花枷アルメリア 06



伊佐那海の部屋から自室へと戻ると、部屋の前に十蔵が立っていた。襖に手を掛け、開けようか開けまいか迷っているように見えた。


「筧さん?」
「! ………才蔵」


横手から声を掛ければ十蔵は襖から手を離した。
十蔵の不安そうな表情から彼がどういった用件でやってきたのか理解する。きっと他の勇士たちも同じ理由で不安がっているのだろう。才蔵は思わず苦笑する。


「心配しなくても飛び出して行ったりなんかしねーよ」
「………そうか」


ホッとしたように胸を撫で下ろす十蔵に「入るなら入ってくれ」と告げて自室に足を踏み入れる。

綺麗に敷かれた布団の枕元には薬と水が置いてあった。伊佐那海と話している間に佐助が用意してくれたのだろう。

才蔵は布団の上に、十蔵は畳の上にそれぞれ腰を下ろす。


「才蔵」
「何だよ」
「お主、本当に良いのか」


幸村の命に従い、じっと座して時を待っていていいのか。後悔はしないのか。十蔵の言いたいことはよく分かった。十蔵もまた納得がいかないのだろう。否、納得はいっても理性がそれを拒絶する。十蔵も才蔵と同じ気持ちでいるのだろう。
彼は自分の娘のように鎌之介を可愛がっていた。こんな事態になり、憤りを感じていないはずがない。


「……オッサンの言ってることは正しい。今の俺は半蔵には絶対に勝てない。それは確実に分かる」


半蔵は強い。おそらく、万全の状態でも半蔵に勝つことは難しいだろう。彼の実力は圧倒的だ。素早さも剣技も忍術も。その全てが才蔵を大きく上回る。


「今すぐ飛び出して行きたい気持ちはある。でも……それじゃあ鎌之介は救えない」


自分の気持ちはどうでもいい。ただ鎌之介が救えるなら、この身勝手な気持ちは抑えつけようと思った。


「……才蔵は、強いな」
「筧さん?」


鎌之介が攫われた時、十蔵は町に居た。森での異変など全く気付かなかった。鎌之介の身に起こったことを聞いたのは、重傷の才蔵が上田に運ばれた後だった。

アナが語る概容に、握り締めた手から血が滲み出た。堪えようもない憤怒が体内を支配し、今すぐにでも敵を追い掛けたかった。だが十蔵は感情だけで突っ走るほど子供ではない。彼は、悲しいくらいに大人だった。

十蔵は鎌之介を可愛がっていた。戦闘狂で年上に対する礼儀もなっていない。そのくせ変なところで純粋で、無邪気で、可愛くて。どこか目が離せなかった。そんな鎌之介の世話を焼いているうちに、あちらもだんだんと十蔵に懐いてくれた。そんな矢先のことだった。

鎌之介が、失われてしまった。その事実が、十蔵の胸に重くのし掛かる。自分がいたところで何かの役に立てたとは思えない。それでも十蔵にはあの場にいなかったことを後悔した。

才蔵は、凄い。いま上田で一番に鎌之介の元に駆けつけたいのは才蔵だろう。それなのに、彼は幸村の命令を受け入れて最善の策に従おうとしている。自分よりも年下の青年が、感情を抑えつけて来るべき時を待っている。十蔵には、そんな才蔵の強さが眩しかった。


「どうやら某がここに来た意味はなかったようだな」
「いや、そんなことは……」
「なかったさ。……さて、もう一人の客人が来たようだし、某はそろそろ自室に戻るとしよう」
「客人……?」


立ち上がって才蔵の部屋から出て行こうとする十蔵は、部屋の前で待っていたらしい人物に「待たせたな」と一声掛けて姿を消した。

十蔵と入れ替わるようにして部屋に入ってきたのは、六郎だった。


「六郎さん……」
「才蔵、貴方目覚めてから何も食べていないでしょう。薬を飲む前に食べなさい」


六郎は粥が乗った盆を手にしていた。作りたてなのか湯気が立っている。
才蔵の前に粥を置いた六郎は盆を挟むような形でその場に座った。

特別腹が空いていた訳ではないが、こうしてわざわざ持ってきてくれたのだ。有り難くいただくことにする。


「……いただきます」


小さく断ってから、才蔵は粥に手をつける。薄味だったがとても美味く、何より温かかった。

黙々と粥を食べる才蔵を六郎はただ見つめる。
敬愛する主の出した答えに、六郎はやるせない気持ちになった。幸村の正しさも、才蔵の気持ちも、どちらも嫌というほど分かるからこそ辛かった。

あの日。息を切らした伊佐那海が幸村と六郎の元にやってきた時。六郎は何も出来なかった。敵が上田の近くにいるなら自分は幸村の傍にいて彼を守らなければならない。才蔵が向かったというし、大丈夫だろう。そう、思った。

それがあのような結果になって。鎌之介を、欲望の捌け口のように扱われて。また以前のように「小姓っ!」と笑顔で呼んでくれなくなってしまうのではないかと危惧して、一人怯えた。怒りと悲しみと不安が六郎を支配した。あまりに多くの感情が混ざり合いすぎて、気持ち悪くなるほどだった。

