか。才蔵は必死に自分を抑えながら幸村たちに報告した。六郎も十蔵も憤怒していたが、幸村は始終冷静だった。だが、この言葉を聞いて彼が内心でどれほど怒りに燃えていたのかが知れた。


「こんな少女に、儂は耐えろと言っていたのだな」


才蔵が目覚めて半蔵の隠れ家へと向かうまでの2日間。幸村は鎌之介が陵辱されていると知っていたのに助けに行かせなかった。正しい判断だと、間違いない答えだったと思っている。だが、鎌之介のボロボロの身体を見た瞬間に確かな後悔を感じた。抱き締めれば簡単に折れてしまいそうな華奢な身体の少女に、大きな苦しみを味あわせてしまった。

それを知った鎌之介はきっと幸村を恨む。何故早く助けてくれなかったのかと。自分を見捨てたのかと。責めるだろう。それは当然の権利だ。

触れる権利さえないと幸村は朱髪から手を離す。その様子を見ていた才蔵は、静かに口を開いた。


「鎌之介を見くびんな、オッサン」
「才蔵……?」
「こいつは、鎌之介はそんなこと思わねぇよ」


思いつきなんかじゃない。慰めなんかじゃない。才蔵は確信を持っていた。鎌之介は幸村のとった判断を知ったとしても彼を恨みはしないだろう。それは、鎌之介と付き合っていた才蔵だからこそ持てる確信だ。


「鎌之介を助けたとき、アイツ俺が生きてて良かったって言ったんだ」
「………!」
「オッサンの判断は、間違ってなんかねぇよ」


幸村の命令に従っていなければ才蔵は確実に死んでいた。もし才蔵が死んでいたら、鎌之介はどうなっていたか分からない。自分を助けに来た才蔵が死んでしまっていたら、きっと鎌之介は堪えられない。幸村の判断は、本当に正しかった。


「………そうか」


幸村は、小さく笑った。自分より年下の青年に励まされている自分が情けない。けれど、それがやけに心地良かった。

鎌之介の朱髪に再び触れ、幸村は目を閉じる。その様子を見つめていた才蔵は、昏々と眠る鎌之介に視線を移した。何よりも愛しいこの少女の笑顔が、見たかった。


********


それから1日が経った。

鎌之介の看病は相変わらず佐助が請け負っている。医療に関する知識で佐助に適うものはいない。身体の傷の手当てはアナと伊佐那海が行っているが、発熱している鎌之介の世話は佐助が引き受けていた。

才蔵は毎日時間があれば鎌之介の元を訪れていた。才蔵自身完全に傷が癒えていない状態のまま半蔵と戦い、更なる怪我を負った。本来なら才蔵も絶対安静なのだが、彼の気持ちを思うと誰も止めることが出来なかった。

鎌之介が眠っている部屋に向かって廊下を歩いていた才蔵は、目的の部屋から大きな物音がして弾かれたように走り出す。


「鎌之介っ!?」


一体何があったのか。開いていた襖を抜けて室内に飛び込むと、まず床に散らばった薬箱が目に入った。次いで、衝撃に目を見開き固まったまま動かない佐助が視界に入る。そして、彼の視線の先を見た瞬間―――才蔵は心臓が止まるかと思った。

佐助の正面には、鎌之介がいた。布団で眠っていた鎌之介が、目を開けていた。壁に背をつけて床についた手を握り締めている。翡翠の瞳は見開かれ、包帯に包まれた華奢な身体は微かに震えていた。


「鎌之介……?」


目覚めたのかと喜んだのも束の間、才蔵は鎌之介の様子に違和感を感じる。鎌之介は佐助を恐れているかのように距離を取ろうとしていた。壁に背を張り付けさせ、首を微かに横に振って。

佐助は足元に散らばる薬を拾うこともせず、ただ呆然としている。中途半端に上げられた腕は目的を見失ったかのように宙をさ迷っている。

可笑しい。才蔵の違和感は確実に増大していた。鎌之介の様子が、変だ。まるで何かに―――佐助に怯えているように見えた。


「鎌之、介………?」


才蔵は佐助の傍らをすり抜けて鎌之介に近付く。白い寝間着から覗く素足には包帯が巻かれている。急に動いたせいで傷口が開いたのか、包帯に血が滲んでいた。それを見た才蔵は鎌之介の前に膝をつき、ゆっくりと手を伸ばして―――。

