わたしは小田原北条家が当主、北条氏政の末孫である。
天下を巡り群雄が割拠するこのご時世、武家の女子の役目など家同士の繋がりをより強固なものとするため見も知らぬ相手に嫁ぐ程度。だと言うのに、お祖父様はわたしを嫁がせるのを渋った。年老いて得た末の孫娘、手放すことを惜しんでくださったのだろう。だからこそわたしは、この戦乱の世で十五になると言うのに嫁入りの話一つもなく平和に過ごしていたのだ。
そして戦乱の世は終わりを迎える。彼の徳川様を将とする東軍、そして彼の石田様を将とする西軍による天下分け目の戦いが前田家の風来坊により誰も予想し得なかった形で収束し、何やかんやと天下は誰のものとなったのやら。徳川様も石田様もご健在。北条が与した東軍の敗北こそないが勝利もなく、しかし、お祖父様は満足そうだった。
そうして天下が誰のものでもなくなってから一月が過ぎ、わたしはお祖父様に呼び出された。

「なまえ、お主の嫁ぎ先が決まったぞい」

上機嫌な様子でそう言ったお祖父様に、思わずはあ、と気の抜けた返事をしてしまった。
我が事ながらこのまま行き遅れになるのではと思っていたこの矢先の話である。行き遅れになるよりましだが、一体この変わりようはどうしたことだろう。

「いや、実はのう。豊臣による小田原攻めの時に無血開城をしてくれた官兵衛殿を覚えておるか?」
「はい、もちろん覚えております。我が北条家の恩人でございますから」

小田原を落とせば東国への進軍は楽になる。本能寺の変で織田家が滅び、飛ぶ鳥を落とす勢いの豊臣軍はついに小田原へと兵を差し向けた。
雑賀衆を引き連れた豊臣軍に北条の兵士も風魔の方々も成す術もなく城を落とされるだけかと思いきや、豊臣の軍師黒田官兵衛様が単身で栄光門を叩いた。
わたしもその時のことは鮮明に覚えている。長い篭城戦に疲弊しきった小田原城に乗り込みお祖父様と話し合った黒田様は、様々な条件を提示しながらも血を流すことなく小田原城を落としたのだ。

「そうぢゃ。その官兵衛殿がこの度、九州の穴蔵から解放されることになったのぢゃ。その祝い、と言う訳ではないんぢゃがのう…。官兵衛殿には無血開城の恩もある故、これからも末永く北条と親交を……」
「畏まりました」

お祖父様の話を遮るように、深く頭を下げる。

「このなまえ、北条の繁栄と黒田家との親交のために黒田官兵衛様の元に嫁がせていただきます」





然して、わたしは官兵衛様の正室として嫁入りすることとなった。式の直前になり父よりも号泣しやっぱり嫁入りさせんと騒ぎ出したお祖父様のことは置いておくとして、わたしの夫となる官兵衛様のことである。
官兵衛様は投獄されていた名残により手枷をされている。その手枷には石田軍の軍師大谷様の呪詛が掛けられ、破壊したりも出来ないらしい。唯一手枷を外せる鍵は行方不明、つまり事実上手枷を外すことは不可能。

「しかもその上、お前さんと小生はそれこそ親子みたいな年の差がある。お前さんは、…ええと、確か十五だったな」
「はい」
「十五なんて小生からしてみりゃただの子供だ。…いや、別にお前さんを厭うて言ってるんじゃないんだが……」

長い前髪に隠された顔は、戸惑いを隠しきれなかった。
結婚式を済ませ、もちろん次は初夜である。未知の行為が恐ろしくないわけがないが、これも正室としての勤めだ。子が出来ないからと側室を娶られるのは正直言って我慢ならない。わたしなりの意気込みで覚悟を決めて寝所で待っていれば、ずるずると重りを引きずってやって来た官兵衛様は徐にこの手枷は外れん、と切り出したのだ。

「式まで済ませちまったのにこんなこと言い出して悪いが、こんな小生ではやっぱりお前さんを幸せには出来ん。お前さんみたいに若い娘は、小生みたいな運が悪くツキも回ってこないくたびれたおっさんとじゃなくもっと若い男とだな…」
「官兵衛様」
「お、おお。何だ」
「わたしは、官兵衛様の妻でございます」

