恋をすると世界が変わるというけれど、どうやらそれは本当らしい。
視界は常にあの人固定、会話が出来れば飛び上がるほど。夢でさえあの人を探して、あの人に会えない日は膝を抱えて。
わたしなんか相手にされないってわかっているけれど、初めての本当の恋に浮かれる心は、自分ですら止められない。
止められなかったのだ。
安らかに、静かに寝息を立てるあの人に、早鐘のような胸に突き動かされるまましてしまった、キス、を。
ちなみにファーストキスであることは言うまでもなく、込み上げる羞恥心と罪悪感に、その場から逃げ出した。
それは、昨日のこと。





羞恥心と罪悪感と後悔に頭を抱え、悶えている間に、夜は明けていた。
一睡も出来ずに迎えてしまった朝日は目に痛く、カノンノを起こさないように支度をして、部屋を後にする。どこかへ行こうとしているわけじゃないけれど、とにかくどこかで一人になって、思う存分落ち込みたかった。いや、だって、わたし、何てことを。
走り出して叫びたくなる衝動を堪え、ため息という形で吐き出してから、再び歩き出す。そしてそのまま真っ直ぐに、甲板を目指した。
冬の、しかも早朝の冷たい空気に晒して、この頭を冷やしたかった。
誰もいない、暗いホールを横切ってため息を吐きながら甲板の扉を乱暴に開けた。吐いた息を取り戻そうと、肺一杯に新鮮で冷たい空気を吸い込んで、ふと目を開ける。

「随分と早いな」

肺一杯に吸い込んだ新鮮な空気を思いっきり吹き出した。
噎せたわたしが背を震わせていると、宥めるようにその背を撫でられる。大きく、温かい手に、心臓が一際強く跳ねる。

「驚かせたか」
「…っ、す、すみませんでした…」
「いや、こちらこそすまない」

口元を押さえ、再び込み上げてくる羞恥心や罪悪感や後悔に、小さな心臓が大きな音を立てるのに内心悲鳴を上げながら、目を逸らしたまま頭を下げる。

「…お、おはよう、ございます…クラトスさん」
「ああ、おはよう」

手にしていた抜いたままの剣を、鞘に戻した。
どうやら鍛練でもしていたらしい。何というか、タイミングが良すぎる。いや、悪すぎる。
その横顔を盗み見ながら未だにうるさいわたしの心臓を押さえる。
昨日、眠るクラトスさんの唇に触れた時の熱は、まだ消えていなかった。





わたしと同じく、わたしよりも早く目を覚ましたらしいクラトスさんは、まだ朝日すら昇っていない空の下、そして甲板の冷たい空気の中で鍛練をしていたそうだ。
今更去るのも気まずいのと、クラトスさんが鍛練なんて珍しいという好奇心と、もう少し側にいたいという下心を含めて、見ていてもいいですかと聞いたわたしに、クラトスさんは好きにすればいいと言ってくれた。
甲板の隅に座り、わたしに背を向け剣を振るう、その姿を眺める。
顔が見れないのは残念だけど、やっぱり剣を振るう姿はかっこいいなあ、とか。ただこうして眺めるだけで満足してしまうのは、最初から叶うはずのない恋だからだろう。
だってわたし、クラトスさんのこと何も知らないし。それにゼロスさんから聞いたけど、昔は奥さんがいて、けれど色々あって死別したとか。
叶うはずがないよなあ。思わずため息を零したのと同時に、クラトスさんが剣を鞘に収めた。

「どうした」
「へ?」
「お前にしては珍しく、随分と大きなため息だったな」
「え、あ、…ちょっと」

あなたに恋患いしてるんです、なんて、言えるはずもなく。
気にかけてくれたことに喜びを噛み締めながら、曖昧に笑う。クラトスさんは変わらずわたしに背を向けたまま、甲板の向こうを見ていた。そこ横顔に、ちょっとした悪戯心が芽生える。
異様に渇きを訴える喉から、声を絞り出す。

「…す、好きな人が、いるんです」

クラトスさんは、ここで初めてわたしに目を向けてくれた。その緑色の瞳に胸をときめかせながらも、見ていられなくて目を逸らして俯いた。
芽生えたばかりの悪戯心は、萎んで消えていってしまった。何でわたしはちょっとでも、この人に想いを知ってほしいなんて思ったんだろう。

「そっ、それで、あの、こ、恋患い、といいますか…。き、昨日も、何かもうすごいことやらかしちゃ、って…!」

脳内にフラッシュバックしたのは、昨日のこと。
一気に沸騰した頭を抱え悶えていると、すぐ近くに人の気配を感じた。
恐る恐る顔を上げてみれば、やっぱりそこにはクラトスさんがいて。
無表情でわたしを見下ろす彼の真意は全くわからないけれど、わざわざ腰を折り身を屈めたクラトスさんに、わたしの頭は更に沸騰した。

「ごっ、ごめんなさい!本当にごめんなさい嘘です忘れてください!」
「ナマエ、」
「な、何かもう、諦めた方がいいですよね!ゼロスさんも、そう言ってたし…!」

そう叫んだ瞬間、顔を隠していた手をクラトスさんに取られた。
驚いて見上げたわたしの目に入ったのは、夜空色した彼の服。
額に触れた何かに目を見開いていると、クラトスさんはすぐにわたしの手を離して立ち上がる。

「諦めるのか?」

無表情にわたしを見下ろす彼の心は、やっぱりわたしには全くわからなくて。
額を押さえ呆然としていたわたしは、ただ首を横に振る。

「…諦め、ません」

クラトスさんはわたしの気のせいのように、淡く微笑んだ。

「そうしてくれ」


夜が明けていく。
結局、わたしが恋するあの人はとても大人で、わたしの想いも、昨日のことも、きっと気付いているのだろう。
それでも、わたしの想いに気付いていないふりをしてくれるのは。諦めないと言った時、ああして微笑んでくれたのは。額に、触れた、のは。

「……好き、です」

いつか言えるだろうか。
クラトスさんに、好き、と。ただ、その一言を。
額を押さえて、わたしは笑う。やっぱり敵わないなあ、と、呟いて。



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