深夜に呼び出しを喰らったアテナは、かなり不機嫌だった。今日は残業も少なく、部屋に戻って風呂上がりのビールという自分へのご褒美を手に掛けた途端、アポロから電話が入ったのだ。
『ランスの部屋に、医療道具を持って向かってください。ランスからの許可は得ています』
その実力や冷酷さを買われて、今や幹部に昇進したランス。怪我をしたなら、医療班にでも見てもらえばいいのに・・・そんな考えが十秒後に消え去るだなんて、彼女は想像すらしていなかった。
――コンコン
「ランス?」
丁寧にノックをし、部屋の主を呼んだら、ドアの前でうろうろしている気配。
ランスにしてはおかしい――考えた矢先、アテナの耳にはとんでもない声が入ってきた。
「・・・すいません、にぃにはお仕事なのです」
それは、少女特有の透き通るようなソプラノだ。
「アテナさん・・・ですか?」
「そうよ」
少女(多分)は、再び黙り込む。暫くすると、「ヘルちゃん」という声が聞こえた。
「・・・本物のアテナさんですね。すいません、今ドアを開けます」
更に数秒待つと、情けない声で謝罪される。
がちゃりと鍵の外された向こう側には、ランスと同じ色の長い髪をした少女がいた。そういえば、先ほど彼女は"にぃに"と呼ばなかったか?
「にぃにとアポロさんが、ラムダさん?という方は変装がお上手なので、気をつけるように言われていたのです・・・」
どうやら、彼女は本当にランスの親戚らしい。アポロはともかく、ランスが子供に対して気にかけるだなんて、天変地異の前触れかと思うほど珍しいことなのだ。(自分の親戚だと別なのかしらねぇ?)
申し訳なさそうなその表情は、自他共に認める"冷酷"なランスとは似ても似つかない。ランスの趣味らしい、黒い皮張りのソファで伸びをするヘルガーが、本物かどうか臭いで確認したのだろう。
「ところで、あんたは・・・」
「何処に怪我を?」と聞こうとした時に、痛々しく腫れている左頬がアテナの目に入った。おそらく内出血もしているのだろう。赤く腫れているのに、青い。紫のような色だ。
「女の子には悪いけど・・・ちょっと見せなさい」
「アテナさん・・・?」
服を腹部からめくりあげると、所々に青痣がある。治りかけて黄色くなったもの、まだ新しくできたようなもの。
背中や腕には根性焼きの跡や、膿んでいるような、沢山の傷。骨には異常がないようで、アテナは少しだけ安心した。
「手当てしてあげるから、動いちゃだめよ」
「が、がんばります・・・」
湿布を貼り、薬を塗り込んで、包帯を巻いたら――なんだか、包帯人間のようになってしまった。それほど、この少女の怪我が酷かったというわけだ。
「滲みたでしょうに・・・よく我慢したわね」
「痛かったけど、慣れているので・・・」
自然と頭を撫でてやれば、微笑む少女。今は顔の半分が包帯で隠れてしまっているが、とても可愛らしいことだけはわかる。
やっと落ち着いた二人は、紅茶を入れて談笑を楽しむことにした。(任務時間決められてなかったしね)
「貴女の名前は?」
「レイス、です」
可愛らしく微笑むレイスに、ランスの面影は見えない。あるといえば、常盤色の長い髪だけだ。
しかし、彼女はランスを"にぃに"と呼んでいる。ランスに妹がいるだなんて、アテナは聞いたことがない――疑問だらけだ。
早く、アポロかランスに説明して欲しいと、アテナは切実に思う。
(・・・わたくしが、この子を本気で可愛いと思ってしまう前に)
――ここは、ロケット団。
過去、サカキが首領であった時代の栄光は薄れたが、今でもその名前に恐怖を抱く人間は少なくない、犯罪組織なのだ。
名前の語源にもなっている"奪う"行為。この少女を心底可愛らしいと思ってしまったら、頼まれてもここから帰してあげる自信がアテナにはない。
――コンコン
アテナが悶々と考えていると、ノックの音が響いた。それと同時に、レイスのシルバーグレイの瞳から光が消える。
「ヘルちゃん」
先ほどアテナと話していた時よりも、低い声だ。アテナは、背筋に寒気が走った。
ソファでうつらうつらとしていたヘルガーが、レイスの声を聞き、真っ先にドアへと向かう。すんすんとドアの向こうの人物の匂いを確かめると、レイスに向かって「がぅ」と鳴いた。
「にぃにみたいですね」
