今日返されたテストも、余裕で平均点を大きく下回った。
夕と夜の間、人気の失せた公園。ブランコを揺らし、辛うじて二桁のテストに鼻を鳴らす。小学生の頃は、ここまで悪くなかったのに。少なくとも何とか授業にはついていけたし、こんな点数を取ったことなんて、なかったのに。
中学生になってから、何もかもうまくいかない。勉強はこんな調子だし、そのせいでお母さんにはこっぴどく怒られるし、幼稚園からの付き合いである親友とはクラスが離れてしまったし、何とかクラス内で作れた友達とは喧嘩をしてしまった。
ああ、もう。もう!
衝動のまま、いつの間にか手の中で握り潰していたテストを投げ捨てる。制服の袖で涙を拭い、嗚咽を堪えようと俯いて唇をきつく噛み締める。それでも漏れてくる嗚咽が情けなくて、何度拭っても涙は溢れてきて。それが余計に、悔しいまでに情けなくて。
それからどのくらい時間が経ったのか。春の寒さがブラウス越しに肌を刺す。夕が暮れ、夜が始まるのだ。
かさり、音がした。
ただの風の音だろうと思い、かさかさ、と微かに続く音に耳を傾けることもせずに涙を拭う。袖に擦れた目元に痛みを覚えた、その時だった。

「こんな時間に、女の子一人じゃ危ないよ」

滲んだ視界に差し込んだ白。それはわたしの頬に触れ、柔らかく涙を拭っていく。思わず目を瞬かせれば、まつげが涙を散らした。
俯かせていた顔を、ゆっくりと上げていく。まず目に入ったのは、跪くように立てられた片膝。こちらに向けられた手に、ネクタイ、薄い喉仏。優しい微笑みと、細められた瞳。橙色の街頭に照らされた、柔らかな色をした髪。
とても美しい、男の人、だった。

「ほら、そんな風に袖で拭いてたら目が腫れちゃうだろ。これ、使って」
「…あ、ありがとう、ございます……」

目を拭いていた手を取られ、握らされたのは白いハンカチ。視界に差し込んだ白はこれだったらしいと、今更気付く。
それをどうすることも出来ないまま、恐る恐る彼を見る。片膝を地面につけたままのその人は、にっこりと、わたしに向けて綺麗に笑った。

「気にしないで使って。ああ、お腹空いてたりしない?」
「い、いや、別に…」

呆気に取られながらも慌てて空いてないと続けようとしたが、ある意味空気を読んだわたしのお腹が、夜の公園の中で盛大に鳴る。
一瞬の沈黙。その後、沸騰するわたしと吹き出す男の人。

「ぷ、…くっ、あはは!ふふ、正直なお腹だね」
「あ、あの、これは違うんです!ええと、その、だから…!」

口元を押さえ肩を揺らすその人に必死に言い訳をしようにも、事実は変えられない。何でこんなにタイミング良く鳴ってくれちゃったんだ、わたしのお腹は!
男の人は肩を揺らしながら立ち上がり、目元に滲んだ涙を拭う。

「そんなに恥ずかしがらないで。こんな時間だから俺もお腹空いてたし、久しぶりに肉まん食べたかったんだよね。ああ、肉まん、好き?」
「は、はい…」
「良かった。それじゃ、少し待ってて」

小さく笑って手を振り、男の人は踵を返し公園を後にする。それを呆然と見送り、手元の白いハンカチとスーツを着た男の人の背中を見比べた。
スーツを着ているけど、仕事帰りのサラリーマンには見えない。雰囲気とか仕草が、どうにも町を行き交う人とは違うように見えるからだ。知らない人に変わりないのに、どうにも警戒心が湧かないのは何故だろう。
恐る恐るハンカチで涙を拭き、大人しく男の人を待つ。ふと、投げ捨てたはずのテストがなくなっていたことに気付いた。

