何かいつ呟いたかも覚えていない朝チュンユーリ改めNTRユーリ改めお酒飲ませてお持ち帰りしちゃうユーリです。雰囲気は大人だけど色っぽくもならなかった。反省。ちなみに普通にTOVの世界です。
続きはたぶんない(力尽きた)。それでも良ければどうぞ。




マティーニは辛くて好きじゃなかった。
元から甘いお酒しか飲めなかったせいもあるだろうけれど、キスする時に舌が痺れるように痛くて、最初は思わず眉をひそめるほどだったのに。いつしかそれが癖になっていってしまうのが、わたしはひどく怖かった。
だからわたしはマティーニが好きじゃない。おいしそうにそれを飲んでいた彼も、マティーニ味の辛いキスも、グラスの底に沈むオリーブも、――何もかも。
わたしは、もう、好きじゃない。

「お姉さん、マティーニなんて飲めなかっただろ」

酩酊感に沈みかけていた意識が揺り起こされ、静かに瞬きをした。
焦点が合わずぼやける視界。アルコールに溶かされてしまった身体。ああ、酔ってるな。他人事のようにそう納得した思考回路も、熱に浮かされとっくに壊れてしまっていた。
「いつも甘い酒ばっか飲んでるお姉さんがいきなりマティーニだなんて、どういう心境の変化だよ。悪いことは言わねえから止めときな。それ、あんたが思ってるよりきついぞ」
硝子と氷が弾ける音が聞こえる。手にしていたグラスを取ろうと伸ばされた手から逃れるようそれを引き寄せれば、苦笑のように吐息がこぼされた。

「…知ってる」
「ふーん」
「でも、…いいの」

力の入らない手でそれに口をつける。案の定、一口舐めただけで酔いすら覚ますほどの痛みがわたしの舌を襲った。ああ、ちくしょう。おいしくない。泣きたいくらいにからい。
結局一口しか飲めなかったグラスは伸びてきた手に奪われ、その代わりにと押し付けられたグラスからは甘いミルクの匂い。思わず目を瞬かせた。

「カルーア…?」
「お姉さん、いっつもそれ飲んでただろ。マティーニの代わりにそいつで勘弁しとけって」

頷いて、何も考えずにそれを呷った。コーヒーとミルクと微かなお酒の甘い味が焼けそうだった喉を潤す。いい飲みっぷり、どこか楽しげに声は囁いた。
カルーア・ミルクのグラスはすぐに空になり、マティーニの味などもう口の中に残っていない。薄く白い膜の貼られたグラスの底にぽつんと沈む氷にはわたしの顔が映っている。今にも泣きそうな顔をした、情けない女の顔が。

「恋人に浮気されたんだって?」

氷が砕けるような音がした。俯いたまま目を見開くが、顔を上げることはどうしても出来なかった。その声はやっぱり楽しげで、微かにいたぶるような色を持っていると気付くには、わたしはあまりにも酔い過ぎていた。

「何年付き合ってたんだっけか。確か五年くらいって聞いたけど」
「…なんで、それ…」
「まあ、噂でな。あんたらかなり長く付き合ってたみたいだし、このまま結婚するんじゃないかってみんな言ってたぜ?」

そんなの。そんなこと。結露したグラスに爪を立て、氷に映る女の顔がぐしゃりとみにくく歪む。わたしもそう、思ってた。
五年前、まだ互いに十代だった頃に付き合い始めた恋人。確かに最近では互いの仕事が忙しくて二人で過ごすような時間は減っていたけれど、どこか彼に限ってと思っていた。自惚れていた。信じていたと言うと聞こえはいいだろうが、要はわたしは驕っていたのだ。
知らない女の人と仲睦まじく手を繋いだ彼を見るまでは、ずっと。