パシン、と乾いた音が室内に響いた。

才蔵の目が見開かれる。鎌之介へと伸ばした手は、包帯が巻かれた細い手によって拒まれた。―――鎌之介に、拒絶されたのだ。


「鎌、之介……?」
「い、や……」
「おい、鎌之介、お前どうし―――」
「いやぁっ!」


拒絶されたことが信じられなくて、才蔵は再度手を伸ばす。しかし鎌之介の口から発せられた悲鳴にその手は動きを止める。恐怖に彩られたか細い声。才蔵が今までに聞いたことのない声だった。


「いや、いや、いやぁ……っ! 来るな、来ない、で……!」
「鎌之介!? 俺だ、才蔵だ!」
「やだ、怖い、やぁ……っ」


両手で頭を抱えてガタガタと震える鎌之介に近付けば、悲鳴はさらに悲痛さを増す。鎌之介の拒絶の声が才蔵の心臓を貫く。今まで鎌之介に拒絶されたことなど、恐怖を感じられたことなど無かった。

どうやら鎌之介は才蔵を才蔵だと認識していないらしく、涙を浮かべて嫌だと叫ぶ。才蔵と佐助を拒絶し錯乱する鎌之介を前にして、どうしたらいいのか分からずただ呆然とする二人の元にアナが飛び込んで来た。どうやら騒ぎを聞いて駆けつけたらしい。


「どうしたの!?」


室内を見渡したアナは固まる佐助と才蔵を見て、次に嫌だと泣く鎌之介に視線を移す。それだけでアナは何が起こったのかを把握したらしく、きゅっと唇を噛んでから佐助と才蔵の襟首を引っ付かんで部屋から追い出した。

情けなく廊下に転がる二人をアナは痛ましそうに見つめ、小さく呟く。


「才蔵、佐助。お願い、鎌之介に近付かないで頂戴」
「な―――」
「お願い」


そう言い捨てて、アナは襖をピシャリと閉じた。才蔵と佐助は廊下に転がったまま、しばらくの間動くことが出来なかった。


********


「鎌之介は男を恐れてるわ」


幸村たちが集まった部屋で、アナはそう告げた。

鎌之介が目覚めたという知らせはすぐに勇士たちに知らせられた。しかし鎌之介の様子がおかしい。アナには絶対に部屋に入ってくるなと念押しされたので、才蔵も佐助も他の勇士たちも詳しくは分からなかった。

鎌之介の手当てを終えて戻ってきたアナが告げた言葉は才蔵たちに激しい衝撃を与えた。


「もしかしたらこうなるんじゃないかってある程度想像はしていたけれど……」


眉間に皺を寄せるアナは苦しそうに息を吐いた。


「正直想像以上だったわ。鎌之介が受けた傷は、見た目では分からないほど深かったのよ」


数日間に及び数名の男たちから筆舌に尽くしがたい暴行を受けた鎌之介は、男という存在自体に恐怖を感じるようになっていた。

佐助は鎌之介の熱を下げるために額に置いていた布を代えようとした。ちょうどその時、鎌之介が目覚めた。驚いた佐助はしかしすぐに喜んだ。待ち望んでいた瞬間が訪れたのだ、喜ぶのは無理もない。佐助は鎌之介の名前を呼んでそっと手を伸ばしたが、それは才蔵の時と同じく拒まれた。


「そん、な……」


才蔵は愕然とした。鎌之介に拒絶されただけでも衝撃的だったのに、まさかこんなことになるなんて。まだ手には鎌之介に払われた時に受けた衝撃が残っている。


「我、鎌之介、怖がらせた……」


佐助はギュッと両手を握り締めて俯く。彼もまた才蔵と同じく衝撃を受けていた。

幸村だけでなく六郎たちも沈痛そうに顔を歪めた。アナは小さく溜息を吐いて緩く首を振った。


「とにかく、みんな鎌之介には近付かないで頂戴。下手に刺激しないで」


それは才蔵にとって何より辛いことだった。鎌之介の笑顔が見たくて、輝く瞳に見つめられたくて、名前を呼ばれたくて仕方がなかったのに。泣かれて悲鳴を上げられ手を払われて。触れるどころか傍にいることさえ許されない。


「鎌之介……」


救えたと思ったのに。苦しみから解放できたと思ったのに。鎌之介はまだ傷付いていたのだ。才蔵は自分の認識の甘さに腹が立った。あんな目に遭って笑えるわけが、なかったのに。

歓喜に湧いた上田城は鎌之介の目覚めと共に再び暗澹した空気になる。

どうしたらいいのか分からない。才蔵はただ、鎌之介から離れた所で自分の浅はかさを静かに噛み締めることしか出来なかった。


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