「…おら、やるよ」

その言葉とは対照的に、彼の纏う雰囲気はまるでカツアゲのようである。わたしは突き付けられた紙袋を爆発物でも触るかのような心持ちで受け取ってから、帽子を深く被って頑なに視線を合わせようとしないスパーダさんを窺った。やはり視線は合わない。沈黙が苦しく、どうしたものかとそっと紙袋の中を覗き込んで、わたしは目を瞬かせた。

「これ、制服…?」

学士の服――いや、違う。デザインは確かに似ているけれど、その色合いはどちらかと言うと、今は懐かしい高校の制服によく似ている。そう、わたしが燃やして捨てたあれだ。
何でこんなものをスパーダさんが。困惑するわたしを窺うように、深く被った帽子の鍔から灰色の瞳が覗く。

「前にスカート破けて捨てたやつがあっただろ。あれと似たやつ見つけたから、やる」
「で、でも…」
「いいから受け取れっつの!誰が何のために恥ずかしい思いまでしてイリアに頭下げて買って来てもらったと思ってんだ!」
「ひえっ、は、はい!」

いや本当に何のためだよ。って言うかイリアさんに買って来てもらったんだ、これ。内心そう思いながらすごすごと紙袋を胸に抱えて、小さく頭を下げる。あとで一応イリアさんにもお礼を言っておこう。不機嫌そうに眉を寄せるスパーダさんはそれでも満足げに頷くと、すぐに踵を返して行ってしまった。

「…何だったんだろう……」

本当、何だったんだろう。





「これ、貰ってやってくれ」

苦笑を浮かべるアスベルさんを盾にするよう、彼の後ろでそっぽを向いているリオンさんには突っ込まない方がいいのだろうか。とりあえずありがとうございますと受け取ってみると、それは雑誌だった。わたしの読み間違いでなければ、何と言うか、少々乙女ちっくなタイトルの。

「スイーツ女子必見!ルミナシア特選スイーツ、丸ごと紹介しちゃいます…?」

どうやらグルメ雑誌らしい。確かに甘いものは好きだが、渡す相手を間違えていないだろうか。ほら、後ろで頑なにこちらを見ようともしないリオンさんとか、その辺りと。わたしの疑問に満ちた表情で全てを察してくれたアスベルさんは腰を屈めまるで内緒話をするように、わたしの耳元に唇を寄せた。

「それ、実はリオンからなんだ。付箋が貼ってあるだろ?きっとおすすめのお店なんじゃないかな」
「おい、余計なことは言うな」
「観光なんて今更かもしれないけど、せっかくなら平和になった世界をその目で見て来てほしいんだ。空の上やルミナシア儀を眺めるんじゃなくて、その目で、その足で」

背後から飛んできた叱責を華麗にスルーしたアスベルさんはそれだけ言うと、不機嫌を隠さないリオンさんを捕まえてわたしの前に引きずって来た。おい、とか離せ、とか騒いでいたリオンさんだったが、笑顔のまま手を離そうとしないアスベルさんにやがて諦めたように深いため息を吐いた。そしてわたしの手にする雑誌を奪い取ると、付箋のしてあったページを開いたと思ったら押し付けるようにしてわたしに戻して、今度こそ乱暴にアスベルさんの手を振り払い去って行った。
マントを揺らす華奢な背中を見送り、アスベルさんは手元の雑誌を覗き込んでくる。

「へえ、プリン・アラモードが有名なお店か」
「…なるほど」

分かりにくい優しさにわたしはそっと笑いをこぼした。きっとこの紙袋の中身も分かりにくい優しさなのだろうと、イリアさんに頭まで下げてくれた彼のことを思い直した。





「私はこのシュークリームが気になるなぁ」
「うーん、私はこっち!レアチーズタルトがすっごくおいしそう!」
「このティラミスが有名なケーキ屋さん、今度依頼で行く街の近くにあるみたいだよ」

さすがに女子はスイーツに目敏く、たった一冊のグルメ雑誌で結果的にはトリプルカノンノが全員釣れてしまった。きゃっきゃと騒ぐ美少女たちを眺めここは天国であることを確信していると、不意にカノンノが振り返りナマエは?と聞いてくる。わたしは苦く笑いながら、迷わず付箋の貼られたページを開いた。

「わたしはここのプリン・アラモードが食べてみたいな」
「プリン・アラモードもいいよね。またロックスに作ってもらおうか」
「レアチーズタルトも、ティラミスもね」

ロックスさんなら朝飯前だろう。もうお店に行く必要ないねとひとしきり笑い合ってから、わたしは立ち上がった。

「そろそろ依頼から帰って来る頃だし、ラザリスを迎えに行って来るね。みんなまだいるでしょ?」
「うん。夕食の時間までお邪魔します」

イアハートが屈託なく笑い、その向こうでパスカが微笑んだ。そこに僅かな慈しみを見つけて何だか気恥ずかしくなりながらそそくさと部屋を後にしようとする背中を、カノンノの声が呼び止める。

