唐突に思い立って始めた私物の整理もようやく終わりが見えてきた。
教科書なんかはキールさんからの熱心な打診を受けて研究室に寄贈したし、ルーズリーフや破れた制服は焼却処分、その他いらないものも全て捨ててしまった。携帯と同じく処分方法の分からなかった音楽プレーヤーはまたガラクタ屋さんに引き取ってもらうとして、処分するには心の痛むお金なんかは何故かルーティさんが喜んで引き取ってくれたのが幸いである。果たして日本円がこの世界において価値があるかどうかについてはわたしは一切責任は持たない。
最終的に手元に残したのは、本当にごく少ない持ち物だけだった。草臥れた学生鞄に筆箱、定期入れ、家の鍵――もう必要ないとわかっていながらも、どうしても捨てることの出来ないもの。それ以外の全てを捨てて、隠していた未練を引きずり出して片付けて、がらんどうになったクローゼットを背にして食堂へ向かった。もうすぐおやつの時間である。

「一体いつになったら元の世界へ帰れるんだ…」

――食堂への道すがら、通りかかったホールから聞こえてきた声に足を止めた。リオンさんとよく似ているが、内容からしてジューダスさんだろう。どうやらカイルさんと話をしているらしい。苛立ちを隠さないジューダスさんの声に恐れをなして一瞬だけ素通りしようか迷ったが、わたしは勇気を振り絞ってそっと、柱の影に隠れながらホールを覗いてみた。

「でも、この世界も楽しいよ」
「ハロルドの奴、今回の実験で通算116回目の失敗だ。…わざとやっているんじゃないのか?」
「えええ!?確かに俺達は実験の失敗でこの世界に来たけど…わざとかあ。…ちょっと…ありそう…だね…」

ハロルドさんの信頼のなさがやばい。
内心そう戦慄していると、不意にカイルさんと目が合ってしまった。わたしが身を竦めるよりも先に縋るような目で手招きをされてしまって、それを無視することも出来ず彼らに歩み寄って行く。不機嫌なジューダスさんって不機嫌なリオンさんと同じくらい怖いんだよな、と思いながら。

「ほら、でもさ、その『失敗』でまた元の世界に戻れるかも!ねっ、ナマエ!」
「ナマエ?」
「あっ、はい!そ、そうですね!」
「…お前、いつの間に」
「たった今です…」

すごすごとやって来たわたしに気分が白けてくれたらしく、ジューダスさんは深いため息をこぼしてから、怒りに強張っていた肩の力を抜いてくれた。カイルさんと目を合わせ、首を傾げながらも互いに頷き合う。何かよくわからないけどよかった。うん。よかった。

「そんなことより、二人はおやつに行かないんですか?」
「あっ、そうだった!」
「もうそんな時間か」

ジューダスさんもリオンさんと同じく甘党だ。時計を窺う彼はすっかり先ほどまでの苛立ちを忘れているらしく、脳裏で微笑むロックスさんにそっと頭を下げた。あなたのおかげで今日も船は平和です。

「ナマエ、ジューダス、カイル。ロックスがおやつだって呼んでるよ」

聞き慣れた声に振り返れば、カノンノとイアハートが並んでそこに佇んでいた。相変わらずよく似ている。感嘆を隠さないわたしと目の合ったイアハートは、にっこりと、眩しい笑顔を見せてくれた。

「今日はクレープシュゼットだよ!」

クレープシュゼットって、あの、三時のおやつにしては明らかにお洒落過ぎやしないだろうかロックスさん。思わず真顔になってしまい二人にくすくすと笑われるわたしの隣で、カイルさんが何かに気が付いたように手を叩いた。

「あっ、そうだ!どっちか最近、一人で闘技場に参加しなかった?」

唐突にそう問われた二人は驚いたように目を瞬かせてから、揃って首を横に振った。

「ううん?」
「一人では行っていないなあ」
「いきなりどうしたんですか、カイルさん」

不思議そうな顔で首を傾げ、カイルさんは何かを思い出すように腕を組んだ。

「おかしいな…。今の闘技場チャンピオンの名前、カノンノって言うらしんだ」
「え?」
「髪もピンク色で、女の子で…。とにかく、カノンノそっくりらしいんだよ!」
「…え?」

