花枷アルメリア 02
陽の当たる縁側に腰を下ろしていた才蔵は片手でぐしゃぐしゃと前髪を掻き毟る。どうしていつも喧嘩になってしまうのか。鎌之介のことが大切で、心配で、つい口煩くなってしまう。そして喧嘩へと発展する。
はぁ、と思わず溜息が洩れる。勝手にしろとは言ったものの、やはり心配だ。鎌之介は自分の容姿がどれほど人目を惹くのか全く理解していない。だから困るのだ。
「……くそっ、」
鎌之介が去ってからそれなりの時間が経っている。苛立ちも収まり冷静になってきた頃だった。……謝りに行こう。才蔵は立ち上がる。
「………ん?」
足元に何かが走り寄ってきた。にょろっとした身体。ふさふさの毛。
「確か……にょろ?」
佐助によれば正しい名前は雨春らしいが、確か鎌之介はにょろと呼んでいたはずだ。
雨春はキーキーと鳴いて才蔵の足を小さな前脚で叩く。「?」何かを伝えたいらしいのだが、佐助のように動物と心を通わすことが出来ない才蔵には雨春の行動の意味が分からなかった。頭に疑問符を浮かべる才蔵の様子に雨春はコイツは駄目だと諦めたのか、トテトテと走り去って行った。佐助を探しに行ったのかもしれない。
「……訳分からん」
雨春の後ろ姿を見送った才蔵は首を傾げる。また狐の子供が産まれそうになっているという報告だろうか。
いくら考えても雨春の思考は分からない。才蔵は鎌之介の元に向かおうと歩き出す。その時、奇妙な違和感が才蔵を襲った。
「……何だ……?」
大気が震えた、気がした。ざわざわと木々が揺らめき鳥が飛び立つ。何か嫌な予感がする。じわりと汗が滲み、緊張が全身を震わせた。
言いようのない不安に苛まれた才蔵は森に向かって走り出す。城門が見えてきたところで前方からやって来た人影に気付いた。あれは―――。
「伊佐那海!?」
鎌之介を追いかけたはずの伊佐那海の姿だった。ここまでずっと走ってきたのか、汗を流し息を荒げている。慌てて駆け寄れば、伊佐那海は才蔵の服をギュッと握った。
「さ、才蔵! 鎌之介が、鎌之介が大変なの!」
「鎌之介が……!?」
ドクリと心臓が大きく跳ねる。先程感じた嫌な予感が的中した。
必死に涙を堪えて伊佐那海は森の方角を指差した。
「森に、忍が……! 服部半蔵が……っ!」
「何だと!?」
アイツは、服部半蔵は出雲で命を落としたのではなかったのか。―――いや。才蔵は唇を噛み締める。あの執念深い男がああも簡単に殺られるはずがない。
「鎌之介が一人で戦ってるの! このままじゃ、鎌之介が!」
服部半蔵は強い。前回だって死にかけながら倒したのだ。鎌之介一人で倒せる相手ではない。
才蔵は伊佐那海の両肩に手を置いた。
「俺はすぐに鎌之介の元に行く。お前はこのことをおっさんに伝えに行け」
「才蔵……っ、うん、分かった!」
零れそうになる涙を堪えて伊佐那海はまた走り出した。城外にある森から一度も休むことなく全力疾走したにも拘わらず、まだ走り続ける伊佐那海の姿は弱々しかった。だがその足取りは力強い。鎌之介を助けたい。その気持ちだけが彼女を突き動かしているのだろう。
才蔵は伊佐那海に背を向けて駆ける。城門を飛び越え一直線に森へと向かう。上田城から鎌之介がいる森まではそれなりに距離がある。急がなければ、手遅れになる。
(鎌之介……)
失いたくない。あの笑顔を、温もりを。絶対に奪わせはしない。
グッと拳を握り締め、才蔵は前方を見据えた。
********
腕から噴き出した鮮血に鎌之介は眉をひそめる。血を見れば興奮する性質の鎌之介だが今はそれを楽しんでいる余裕などなかった。
「おや? 随分動きが遅くなってマスよ、お嬢サン」
「うるっせーんだ、よ!」
風を一点に集中し解き放つ。一目連。才蔵との戦いにて見せたことのある技だ。決まれば身体の骨などいとも簡単にへし折る強力な技だが、素早さを武器とする半蔵にとってその風は脅威ではなかった。