アテナにそう告げ、今度はレイスがドアに向かって走り出す。覚束ない足取りなのは、きっと足にもあった青痣が痛むのだろう。
――ガチャリ
「にぃに、お帰りなさい」
「ただいま戻りました、レイス」
ドアを開けた途端、柔らかな微笑みを浮かべてレイスを抱き上げるランス。そんなランスの笑顔に、アテナは度肝を抜かれた。
自他共に認める"冷酷"さの微塵もない表情は、ロケット団の誰も見たことがないだろう。それほどに、貴重な笑顔なのだ。
「ランス・・・」
「ああ、アテナ。レイスの治療をありがとうございます」
「いえ・・・それより」
「今説明しますので・・・レイス、紅茶を頂けますか?」
「はい、にぃに。砂糖とミルクは?」
「用意してください」
「わかりました」
幹部の部屋に備え付けられているキッチンに、レイスは早足で去っていく。それを見届けて、ランスはテーブルを挟んだアテナの目の前のソファに腰を降ろした。
「ランス、あの子は・・・?」
「私の妹ですよ。腹違いの。レイスの存在は、今日知りました」
「知りましたって・・・」
しれっと言うランスに、アテナは少し呆れ気味だ。
「過去の汚点を消そうと故郷に出向いたのですが、そこで初めてレイスに会ったんですよ」
ランスの過去は、幹部の者しか知らない。しかも、詳細を知るのはアポロだけだ。アテナにわかることといえば、彼の言う"汚点"というのは、彼自身の父親なのだろうということだけ。
「それにしても、酷い怪我だったわよ」
「私がこうなる原因になったよりも、酷い虐待を受けていたようですよ。ちなみに、私の汚点を消したのは、彼女です」
「・・・・・・は?」
アテナには、言葉の意味が理解できなかった。というよりも、理解したくなかったのかもしれない。
「私と彼女の父親を殺したのは、レイスですよ」
呆然とするアテナに、クスクスと笑いを漏らすランス。そこに、レイスの声が飛び込んできた。
「お待たせしました」
紅茶を入れたのは彼女なのだろうが、腕も痛むのだろう。レイスの隣に並び、盆を運んできたのはゲンガーだ。
「ゲンちゃん、ありがとう」
紅茶のセットが乗った盆を器用にテーブルへ置いたゲンガーは、褒められたことが嬉しかったのか、「キシシ」と笑いながら消えていく。
「では、」
この場を去ろうとするレイスを、ランスが引き止めた。
「レイスも、話に入りなさい」
「・・・わかりました、にぃに」
ランスの隣に腰掛けたレイスは、何だかいたたまれない様子だ。ちらりと見上げるレイスに気付いて、ランスは再び微笑んだ。
「レイス、貴女の手持ちをアテナにも見せてあげなさい。彼女の疑問は、それで晴れるでしょうから」
レイスはこくんと頷くと、「みんな、ちょっと来て」と宙に向かってそう言う。
まず、彼女の元に来たのは、ヘルガー。かなり鍛え込まれた肉体に、アポロの手持ちだと思っていたアテナは、とても驚く。次いで、先ほどのゲンガーと、ジュペッタ、ムウマージも現れた。どれもかなり鍛えられているのか、アテナの手持ちでさえ敵わないだろうポケモン。
「レイスは今日からロケット団の一員です。アポロにも許可を頂きました」
レイスに擦り寄るムウマージと、ランスの言葉を聞いて、アテナの中のブレーキが外れた。
「・・・なら、もう我慢しなくていいの、ね?」
「はい?」
擦り寄るムウマージをもろともせず、テーブルを越えてレイスの頭を豊満な胸に抱き寄せるアテナ。
レイスもレイスで、とても驚いている。
「この子ってば、本当に健気で可愛いんだもの!貴女ならわたくしは大歓迎よ、レイス!強くて可愛いだなんて、素敵じゃない!」
暫く呆然としていたレイスだが、アテナに認められて嬉しかったのか、花が綻ぶような笑顔を見せた。
「・・・・・・明日には、レイスに団服が支給される予定ですので、そうなれば本当にロケット団です」
ランスは複雑そうな表情で二人を見る。
「でも、包帯だらけで人目に晒されるのは、女の子なんだし・・・嫌なんじゃない?」
そう言うアテナに、今度はレイスが口を開いた。
「わたしは、大丈夫です。あの、あ・・・アテナ、ねぇね」
恥ずかしそうに顔を赤らめるレイスに、アテナの"レイス愛しい"ゲージがマックスを超えた瞬間だった。
シスコン二号
(アテナに任せたのも、間違いだったでしょうか・・・)
2011.04.11