「お待たせ」

顔を上げれば、男の人が肉まんを手にして戻って来ていた。湯気を立てるそれを手渡され、躊躇いつつも受け取る。
公園のすぐ側にあるコンビニで買って来たのだろう。ブランコの柵に腰をかけた男の人は、そのまま包み紙をずらしかぶりつく。
一瞬だけ、知らない人に貰ったものを食べてもいいだろうかと小さな頃のお母さんの言い付けを思い出したけれど、ちらりと見上げた男の人があまりにもおいしそうに食べているので、釣られるようにかぶりついた。

「おいしい?」

男の人が、軽く首を傾げて聞く。
すらりとした体格とスーツに、その仕草とそれが似合う幼さを残した顔がアンバランスだった。でも、美形は何をしても似合うから得だと思う。
そこまで考えて、彼が不思議そうに更に首を傾げたので慌てて頷く。良かった、と笑うその人に、頬が熱くなっていった。
そのままお互い、無言で肉まんを食べる。そういえばこれ、この人のお金で買ったん、だよね。そう思い、意を決して声をかける。

「…あ、あの、」
「ん?」
「肉まんのお金…」
「ああ、そんなの気にしないでいいよ。久しぶりに日本に来たから、俺が食べたかったのが一番だし」
「でも…」
「中学生に心配されるほど、寂しいお財布じゃないさ」

笑いながらそう言われてしまえば、もう何も言えない。けれど、今度はわたしが首を傾げる番だった。
さっきも久しぶりに、と言っていたし、この人は外国にいたらしい。なるほど、なら町を行き交うサラリーマンと雰囲気が違うのも頷ける。
わたしがもそもそと肉まんを頬張っている間に、男の人はもう食べ終わったらしい。公園の隅にあるごみ箱に、包み紙を投げ入れた。それから不意に、スーツのポケットから何かを取り出す。

「はい、どうぞ」
「え?」
「すぐそこに落ちてたテスト。君のでしょ?」
「…あっ、うわっ!」

丁寧に四つ折にされたぐしゃぐしゃなそれを、慌てて男の人の手から奪い取る。
見られた。あんな悲惨な点数のテストを、よりにもよってこんな美形のお兄さんに、見られた!
食べかけの肉まんも放り再びテストを握り潰すわたしを宥めるように、眉を下げて彼は笑う。

「久しぶりにこの並盛町に戻って来て、この公園を通り掛かって。そしたら君がいて、これが落ちてた。…何だか懐かしいなって、そう思ってさ」
「懐かしい…?」
「そう。俺もね、中学生の頃はダメダメだったんだ。テストなんて、いつも一桁だったし」
「…うっ、嘘だあ…!」

嘘じゃないよ、と笑う彼にそんな面影はない。
IT企業に勤めるエリートサラリーマン、と言われても頷ける風貌だ。少なくとも、わたしよりダメだったと言う雰囲気は全く見られない。
嘘だ嘘だと繰り返すわたしに、その人はどこか懐かしむような遠い微笑みで語り出す。ここ並盛町が自分の生まれ故郷なこと。わたしと同じ並中生だったこと。中学生の頃は勉強も体育も出来なくて、ダメダメと呼ばれていたこと。
すっかり冷えかけた肉まんに気付いた頃、語りたいことを全て語り終えたかのようにすっきりとした顔で、彼が笑った。

「そんなダメダメだった俺も、今ではこの国を離れて何とかやれてるし。不思議なもんだよね」
「今はどこの国に住んでるんですか?」
「イタリア。…中学生時代に出会った友達と一緒に、仕事してるんだ」
「す、すごいですね…」

照れくさそうに笑う彼に憧れながら、肉まんをかじる。
友達。そういえば、友達と喧嘩した理由は何だっただろう。考えてみても思い出せなくて、代わりに寂しさが込み上げる。一人になるのが嫌で声をかけた。始まりはそれでも、今では大切な友達なのだ。

「焦っちゃダメだよ」
「え?」
「ダメなものはダメ、なんて言っちゃいけないんだろうけど…。まあ、ゆっくりやっていこうよ。当時の俺も、今の君も、まだまだ若いんだから」