今度こそドッペルゲンガーだろうか。いや、二度あることは三度あると言うし、カノンノの生き別れの姉妹とか、むしろ今度こそただのそっくりさんと言う可能性もある。
わたしは念のためもう一度二人を窺った。しかし、二人もまたカイルさんと同じく不思議そうな顔をしている。どうやら本当に心当たりはないらしい。

「うぅ〜?知らないなあ」
「でも、ちょっと興味があるね」

その瞳に好奇心を隠さず、イアハートがわたしを見た。

「ナマエ、見てみたくない?」
「…じ、実は、ちょっとだけ」
「うん。私も見たい見たい!」

カノンノまでそう頷いてしまえば、全て決まったも同然である。いつにする?もういっそ今日行っちゃう?いいね、そうしよう!――そうして盛り上がるわたし達を横目に、僕は知らないぞとこぼしたジューダスさんの深いため息に、カイルさんは苦く笑った。





わたし、カノンノ、イアハート。
パーティのバランスも悪くないし三人で闘技場に挑んでも構わなかったのだが、カノンノを心配したロックスさんにせめてもうお一方、出来れば男性の方を…と遠慮がちに頼まれてしまった。まあ、仕方ないだろう。カノンノそっくりのチャンピオンに興味を持ったニアタが同行してくれることになったが、闘技場の周辺はいわゆるゴロツキなんて呼ばれるような人が多く、カノンノやイアハートのような可愛い女の子は飛んで火に入る何とやらかもしれない。現チャンピオンはカノンノ達に似ていると言うし、勘違いで絡まれたりしてもニアタはもちろんわたしでは助けられないだろう。役立たずここに極まれり。
そんなわけで、わたしはとある人を探し船内を歩き回っていた。ロックスさんお手製のクレープシュゼットは大変おいしく、おかげで廊下を進むわたしの足取りは大変ご機嫌である。甘いものは素晴らしい。カノンノとイアハートを待たせているのだから急がなければならないのはわかっているものの、わたしはスキップのような足取りでその人を探し、廊下の向こうに目当ての黒髪を見つけて――声をかけた。

「ユーリさん!」

長い黒髪を靡かせて彼は振り返る。喜色満面で駆け寄って来たわたしに軽く目を見開き、ユーリさんは驚いた様子も隠さず首を捻った。

「どうした、随分とご機嫌だな」
「クレープシュゼットがおいしかったので…っと、そんなことより、ユーリさんこれからお暇ですか?」
「これから?」

ユーリさんは再度驚いたようにその目を瞬かせたが、まあ暇だけど、と軽く頷いてくれた。

「やった!それなら一緒に闘技場行きませんか?カノンノとイアハートと三人で行こうって話をしてるんですけど、もう一人メンバーが欲しくて」
「そりゃ構わねえが、お前、闘技場嫌いだったろ。カノンノ達と行くにしても、よく行く気になったな」
「それはそうなんですけど、って言うかそれはユーリさんが何回も無理やり連れて行くからであって…ああ、もう。あのですね、さっきカイルさんから…」

――カノンノそっくりの闘技場チャンピオンの話を聞いたユーリさんの瞳が、明らかに好戦的な色に燃え上がったのことに気付いた。彼にとってはカノンノにそっくりだと言うことよりも、闘技場チャンピオンに挑みに行くと言うことの方が重要らしい。さすがは戦闘バ…改め、ユーリさんである。余程のことがない限り闘技場の誘いは断らないと思って声をかけてみたのだが、どうやらその読みは当たったらしく、ユーリさんはその唇を吊り上げた。

「カノンノのそっくりさんねえ…。前に闘技場へ行った時はそんな話は聞かなかったが、まあ、もう一人いたってもう驚きはしねえな。いいぜ、付き合ってやるよ」
「ありがとうございます!それじゃ、準備が終わったらホールに来てくださいね」

去り際にわたしの頭を軽く小突いてから、ユーリさんは背を向けて廊下の向こうへ去って行く。わたしも小突かれた頭をさすりながら踵を返したのだが、不意に足を止めて振り返ると、曲がり角に消えていく黒髪をそっとこの目に焼き付けた。
深い意味は、ない――はず。


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