「遅くなっちゃったなあ」
そう呟きながら足早にグラウンドへと向かう。運悪く日直だった私は先生に授業で使った道具の片付けを頼まれてしまったため、一人遅れてみんなの元へと向かっていた。恭介も手伝うと言ってくれたけれど、彼がいないと練習が始まらないだろうから丁寧に断ったのだ。
「えーっと、あの子が神北さん、かな?」
グラウンドへと続く階段を下りながらあたりを見渡すと、幼馴染たちのなかに見慣れない女の子が一人。ミルクティー色の髪の毛を星のついた髪飾りでツインテールにしている可愛らしい女の子がランニングをしていた。邪魔するのも悪いし、とりあえずいつもの木の下で見ていることにしよう。そう思いそちらへと向かっていると、そんな私に気づいたのか向こうのほうからこちらへ駆け寄ってきた。「ほわぁっ」あ、転んだ。
「だ、大丈夫?」
鞄を置いて急いでそちらへと走り寄る。立ち上がり半べそをかきながら服に付いた汚れを払う神北さんを手伝ってあげると、彼女はひまわりのような笑顔でお礼を言ってくれる。
「ありがとうございますっ」
「いえいえ。それより大丈夫? どこか怪我してない?」
「はい! 大丈夫ですっ」
「うん、ならよかった」
神北さんのその可愛らしい笑顔に、こちらも笑顔がこぼれた。
「うん〜? もしかしてなまえさん、ですか? 恭介さんが言ってた……」
「あ、恭介から聞いてたんだ。えっと、一応マネージャーやらせてもらってるみょうじなまえです。マネージャーなんて肩書き、あってないようなものだけど……。これからよろしくね」
「はい! 昨日からメンバーになった神北小毬です! よろしくお願いしますっ」
その元気良い声と共に腰を直角に曲げてお辞儀をする神北さんを見て、なんだか運動部みたいだなあなんて思っていると、カィン! という小気味いい音が聞こえた。頭上をはるか遠くへと飛んでいくボールと、感嘆の声を上げる真人たち。みんなは少し話した後、ボール拾いのためか散り散りになっていく。
「お、なまえじゃねえか」
「今来たんだね。お疲れ」
「みんなお疲れ。これからボール拾い?」
「うん。ボール切れちゃったみたいでさ」
「理樹の奴、こんな細っこい体で結構飛ばすんだぜ? やはり和製イチローの称号をだな……」
「だから馬鹿に思われるってっ」
こちら側へ飛んだボールを拾いに来た真人たちと言葉を交わし、私たちもボール拾いを手伝うことにした。神北さんと一緒に真人たちとは違う方を探す。この機会にいろいろ話してみるのもいいかもしれない。
「神北さんはどうしてリトルバスターズに入ろうと思ったの?」
グラウンドの隅に転がっているボールを拾いながら、私はふと思いついた疑問を口にする。
「うーん……理樹くん、ちょっと困ってたし……。それに、なんだか楽しそうだったからですっ」
「そっか。神北さんは優しいね。でも、大変じゃない? 運動、あんまり得意じゃないみたいだけど……」
恭介たちから聞いてたけど、さっきも何もないところで転んでたしちょっと心配。メンバーが増えるのは賑やかになるし嬉しいけれど、無理して続けてもらうのも良くない気がする。そう思って尋ねると、神北さんは笑顔で首を横に振った。
「私が大変な分には構わないんです。でももし私がやめちゃったら、メンバー探しもっと大変になっちゃうから。それに……まだ始めたばかりだけど、みんなともっと一緒にいたいって、そう思うんです」
「神北さん……」
こんな風に笑顔で言い切れる神北さんは、なんて優しい子なんだろう。あの時恭介が言っていたことが私にもわかった気がした。神北さんなら、鈴の心の壁も壊してしまえるかもしれない。
「あの……なまえさん」
「うん?」
いけない、少し考え込んでしまったみたいだ。少し不安げに瞳を揺らす神北さんがこちらを窺うので安心させるように笑顔を浮かべると、神北さんは一度ゆっくりと深呼吸してから、
「小毬ちゃん、って名前で呼んでくれますかっ」
――びっくりした。真剣な顔をするもんだから何かもっと深刻な話でも始めるのかと思った。すこし拍子抜けしてしまった私とは対照的に、神北さんは緊張した面持ちでこちらを見つめてくる。……うん、そんなこと、私だって大歓迎だ。
「もちろん。……それじゃあ小毬ちゃん、ボールも集まったし、そろそろ戻ろっか」
「はいっ」
ふんふんふーん、なんて楽しそうに鼻唄をうたう小毬ちゃんと一緒に、集めたボールを返しにみんなの所へ戻ることにした。