その言葉は、ブランコに座るわたしを通し中学生時代の自分に言い聞かせていたのかもしれない。
もしかしたらこの人は、最初からわたしが見えていなかったのだろうか。彼の視界の中。ブランコに座るのは、在りし日の自分なのだろうか。

「さて、そろそろ帰ろうか。家まで送るよ」

ぱん、と彼が手を叩いた音が夜に響く。
はっとして冷えた肉まんを口の中に詰め込み、やっとのことで飲み込むと慌てて立ち上がった。

「わたしの家、すぐそこなんで!大丈夫です!」
「でも…」

頑なに首を横に振れば、男の人は眉を下げながらも頷いた。
柵に立てかけてあった鞄を取り、男の人を見る。不思議そうに首を傾げる幼い仕草に促され、俯いたまま恐る恐る口を開いた。

「…あの、わたし、みょうじなまえって言います。…お名前、聞いても大丈夫ですか?」
「ああ、そういえば自己紹介もしてなかったね。俺は、…綱吉って言うんだ。今日は付き合ってくれてありがとう、なまえちゃん」

彼が名字を言わなかったことも、名前を言う前の不自然な空白にも、わたしは気付かない。
綱吉さん、とほわほわとあたたかくなっていく胸の中で呟き、慌てて頭を下げた。

「…わ、わたしこそ、ありがとうございました!…つ、綱吉さん」
「ツナでいいよ。綱吉より、そう呼ばれることの方が多いんだ」
「…ツナさん?」

窺うようにそう呼べば、笑顔で頷いてくれた。
ばくばくと音を立てる胸に急かされるまま、縋り付くようにツナさんのスーツの袖を掴んだ。

「また、会えますか?」
「…え?」
「そ、その、楽しかったです!だから、また会えたらなって…。ツナさんが外国でお仕事してる人だって、わかってる、けど…」

何だか、嫌だった。この人との関係を、このまま終わらせてしまうこと。楽しかったことは事実だし、でも、それ以上にわたしは嫌だった。何故かなんてわからないけど、とにかく嫌だった。
ツナさんは目を瞬かせ、ふと何かを考えるように目を伏せる。迷惑だったかな、と今更ながらに胸が痛んだ。

「…俺、次はいつ日本に来るかどうかもわからないんだ」
「うう…」
「連絡先、か…。…うーん、さすがにそれはまずいし、リボーンに怒られるよなあ……」

どちらかというと、独り言の類だろう。
ぶつぶつと呟きながら腕を組んだツナさんをそわそわと見上げていると、不意にツナさんが小さく息を吐いた。

「それじゃあ、こうしよう。なまえちゃんの家、ここから近いんだよね」
「は、はい!」
「俺がいつ日本に来るかはわからないし、仕事の都合上、連絡先を教えることも出来ないんだ」

申し訳なさそうな顔でわたしに言い聞かせツナさんは、どんな仕事をしているのだろう。

「だけど、もし俺が日本に来た時は、この公園でなまえちゃんを待ってるよ」
「でも、それじゃツナさんが大変じゃ…」
「大丈夫。俺も、またなまえちゃんに会いたい」

その笑顔に、その言葉に熱くなる頬を隠すように俯いた。
頭上からくすくすと笑い声がして、大きな手が頭を撫でる。
そして、その手が離れた。

「それじゃあ、またね」
「…はい、また!」

ツナさんが踵を返す。
揺れる髪と、スーツの背中を見送って、わたしも家へ足を向けた。名残惜しむようにゆっくりと、ゆっくりと歩み出す。
家に帰ったら、まず友達に電話をしよう。それから何をしようか。ああ、それより先にお母さんに怒られるのが先かもしれない。でもまあ、ゆっくりいこう。
振り返れば、もうその人の姿はなかった。



ぶらりと故郷に戻って来たマフィアのボスと、ふつうの中学生女子の話
これは何本か書きたいなーと思って脳内だけでプロットを立てたけど、確実に話数かなり必要だから自重する
ちなみにツナさんと中学生、確実に一回りは年離れてる


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