「はン、もっと楽しませて下サイよ」
烈風を軽々とかわし、半蔵は両手を振るう。鋭い白刃が鎌之介の腕を射抜いた。
「………っ!」
鎖鎌が腕から滑り落ちる。利き手に深々と突き刺さった刀がぐるりと回される。肉が抉れる音がやけに鮮明に聞こえた。
「あ、ぐ、……っ」
思わず上がりそうになる悲鳴を唇を噛むことによって堪える。両膝が地につき血がボタボタと土を濡らす。半蔵は刀を引き抜き鎖鎌を遠くへ蹴り飛ばし、前髪を掴んで地面に引き倒す。そして投げ出された鎌之介の腕を容赦なく踏み潰した。それでも鎌之介は泣くことも、声を上げることもしなかった。
「……アナタの泣き叫ぶ声が聞きたいのに、つまらないデスね」
「勝手に、言ってろ………!」
身体のあちこちに深い傷を負っている鎌之介とは対照的に半蔵は小さな傷こそあるものの動きを制限されるような怪我ではない。
倒れた身体を起こそうとするが、半蔵に腕を踏まれているため動けない。覆い被さるようにして半蔵は鎌之介に顔を近づけた。
「痛みによる悲鳴が聞けないなら、別の悲鳴を聞かせてもらいまショウか?」
「……は、」
「女なら、可愛い嬌声を聞かせて下サイよ」
ニヤリと音がしそうなほど口元を歪めた半蔵の手が鎌之介に伸びる。何をするのか理解できていない鎌之介はキッと半蔵を睨み付けた。その視線さえ興奮する材料になるのか、小さな愉悦が零れ出る。
返り血のついた手で、半蔵は鎌之介の服を引きちぎった。
「―――!?」
鎌之介の目が見開かれる。驚愕に揺れる瞳に映り込んだ半蔵の顔は狂気に歪んでいた。
肌が外気に触れてようやく自分が何をされるのか理解した。「やめろ……!」引きちぎられた服はその意味をなさず、半蔵の眼前に胸元が晒される。つつつ…と半蔵の人差し指が胸の谷間を妖しくなぞる。その奇妙な感覚に喉の奥が震えた。
「や、だ…! 触んな……!」
「何を今更純情ぶってんデスか。あの忍とヤることヤってんデショ?」
「ざけんな……!」
出血のせいで目が霞む。だが半蔵の手の動きは厭にはっきりと見えた。胸を揉みしだかれ、腹の傷を抉られる。痛みと恐怖と嫌悪による涙がじわりと浮かぶ。だが泣きはしなかった。
それが気に入らなかったのか、半蔵の瞳がスッと細められる。
「ホント、つまんねぇデスね―――」
傍に突き立ててあった刀を手に取り、目の前の細い身体に突き立てようと振りかぶる。白刃が鎌之介の肩に触れる、瞬間。
「―――!?」
背筋が凍るような殺気を感じ、身体を捻って刀を振るう。鋭い金属音を立てて何かが地面に突き刺さる。それは、鈍く光る苦無だった。
「鎌之介っ!」
二人だけの空間に現れたのは才蔵だった。
才蔵は押し倒されて上体を弄られている鎌之介の姿を見て、目の前が真っ赤に染まるのを感じた。
「テ、メェ…!」
あまりの怒りに目が眩む。それは鎌之介の瞳に浮かぶ涙を見て更に酷くなった。
「ぶっ殺す!」
摩利包丁を鞘から抜き払い半蔵に襲い掛かる。半蔵は立ち上がってその攻撃を両刀で受け止めた。
「おや、旦那サンのご登場デスか?」
「うるせぇ!」
何とか半蔵から鎌之介を引き離したい。だが半蔵の傍に鎌之介がいる以上大技は使えない。打開策が思い浮かばず唇を噛む。すると半蔵のもう一つの刀が鎌之介の首に突きつけられた。
「アナタが動くとお嬢サンが死んじゃいマスよ?」
「………!」
一瞬才蔵の腕から力が抜ける。その隙を半蔵は逃がさなかった。摩利包丁を薙ぎ払い鎌之介に突きつけていた刀で才蔵の腹を刺す。「ぐっ…!?」痛みに呻く才蔵の手を鋭く蹴り上げる。強烈な一撃に摩利包丁が後方へと吹き飛ばされた。丸腰になった才蔵など敵ではない。半蔵は出雲で見せた技、火生三昧を才蔵の身体に叩き込む。高速の刀技に、才蔵の全身から鮮血が噴き出した。
「さ、いぞ……!」
才蔵を助けたいのに身体が動かない。鎌之介は才蔵に手を伸ばす。