官兵衛様が気まずげにその大きな体駆を縮こまらせた。
きゅん。布団の上に向かい合い座るその人に胸が妙な音を立てた。思わず心臓を押さえ首を傾げれば、気を取り直した官兵衛様が声を上げる。

「いっ、いやいや、確かにそうだがな。お前さんは器量も良いし、いくら小生と結婚したって過去があったとしてもお前さんを望んでくれるいい男がいるさ」
「それでも、わたしは官兵衛様の妻として生きると決めました」
「だ、だがな…。北条殿には小生から言っておくから、今からでも…」
「官兵衛様」

窘めるように名前を呼べば、官兵衛様は拗ねたように頭をかきながらも口を閉ざした。
きゅん。再び心臓が妙な音を立てて跳ねる。この心臓がこんな音を立てたのは初めてのことで、わたしは内心首を傾げつつ、きゅんきゅんと高鳴る胸はそのままに官兵衛様を見上げた。

「確かに、官兵衛様から見ればわたしなどただの小娘でしょう。ですがわたしはこれでも武家の女です。わたしのためと思ってそう仰ってくださっているのであれば嬉しく思いますが、それはただの杞憂にございます」
「杞憂?」
「はい、杞憂です」
「…そ、そうなのか?」

むむ、と唸りながら腕を組み首を傾げた官兵衛様に再び心臓が早まる。大きな体駆と幼子のような仕草の不釣り合いさが妙に、こう、何と言うか。
可愛い、と言うか。

「官兵衛様、なまえは幸せにございます。わたしのことを気遣ってくださるような優しいお方の元に嫁げたこと、一生分の運を使い果たしたとて幸せだと思っております」

政略に基づいた結婚に愛など望みはしない。せめて手酷く扱われなければ僥倖と言ったところだろう。武家の女として、その程度は弁えていたつもりだった。しかし、官兵衛様はわたしを手酷く扱う所かこうして気遣ってくださっている。それが例えわたしを子供として見ているからでも、わたしはこの方に嫁げたことを心から幸せに思う。お祖父様の目に狂いはなかったのだ。
官兵衛様は首を捻りながらもがりがりと頭をかき、一つため息を吐いた。もしや嫁の分際で生意気なことを言い過ぎただろうか。思わず身構えたわたしに、苦笑を浮かべた官兵衛様の小さな呟きが聞こえた。

「お前さんみたいな嫁さん貰えるなんて、小生も一生分の運を使い果たしちまったんだろうなあ」

きゅーん。

「おっ、おい、どうした!?小生何かしたか!?おーい!」
「っい、いえ!だ、大丈夫です…!」
「いいから今日はもう休め、きっと慣れない環境で疲れとるんだ。ほら、早く布団に入れ!」
「ちがっ、違うんです!違うんです、体調が悪いわけではなくて…!」
「急に口を押さえて蹲っといて何が違うんだ!」
「そ、それは、その、」

絶え間なくきゅんきゅんと鳴る胸を押さえ、熱に浮されたような酩酊感に吐息を零す。
搾り出した声は、今まで聞いたことがないほど色めいていた。

「官兵衛様があまりに、可愛いすぎて…」

嫁入り前夜、お祖父様がわたしに言った。きっとお主も官兵衛殿を気に入ることだろう、と。ええ、もう、お祖父様。あなたの目に寸分の狂いもありませんでした。
ぽかんと大きく口を開け呆ける官兵衛様の、無防備な姿に更に胸がきゅんと音を立てる。わたしより遥かに大きく立派な体駆、お世辞にも手入れされている様子の欠片ない黒髪。無精髭も、手枷も、鎖も重りも官兵衛様を官兵衛様と成す全部全て何もかもが、一瞬で愛おしくなった。
ああ、お祖父様。このときめきが、恋なのですね。



官兵衛かわいいよおおおおお
珍しく夢主がトリップしてない子です。でもたぶんおばかさん。頭の中はおはなばたけ
題して官兵衛と若奥様シリーズ。無自覚で夢主を大切にしてくれる官兵衛と、そんな官兵衛が好きすぎて生きるのがつらい夢主。と、そんな夢主に一目惚れしちゃう三成とか面白そうだと思う



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