才蔵は、どんな気持ちだったのだろうか。誰よりも愛する存在を目の前で穢されて。想いを全て踏みにじられて。才蔵は―――どんな思いで、幸村の命令を受け入れたのだろうか。


「そんな顔すんなよ、六郎さん」
「! 才蔵……」


粥を食べ終えたらしい才蔵は「ご馳走さまでした」と器を盆の上に丁寧に乗せた。


「六郎さん。俺は絶対に鎌之介を救い出す。どれだけ傷ついていても、その全てを俺が癒やす。鎌之介が変わっちまってても、ありのままを受け入れる」


だから。そんな顔すんのは止めてくれ。そう言って、才蔵は笑った。力強さを感じる、絶対の自信に満ちた表情だった。

ああ、この青年は。この青年は、自分たちが思っているよりも遥かに強かったのだ。
六郎の口元が微かに緩む。敵に対する怒りは未だ残っていたが、不安や悲しみはどこかへと消え失せた。自分はただ、信じればいい。この青年の、勝利を。


「頼みましたよ、才蔵。きっとそれは……貴方にしか出来ないことだから」


六郎の言葉に才蔵は小さく頷いた。その瞳に宿るのは、揺るぎない決意だけだった。


********


才蔵が目覚めてから2日が経った。

その日の上田城には妙な緊迫感があった。佐助とアナが半蔵の隠れ家を発見したのだ。
才蔵の怪我も完全にとはいかなかったが、敵と戦えるまでには回復していた。ようやく幸村からの許しが出て、鎌之介の救出に向かうことになったのだ。

救出に参加するのは才蔵、佐助、アナの三人。
いつまた伊佐那海を狙って忍がやって来るか分からない今、勇士たちを全員救出に向かわせる訳にはいかない。それに相手は才蔵たちと同じ忍だ。忍の手の内は忍が良く知っている。だからこそのこの人選だ。


城門の下で身体を少し動かして不自由がないか確認する。よし、いける。才蔵は手首を解しながら両隣に立つ仲間を見た。
その視線に気付いた佐助とアナが小さく頷く。両者共に準備は万端のようだ。才蔵も小さく頷き返し、見送りに来た幸村たちに視線を向けた。


「それじゃあオッサン、行ってくるわ」
「うむ。……気をつけろよ」
「わーってる」
「佐助、アナ。才蔵を頼んだぞ」
「諾」
「分かってるわ」


幸村の傍に控えていた六郎が「才蔵、どうか無事で」と告げる。それには軽く手を上げて応える。
十蔵は三人の顔をそれぞれ見つめた後、「無茶はせぬようにな」と短く激励した。清海は「神の加護が皆にありますように、アーメン」と彼らしい言葉で送り出してくれた。

別れを惜しんでいる暇はない。ゆっくりと踵を返した才蔵の背中に「待って!」と声が掛けられる。聞き慣れた声に振り向けば、視線の先には伊佐那海がいた。

今にも泣き出しそうな顔をした伊佐那海は、微かに涙を浮かべながら才蔵を見つめた。


「才蔵……。私ね、鎌之介と約束したの」
「伊佐那海……」
「あの日、約束、したの。鎌之介の好きなお饅頭、作ってあげるって。甘くないお饅頭を、作ってあげるって……!」
「……………」
「鎌之介と約束した時、才蔵と一緒にお饅頭食べようって言ったの。だから、才蔵も鎌之介もいなきゃ駄目なの」
「………伊佐那海、」
「鎌之介が初めて美味しいって言ってくれたお饅頭、作って待ってる。みんなが帰ってくるの、ずっと待ってる。だから……!」


服の袖で涙を拭った伊佐那海は、ぐっと顔を上げる。


「鎌之介と一緒に帰って来て、才蔵」


涙に濡れた瞳に射抜かれて、才蔵は口を閉じる。伊佐那海の想いが痛いほどに伝わってきて、一瞬言葉を失った。だが、応えなければらない。少女の想いに、自分が。


「……ああ。絶対にここへ帰ってくる。―――鎌之介と、一緒に」


そう告げて小さく笑えば、伊佐那海は身体を震わせた。そして伊佐那海も同じように、笑った。


「才蔵」
「行くわよ」
「―――ああ」


もう振り返らない。才蔵は地を駆ける。その隣を佐助とアナが進む。

今度は一人ではない。仲間がいる。信頼できる仲間が、いる。


(鎌之介―――)


才蔵を見つけた時に輝く瞳。乱暴に撫でればくしゃくしゃになる朱髪。甘い言葉を囁けば真っ赤になる白い肌。背中合わせで敵を蹴散らす華奢な身体。好きだと告げれば俺もだと嬉しそうに笑う、愛しい存在。それを、取り戻す。―――絶対に。

大地をただ、駆ける。鎌之介を救い出すために。笑顔を取り戻すために。ただ、駆ける。

再会の時は、確実に迫っていた。


120325


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