「お茶淹れて待ってるから、早く帰って来てね」

笑うカノンノは真白い陶器のポットを手にしている。最初はカノンノとわたしの分しかなかったティーカップも、いつしかアンジュさんやナタリアさん、イアハートやパスカ、ラザリスの分が置かれるようになっていた。ふと部屋を見渡せば例えばキールさんに貰った本、イリアさんから押し付けられたよく分からない怪物みたいなぬいぐるみ。枕元のルミナシア儀、広げられたスイーツ雑誌に、壁にかけられた制服によく似た服――こうして改めて見渡してみると、随分と物が増えたものだ。

「いってらっしゃい」

一瞬だけかつてを思い返していたわたしに、カノンノはいつもと変わらない笑顔を見せてくれた。わたしの胸の内に花を咲かせるようにあたたかなそれは、いつでも変わらず、何も変わらず、わたしの側にある。
そんな当たり前が、ずっとずっと、これからもずっと、続いていきますように。

「いってきます」





「ナマエ、ただいま」

リヒターさんとセルシウス引きずられ渋々依頼をこなすためアブソールへ向かったラザリスは、甲板で帰りを待つわたしを目にした途端リヒターさんとセルシウスをその場に置いて一目散に帰って来た。わたしに抱きつきはしゃぐラザリスは可愛いのだが、それ以上にホールからこちらを見ているであろうアンジュさんの笑顔が怖い。そろそろ一緒に依頼に行けるだろうかなんて考えていたが、はてさて、どうやらもうしばらくは無理そうである。アンジュお母さんは誰のことも甘やかさないのだ。

「おかえりなさい。怪我は?」
「かすり傷を負ったけど、ナマエが悲しむからってあの男が治したよ」
「リヒターさん、ね」

そのリヒターさんはどうやら船に戻らず買い物にでも行ってしまったらしい。お礼は夕食の時にでもしようと、一人で甲板に戻って来たセルシウスに手を振った。そっと微笑んで手を振り返してくれる彼女はここで、この船で、これからもずっとわたしの側にいてくれるらしい。世界樹はあなたに過保護なのよ。そう笑った彼女に、わたしはようやくごめんなさいと言うことが出来た。彼女はただ許すように微笑んでくれた。

「ナマエ、手を出しておくれ」
「うん?」

甲板に佇むセルシウスからそうねだるラザリスに視線を戻し、首を傾げながら手のひらを差し出す。ふふ、とあどけない笑みをこぼした少女は、小さな欠片をわたしの手のひらに乗せた。
どこか見覚えのある、青いプラスチックの欠片を。

「綺麗な石だろう?アブソールも雪解けの季節を迎えたようで、僕達が行ったオイルツリーの周辺は少し雪が薄くなってた。そこに落ちていた石だよ」

得意げに語るラザリスの声がどうしで現実味を帯びず、まるでわたしひとりどこかに放り出されたようだった。彼女達がアブソールへ向かったことは知っていのだが、まさかオイルツリーの元で、まさか――壊れた携帯ストラップの欠片を持って帰って来るなんて。
こんな偶然があるのか。そう感嘆しながら手のひらの上で転がる欠片をまじまじと見下ろしていると、不安げな顔をしたラザリスがわたしを覗き込んできた。

「…気に入らなかったかい?」

何も言わずに首を横に振り、ラザリスの頬をそっと撫でた。

「ううん。すごく、…すごく嬉しいよ。ずっと探していたの…ありがとう、ラザリス」

途端に花綻ぶような笑顔を見せてくれたラザリスの手を握る。しっかりと握り返してくれたラザリスの、小さくてまるい頭を撫でながら、わたしは確かな幸せを感じていた。
彼女と手を取り合える今は、かつての涙を糧に芽吹いた未来だ。亡くしたものも捨てたものも二度とは戻ってこないけれど、わたしはこれからたくさんのものを手に入れることが出来るのだろう。取り戻すことができるのだろう。気が付けばがらんどうだった胸の穴に寂しさを感じなくなったように、足を掬うような浮遊感に苛まれなくなったように。
――よっと、なんて声が甲板から聞こえてきた。もうすぐ夕飯だからだろう、依頼に出ていたメンバーが梯子を登り、次々と戻って来る。途端に騒がしくなった甲板にラザリスがきゅっと眉を寄せるが、それがもうただのポーズであることは知っている。思わず苦笑を浮かべたわたしは、視界の端に見つけたその人に向けて微笑んだ。

「おかえりなさい、ユーリさん」


ピリオドの向こうには、わたしの望んだ世界が待っている。


menu

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -