花枷アルメリア 04




昔、鎌之介と一つの約束を交わした。


『護る? 才蔵が、俺を?』
『ああ。何があっても俺がお前のことを護ってやる』


すると鎌之介は小さく笑い出した。まさか笑われるとは思っていなかった才蔵は『何笑ってんだよ』と眉を寄せる。しばらく笑ったままだった鎌之介は、口を閉じて才蔵を見上げた。


『俺が誰かに護られるような質の人間かよ。バカ女じゃあるまいし』


自ら諍い事に首を突っ込んだりするのに誰かに護ってもらうなんて可笑しい。そう言って笑う鎌之介はしかしどこか嬉しそうだった。


『それでもだ。俺は護る。お前を―――絶対に』


その言葉を聞いた鎌之介は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔を浮かべた。


『ありがとう、才蔵』


その笑顔は、本当に綺麗で。才蔵は鎌之介の頭を撫でて、愛しい恋人を優しく抱き締めた。


********


意識が浮上する。目を微かに開けば、飛び込んできたのは見慣れた天井だった。どうして自分は自室で寝ているのだろうか。襖から差し込む光から察するに今は昼頃のはずだ。そんな時間に眠ることはない。それならば、どうして。

身体を起こそうとすると、全身に鋭い痛みが走った。思わず呻き声を上げれば、慌てたように襖が開け放たれた。


「才蔵!?」
「―――さす、け?」


部屋に入ってきたのは佐助だった。右肩には雨春もいる。薬箱を腕に抱えた佐助は才蔵を見て安堵したように口元を緩ませた。


「良かった…。才蔵、2日意識失っていた」
「2日……?」


全身の痛みから察するに、戦闘によって大怪我を負ったのだろう。一体どんな戦闘だっただろうか。
多量の出血のせいか意識が混濁するなかで、才蔵は思い出す。2日前に何があったのか。どうして自分が怪我を負ったのか。自分が何を護れなかったのか。―――その、全てを。


「っ! 鎌之介は!?」


才蔵が自室にいるということは、上田城の誰かが森に行ったはずだ。鎌之介は一体どうなったのか。尋ねられた佐助は一瞬泣き出しそうに顔を歪めた後、小さく首を横に振った。


「鎌之介、いなかった。……敵、捕らえられた。」


半蔵の腕の中で意識を失う鎌之介。連れ去られるのを才蔵は確かに見ていた。やはり鎌之介は、敵に囚われたのだ。


「鎌之介……っ!」
「動く、駄目! 才蔵、絶対安静!」
「離せっ!」


布団から起き上がろうとする才蔵を佐助が押し留める。その手を乱暴に振り払い、才蔵は立ち上がる。だが、全身の痛みと出血多量による立ち眩みのせいですぐに膝をついてしまう。満足に動かすことの出来ない身体に才蔵は拳を落とした。


「ちく、しょう…! 何で動かねぇんだよ!」
「才蔵、止めろ! 自分傷付けるな!」
「うるせぇっ!」


拳を振るう手を止めて才蔵は佐助を睨みつける。びくりと身体を震わせた佐助に、才蔵の怒りがぶつけられる。


「お前に……お前に何が分かんだよ」
「才、蔵………」
「あの場にいなかったお前に、俺の何が分かるっつーんだよ!」


佐助の胸倉を掴んで、ただ叫ぶ。


「お前に、俺の、何が………っ」


半蔵に無理やり身体を開かされ、泣き叫ぶ恋人の姿。目の前にいながら何も出来ない自分。助けてと泣く鎌之介を、ただじっと見つめていることしか出来なかった自分。目覚めた記憶は才蔵の心を完全に打ち砕いた。

助けられなかった。護れなかった。約束したのに。絶対に護ると、誓ったのに。


「俺の、何、が………」
「……………」


満足に立つことさえ出来ず、膝立ちの状態で佐助の服を握り締める。小さく震える才蔵の身体は血の気が引き、今にも倒れてしまいそうだ。
まるで縋りつくような姿の才蔵の肩にゆっくりと手を置いた佐助は、静かに目を伏せた。


「………ごめん」


その声にハッとする。顔を上げれば、今にも泣き出しそうな佐助の姿が目に入った。思わず手から力が抜ける。佐助は唇を噛んで、才蔵から逃れるように部屋を去って行った。

才蔵の部屋には雨春と佐助が持ってきた薬箱だけが残った。薬箱はきっと才蔵の包帯を変えるためにわざわざ持ってきてくれたのだろう。雨春はキーキーと鳴きながら才蔵の膝を小さな前脚でバシバシと叩いていた。主を傷つけた才蔵に怒っているようだった。

噛まれることを承知で片手で抱き上げれば、予想に反して雨春は大人しく手のひらの中に収まった。
雨春の背中を優しく撫でながら才蔵は唇を噛み締める。自分の不甲斐なさに腹が立つ。鎌之介を助けられなかったのは自分の責任なのに。それなのに佐助にきつく当たり、彼を傷付けた。くしゃりと前髪を掻き毟る。

佐助に謝らなければ。痛みに悲鳴を上げる身体で佐助の後を追おうとした時、才蔵の部屋をもう一人の忍が訪れた。


「起きたのね、才蔵」
「……アナ……」
「気分はどう?」
「いいと思うか?」
「……愚問だったわね」


自虐的に笑う才蔵を見てアナは目を伏せる。小さく揺れる彼女の瞳には深い哀しみの色が窺えた。
襖に背を預けてアナは腕を組む。才蔵の手の中から降り立った雨春は、佐助の後を追うようにして姿を消した。


「佐助に当たったのね」
「見てたのか」
「見てなくても分かるわよ。貴方のことは昔から知ってるもの」


アナは哀しそうに笑った。


「馬鹿ね、才蔵。いえ、それは佐助もかしら」
「……? どういう意味だ?」


彼女はよく本心を隠して喋る。すぐに話の核心を口にしたりはしない。それがアナの魅力の一つであるとは分かっていたが、今の才蔵には先が見えない話はもどかしかった。


「貴方が伊佐那海から知らせを受けて森に向かった後、佐助と私もすぐに加勢に向かったわ。……雨春が知らせてくれたのよ」


鎌之介の元に佐助とアナも向かっていたのだと知って才蔵は驚く。あの時、雨春の言葉は才蔵には上手く伝わらなかったが佐助にはきちんと伝わったらしい。


「でも、大勢の忍が私たちの邪魔をしたわ。半蔵の手下ね。鎌之介が相手にした忍とは別にまだ忍がいたのよ」
「まだ忍が……!?」
「全員を倒した時には、何もかもが終わっていたわ。―――間に合わなかったのよ。私も、佐助も」


アナが語ったのは才蔵が意識を失ってからのことだった。襲い掛かってきた忍を倒した佐助とアナが見つけたのは、瀕死の重傷を負った才蔵の姿だった。鎌之介の姿はなく、その場にあったのは鎖鎌と明らかな陵辱の痕だけだった。

鎌之介が半蔵に囚われたことを察した二人は才蔵を上田城に運び込み、幸村に事の次第を報告した。


「鎌之介がどんな目に遭ったのか……みんな知ってるわ」
「……………」


才蔵は無言で俯く。アナは悲痛そうな表情を浮かべて才蔵から視線を外した。


「才蔵、きっと貴方は自分のことを責めてるんでしょうね。それは―――佐助も同じよ」
「………佐助も?」


先程の佐助の顔が浮かぶ。深い後悔と哀しみが混じった複雑な表情。何故佐助が自分を責めているのか。


「森は佐助の庭よ。それなのに異変に気付けなかった。気付いた時には遅かった。鎌之介を奪われて、才蔵に加勢も出来なかった。佐助は自分を責めてるわ。鎌之介が傷付けられたのは自分のせいだ、って」
「佐助、が………」


佐助に責任などない。そもそも才蔵が鎌之介と喧嘩をしなければこんなことにはならなかったのだ。責任なら全て才蔵にある。


「アイツ―――」


才蔵の手当てを引き受けたのは佐助だった。昏々と眠る才蔵を手当てしながら、佐助はずっと自分のことを責めていたのだ。間に合わなかった自分を、ずっと。

才蔵は黙って立ち上がる。足がふらついたが、立ち止まっている時間などない。一歩踏み出す毎に鋭い痛みが全身に走るが全て無視した。「手伝う?」手を伸ばして身体を支えようとしてくれたアナに小さく首を横に振る。自分だけの力で佐助の元に行かなければ意味がない。才蔵はアナの心配そうな視線を背中に感じながら、佐助の後を追った。


********


佐助の居場所は雨春が教えてくれた。雨春は才蔵が来るのを待っていたかのように廊下に佇んでいたのだ。

佐助は上田城の庭にいた。いつかの時、佐助と派手に喧嘩をした場所だった。


「佐助」
「………才蔵」


背後から声を掛ければ、佐助はゆっくりと振り向いた。その瞳は大きく揺らぎ、哀しみの色が深く刻まれている。


「我、間に合わなかった」
「……俺も、何も出来なかった」
「鎌之介、救いたかった……!」
「……俺も、護ってやりたかった」


佐助の瞳から一筋の涙が零れ落ちる。それを皮切りに、ぽろぽろと涙の滴が地面に落ちていく。


「鎌之介、いつも話しかけてくれる。我の話、聞いてくれる。笑顔で、傍に居てくれる……」


才蔵は知っている。鎌之介が一人で森に居ることが多い佐助によく話し掛け、彼の話を嬉しそうに聞いていることを。自分よりも佐助を構うものだから何度も嫉妬したのを覚えている。


「鎌之介、優しい。暖かい。笑顔似合う。それなのに、」


次々に溢れてくる涙を拭うことなく佐助は才蔵を見つめ続けた。


「それなのに、奪われた……! 非道いこと、された……! 許せない……! 敵も……我自身も……!」


大切な存在だったのに。大事にしていたのに。それを簡単に奪われてしまった自分が許せない。そう言って、佐助は泣いた。声を抑えることなく、涙を堪えることなく、ただ泣いた。

その姿に才蔵は自分を重ねる。それは才蔵も同じだった。否、才蔵の方がもっと自分を許せなかった。約束を守ることも出来ず、目の前で大切な人を陵辱され、むざむざと奪われた。何も出来なかったのは自分だ。自分、なのだ。

才蔵の頬を一筋の涙が伝う。それを見て、佐助は更に泣いた。激しい痛みが二人を襲う。何よりも大切な存在が傍にいないことを悼んで、二人はただ、泣き続けた。


********


「佐助」
「……何?」
「頼みがある」
「………?」


何時の間にか日は沈み、辺りは夕闇に包まれている。縁側に並んで座る二人の顔は泣き続けたせいでボロボロだった。だがその顔には決して悲嘆に暮れてはいなかった。
一番星が輝く空を見つめながら才蔵は口を開いた。


「鎌之介を助け出す。それをお前に手伝って欲しい」


佐助は才蔵を見る。才蔵も佐助に視線を向けた。憑き物が落ちたかのような彼の身体からは自信が満ち溢れていた。


「俺一人じゃ、何も出来ない。あいつを…鎌之介を救うことは出来ない。だけど、お前が力を貸してくれたら、絶対に助けられる」


だから、頼む。そう言って頭を下げる才蔵の姿に、佐助は小さく微笑んだ。なんて馬鹿なんだろう。そんなこと言われなくても、自分は協力するのに。


「諾。我、鎌之介助けたい。鎌之介救うためなら、命惜しくない」


すでにその瞳に涙はなく、そこにあるのは強い決意のみ。絶対に鎌之介を助け出すという、強い想いだけだった。


(………鎌之介)


最後に見た鎌之介は、鮮血と白濁に塗れて酷い姿だった。それを思い出す度に胸が締め付けられる。

絶対に鎌之介を助け出す。今度は一人ではなく、仲間と共に。


(すぐに行くから、だから)


グッと拳を握り締める。
才蔵の目に、迷いはなかった。


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