地に臥した才蔵は鎌之介の声に反応する。自分に向かって伸ばされる手。細く白い女の手だ。それが今、血に染まっている。才蔵は激痛が走る身体を動かして鎌之介の手を掴もうとする。だがそれは半蔵によって阻まれた。
「恋人同士の甘い時間なんてねぇんデスよ」
「ぐ、が……!」
「さいぞぉ……!」
才蔵の手を踵で踏みにじりながら半蔵はハァと溜息を吐く。腰に当てた両手を横に広げ、嘆かわしいとばかりに才蔵を見下ろした。
「勇んで助けに来たのにいい様デスね」
「う、ぐ、」
「ま、これで更に楽しめマスからいいんデスけど」
才蔵の顎を爪先で蹴り上げて前髪を掴む。強制的に上げられた顔を覗き込むようにして半蔵は妖しく囁いた。
「アナタの前でお嬢サンを犯しマス」
「………!?」
「屈辱デショ? そんなのは」
「テ、メェ………!」
ふざけるな。そう叫びたかったのに口から出たのは血反吐だった。背後から抱きすくめるようにして鎌之介の身体に触れる半蔵に言葉にできない殺意が浮かぶ。鎌之介は抵抗する力もないのか微かに身じろぐだけだ。今すぐ鎌之介を助けてやりたい。しかし身体は全く動かない。怒りに震える才蔵を嘲笑うかのように半蔵はわざとゆっくりと鎌之介の身体を愛撫した。
「ひっ、やだ、やめて…!」
「鎌之介!」
「やだぁ、才蔵、才蔵助けて……!」
「畜生…! 鎌之介!」
出血のせいで意識が朦朧とする。だが鎌之介の悲痛な叫びは聞こえていた。普段助けを求めたりしない鎌之介が「助けて」と口にした。どんな思いでその言葉を口にしているのかを想像して、才蔵は血に濡れた拳を握り締める。
「ひゃ、う! そこは、駄目……っ! ん、あっ、いやぁぁ……!」
「アハハハハ! さぁ、ちゃんと見てあげなサイよ。恋人が他の男に犯されてよがってる姿をね!」
そこからは地獄だった。
わざと才蔵に見せつけるようにして鎌之介の身体を弄り、悲鳴を上げさせる。助けを呼ぶ声が聞こえているのに何も出来ない無力さを噛み締める。中途半端に脱がされた服は打ち捨てられ、行為の残忍さを才蔵に見せつける。大切な存在を目の前でぐちゃぐちゃにされ、才蔵の精神は壊れかかっていた。
無理やり身体を暴かれ犯され踏みにじられ、それを止めることさえ出来ずにただ見つめる。鎌之介が見ないでと叫んでも、才蔵の視線は二人が繋がる瞬間を見てしまう。泣いて叫んで苦しんでいる鎌之介に、手を伸ばす。しかしそれは届かない。何も出来ない。敵に陵辱される恋人が目の前にいるのに、何も出来ない。
噛み締めすぎた唇からは血が流れ、才蔵の瞳に涙が浮かぶ。いやだ、やめて、才蔵、助けて、お願い、見ないで。鎌之介がそう叫ぶ度に才蔵の身体が震える。
「いやぁぁぁぁぁ!」
半蔵が鎌之介から身体を離し、地獄が終わる。だがそれはほんの始まりに過ぎなかった。
「この子は貰っていきマス。まだまだ楽しめそうデスしね」
意識を失いぐったりとしている鎌之介を腕に抱き、半蔵は才蔵を見下ろした。霞む目を必死にこらして才蔵は鎌之介の姿を捉える。
「ふざ、け、んな…! 鎌之介を、離、せ……!」
全身を血で濡らし、それでもなお強い瞳で睨み付けてくる才蔵に、半蔵は嘲笑を浮かべる。
「はン、恋人も守れずぶっ倒れてるアナタに何が出来ます? 悔しかったら取り返してみなサイよ」
まぁ無理でショウけどね。そう言い残して半蔵は消えた。鎌之介と共に。
鮮血と、白濁と、無念と、後悔と。残されたものは多いのに、一番大切なものがそこにはなかった。
「かまの、すけ、」
必死で伸ばした腕は届かなかった。救えなかった。何よりも、大切だったのに。助けられなかった。助けてと、名前を呼ばれたのに。
ドクドクと血が流れていくのを感じる。痛みは感じない。ただ、深い喪失感に襲われながら、才蔵は意識を失った。
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