「…う、」

こぼれてきた嗚咽を誤魔化すことも出来なかった。焼けるように熱い網膜に焦げ付いたあの光景。寄り添い合う二人はさながら、いつかのわたしと彼のようで。過去のことだなんて信じたくなかった。わたしの薬指ではまだ指輪が鈍く輝いていると言うのに、あの日見た彼の指にはもう、もう。

「あーほら、泣くなって」
「ふ、ひっく、うう…」
「浮気するような男のためにお姉さんが泣く必要はないだろ。ほら、飲んで忘れちまえ。そのためにここに来たんだろ」
「っう、うん…!」

伸びて来た手が乱暴に頭を撫でて、押し付けられたグラスを中身も確認せずに傾けた。熱い身体を冷たく甘いお酒が通り抜けていく。今度は甘酸っぱいカシス・オレンジだった。さっきのカルーア・ミルクと言い、どうしてこんなにもわたしの好むお酒ばかりなのだろう。酔いに浮かされた頭でそれを不思議に思うも、それを尋ねるより今はただアルコールに溺れてしまいたかった。
声の主はわたしがグラスを空けるタイミングを見計らうように次々とグラスを渡してくる。どれもこれもが一度飲んだことがあるお酒か、飲んだことはないけれどすごく好みなお酒で、わたしは気持ちよくお酒に溺れていった。今にして思えばよく悪酔いさせずに飲ませたものだと感心するしかないのだが。

――それからのことは、正直に言うとあまり覚えていない。
大量のグラスが空けられたテーブルの上にはマティーニのグラスだけが手もつけられず残されていた。それに気付いた時にはもう既にわたしは完璧に泥酔していて、ふと、何も考えずグラスへと伸ばした手が誰かの手に絡め捕らわれる。まるで恋人同士のように繋がれたそれを振り解けるような理性など残されていなかった。かたい指先がするりとわたしの薬指を、皮膚と金属の境目を溶かすようについと撫でる。

「なあ、お姉さん。そんな男のことなんざ忘れちまえよ」

揺らぐ視界の中で見つめていたマティーニのグラスがふわりと浮いた。グラスの底から浮き上がったオリーブを追うよう視線を動かし、まるでビールか何かのようにカクテルグラスを呷るその人を視界に入れた。その人は、少し前までわたしが声でしか認識していなかったその男の人は、飲み干したグラスを放り捨て端正な顔を歪めてからいと呟いていた。美しい男の人だった。澄ました黒猫のような、獰猛な黒豹のような、研いだ牙をちらりと覗かせるような美しさを持つ男の人だった。

「その代わり、って言っちゃ傷心につけ込むようであまりにも女々しいが」

その横顔に見惚れていると、ふと、そう呟いて男の人がこちらを流し見る。思わず肩を震わせるが捕らわれた手を引かれ、ただでさえ平衡感覚などとうに失くした身体がその人へ倒れ込んだ。酔っ払いながらも本能でこれは危ないと感じて腰に回された腕を外そうともがく。けれど散々アルコールを摂取した身体はされるがまま、男の人は弄ぶように薬指に触れる。ようやくわたしは気付いた。彼は指輪を外そうとしている、と。

「もう手段を選んでいられるような余裕もねえんだよ」

吐息のようにこぼれた囁きにはわたしが触れたこともないような、触れれば爛れてしまいそうな、そんな熱を孕んでいた。わたしは抗おうとしたのだろうか、それともこのまま流されてしまいたかったのだろうか。筋張った大きな手に伸ばしたもう片方の手も軽く捕らえられ、頬を掠めた唇がそのまま耳に寄せられる。

「――俺はずっとあんたのことが欲しかったって言ったら、お姉さん、どうする?」





テーブルの上にはたくさんのグラスが空になったまま放り出されていた。溶けかけた氷が軋むような音を立てたその横で、どこかぽつんとそのカクテルグラスは佇んでいる。
まるで忘れられたかのようなそのグラスには、オリーブと安っぽいシルバーの指輪だけが残されていた。


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