その後しばらく勉強をしながらみんなの練習を見ていたのだけれど、お茶やタオルを出すだけじゃなくたまにはもっとマネージャーらしいこともしようと思い立ち、私は部室に足を向けていた。単語帳見てるのもそろそろ疲れてきちゃったし。
「あ、あったあった」
棚の上にグローブがたくさん入ったかごを発見してそれを引っ張り出す。
「うぅ……結構重いなあ」
高いところに置かれているため取り出しにくいこともあり、苦労しながらようやく下までかごを下ろしてくることに成功した。……うん、やっぱりみんな自分たちが使う分は手入れしてたみたいだけど、他のものは長い間手入れされてないみたいだ。これからメンバーも増えていくかもしれないし、今使っていないものも少しメンテナンスしておこう。よし、と気合を入れてベンチに腰を下ろし、グローブの手入れを開始する。するとその時、ゆっくりと部室の扉が開いた。
「あれ?小毬ちゃん?」
私がそちらの方に顔を向けると、そこに居たのはさっきまでグラウンドをランニングしていた小毬ちゃんだった。小毬ちゃんは私の方を見ると、えへへ、と笑いながら部室へと入ってくる。
「なまえさんが部室の方に向かってるの見かけたから、どうしたんだろうと思ってついてきちゃいましたっ! ……グローブのお手入れですか? 私も手伝いますっ」
「ほんと? ありがとう。でも、練習は大丈夫?」
「はいっ、ランニングも疲れてきちゃったし、ちょっと休憩です。それに、なまえさんともうちょっとお話したいなと思ってたから」
「うん、じゃあ一緒にやろっか。一人じゃちょっと量が多いと思ってたから、小毬ちゃんが来てくれて助かったよ」
床に置いてあったグローブと雑巾、それからメンテナンス用のオイルを手渡し、小毬ちゃんと一緒に手入れを開始する。自分の練習だけでも大変なのに、休憩中にまで手伝いをしてくれるなんて、小毬ちゃんは本当にいい子だ。やり方がわからず困っている小毬ちゃんに教えながら、一つずつ丁寧に手入れを行っていく。
「そういえばなまえさんは野球、しないんですか?」
グローブを雑巾で拭う手を止め、小毬ちゃんがこちらを見て尋ねる。……うん。人数が足りていないのに参加せず、練習を見てるだけなんだからその疑問は当然だよね。私もメンテナンスの手を止め、小毬ちゃんの方を見る。
「私は受験勉強もしなくちゃならなくて、あまり練習には参加できないから。本当は練習にも顔出さないつもりだったんだけど、マネージャーなら時間のある時だけ来てくれればいいからって、恭介に言われてね。……恭介はたぶん、私が本当はみんなと一緒に居たいっていうのをわかっててマネージャーを勧めてくれたんだと思うの。野球をしようって言ったのも、私たちも卒業してもうすぐみんなばらばらになっちゃうから、みんなで一緒に何かしたいっていう理樹の思いに応えたからだと思うし、恭介はいつもみんなの事を考えてくれてる」
言いながら、自然に笑みがこぼれる。――私はそんな恭介が好きなんだ。いつも突拍子の無いことを言い出すけれど、それはみんなが楽しめる方法を考えてくれてるからで。みんなもそれがわかってるからこそ、いつも恭介の周りに集まってくる。
「なまえさん、恭介さんのことが本当に好きなんですねっ」
「へぇっ!?」
顔の前で両手を合わせ満面の笑顔で爆弾発言をする小毬ちゃんに、驚いた私は焦って変な声を出してしまう。そしてそんな私の反応に逆に驚いてしまう小毬ちゃん。「だだだ、大丈夫ですかなまえさんっ」「わ、私こそ驚かせちゃってごめんね!?」そんなこんなで二人してしばらくの間あたふたした後、ようやく落ち着きを取り戻す。うぅぅ……でもやっぱりすごく恥ずかしい……
「……これ、恭介やみんなには内緒ね?」
「! もちろんですっ」
まだ少し熱い顔を手で扇ぎつつ小毬ちゃんにお願いすると、なんとも頼もしい返事が返ってきた。
――親友のあーちゃん以外には、ずっと秘密にしてきたこの気持ち。あーちゃんには「早く言って楽になっちゃいなさい」なんて言われるけれど、恭介本人にこの気持ちを伝える勇気は私にはまだない。……でもいつか、言える時が来るだろうか。来たらいいなあ。それでもし恭介も、私と同じ気持ちを持っていてくれたなら――なんて、恭介はきっと私の事、幼馴染以上には見てないんだろうけど。
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