「なまえ、寝るなら部屋に戻れ。風邪を引くぞ」
急に誰かに話しかけられて、私は現実へと引き戻された。どうやら、食堂で勉強をしながらうつらうつらしてしまっていたらしい。顔を上げると、私の幼なじみである宮沢謙吾が心配そうな顔で私を見つめていた。私のことを気遣ってくれているみたいだ。
……でも。今日は恭介が帰ってくる日だから。できれば、それまでここで待っていたい。
私は謙吾を安心させるように微笑んだ。
「ありがと謙吾。でも、私なら大丈夫だから。それより、こんな時間にどうしたの?」
「少し喉が渇いたものでな」
私の言葉に、謙吾は少し呆れながらも納得してくれた。こんな時、謙吾は私の気持ちも考えてくれるからありがたい。少し言葉を交わした後、謙吾はお茶を汲みに席を離れていった。それを見送り、改めて勉強を始めようとノートに目を向けた、その時。
「きょーすけが帰ってきたぞーっ!」
どこかから声が聞こえた。少しして。私が今まで帰ってくるのを待ち望んでいたその人、棗恭介が食堂の入り口に現れた。
「恭介っ!」
その傍へと駆け寄る。
「お帰り」
「ああ、なまえ、ただいま。待っててくれたのか?」
「うん。でも、私が待ってたいって思っただけだから。気にしないで?」
「ありがとな。でもあんまり無理するなよ?」
「うん。わかってる。ありがと」
恭介は私の幼なじみであり、そして、好きな人でもある。私は恭介に少しでもいいから会いたくて、ここで待っていたのだ。
「なまえ。待っててくれたところ悪いが、俺は少し寝る。昨日寝てないんだ」
「うん。わかった。おやすみ。……ってちょっと待って、ここで寝るの!?」
部屋へ戻ると思っていたら、どうやらここで寝るらしい。食堂の机の上に仰向けに寝転がってさっそく寝に入ってしまった。こんなところで寝てたらさすがの恭介も風邪を引いてしまうんじゃないか。そう思って体を揺するも、全く目覚めてくれない。
「もう寝てる……。そっか、やっぱり疲れてるんだよね……。仕方ない、恭介部屋まで運ぶの謙吾に手伝ってもらお……」
恭介を起こすのは諦めて傍に置いてあった椅子に腰かける。なんていうか、平和だ。……遠くの方からすごく大きな足音が聞こえてくること以外は。ちょっと嫌な予感がするけど、気にしないでおこう。
――と、思った矢先。
「謙吾っ!」
勢いよく、誰かが食堂へと入ってきた。……やっぱり。私の嫌な予感は的中したらしい。――井ノ原真人。私たちの幼なじみであり、謙吾のライバル。謙吾とは昔から犬猿の仲で、二人が一緒にいると喧嘩が絶えないのだ。
「謙吾、てめぇのおかげでおおっ恥かいたじゃねぇかよ……」
「なんの話だ?」
「とぼけても無駄だ…… 『目からゴボウ』の話だよっ」
なんだなんだ? と周りから野次馬たちが集まってくる。みんな真人たちの喧嘩を楽しんで見てる節があるからなあ……
「ふっ……その話か」
「なんだ、そのスカした笑い……てめぇ、やっぱわざとかっ! ちくしょう……ただじゃおかねぇぜ……うおりゃあああぁぁぁあーーーーっっ!」
……今日も喧嘩が始まってしまった。恭介運ぶの手伝ってもらおうと思ってたのにな。こうなったら私じゃ止められないし、唯一二人の喧嘩を止められる恭介も、机の上でぐっすりだ。できることなら、あんまり危ないことはしないでほしい。そう思いつつ、私は二人の喧嘩を眺めることにした。
……あ、理樹だ。喧嘩している二人の間に、見知った顔が割って入るのを見つけた。――直枝理樹。幼なじみの中で、私とは一番長い付き合いになる理樹は、少しひ弱で荒事は苦手。頑張ってたみたいだったけど、やっぱりあの二人は手に負えなかったらしい。慌ててこちらに向かってきた。
「恭介、なまえも、やばいって、二人を止めてっ」
「ごめん理樹、私じゃあの二人は止めらんないよ……」
理樹もそれはわかっていたのか、恭介の肩を揺すり始めた。その目が薄く開く。
「なんだ、理樹か…… 悪いが、昨日寝てないんだ……」
「恭介が帰ってきたから、真人と謙吾が喧嘩始めたんだろっ!? ちゃんと、怪我しないように見てやってよっ。帰ってくるまでは、我慢しあってたんだからっ」
二人の会話を聞き流しながら、真人たちを見やる。……さっきよりも、ひどくなってない……? 机や椅子がすごいことになってるし。
――と、恭介がゆらりと立ち上がった。どうやら、恭介の方が折れてくれたらしい。……やっぱり、理樹には甘いんだから。そう思いながら、どうするのかと恭介の方を見上げると。
「じゃ、ルールを決めよう」
恭介の声に、みんなの動きが止まった。みんなが恭介を注目する。
「素手だと真人が強すぎる。竹刀を持たせると、逆に謙吾が強すぎる。なので……」
野次馬の方に顔を向け、
「おまえらがなんでもいい、武器になりそうなものを適当に投げ入れてやってくれないか。それはくだらないものほどいい」
今度は、真人と謙吾に向き直る。
「その中からつかみ取ったもの、それを武器に戦え。それは素手でも、竹刀でもないくだらないものだから、今よりか危険は少ないだろ。いいな?」
有無を言わせぬ口調。恭介の言葉に、その場にいる誰もが頷いた。
「じゃ……バトルスタート」
初めはみんな戸惑っていたようだったが、一人が何かを投げ入れるのを合図にしてみんな一斉にいろんなものを投げ始めた。
……うわー、みんないろんなもの持ってるんだな……。というか、武器になりそうにないものまで投げ入れてるし。……どうやって戦うんだろ。
ふと、視界の端で恭介が何かを投げ入れるのを目撃した。あれは……猫?もしかしてあの猫って……
「やるのか?」
「やるさ」
「……」
いつの間にか、謙吾と真人もやる気だ。二人がそれぞれの武器を選びとる。そしてそれを見て歓声を上げる野次馬たち。
「なんだあれは? 拳銃か!?」
拳銃!?なんでそんなもの……
驚いて謙吾の方を向くと、謙吾が天井に向けて引き金を引いたところだった。こつん、と音を立てて小さな銀玉が転がる。
――なんだ、銀玉鉄砲か。よく考えると、拳銃なんてこんなところにあるはずがない。……少し冷静になろう。
「これで殴っていいのか?」
「だめ。本来の使用方法で戦うこと」
「……」
……うーん。それでも危ない気はするけどなあ。……まあ、最初の乱闘に比べれば、大したことはないけど。恭介たちといることで、なんか感覚が麻痺してしまってる気がする。
……真人の武器は何に決まったんだろ。思い出して真人の方に顔を向けると。
「真人よ……お前はどうして猫なんて持ってるんだ?」
「……武器だよ……」
「え? なに?」
「オレの武器だよっ、わりぃーーーかっ!」
さっき恭介が投げ入れていた、猫を手にぶら下げていた。
「つーか、どうやって戦えばいいんだよっ」
「猫で戦うこと」
「なんでだよっ」
戸惑う真人を尻目に、戦いの始まりを告げるゴングの音がした。
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