「あんたら、アドリビトムの人なんだって?」

心なしか何かを含ませたような声でそう問われたクレスさんは、少しだけ驚いたように目を瞬かせてからお釣りを受け取り、人の好い笑みで頷いた。それに気付いて買い出しリストの確認をしていたわたしとミントさんが顔を上げると、店主のおじさんが身を乗り出すようにしてクレスさんにこう言った。

「アドリビトムって言うとあれだろ、ディセンダー様がいるギルドだろ?いやー、噂は聞いてるよ!」

わたしはぴしりと固まる。クレスさんとミントさんも釣られるように固まったが、気安い笑顔で話を続ける店主のおじさんのおかげでクレスさんだけは我に返ったらしい。気遣うようにわたしを横目で振り返りながら、荷物を抱え直すような仕草でさり気なく体の位置をずらし、固まったままのわたしをその背に隠した。

「うちの姪っ子が少し前に何だか変な病気を患っちまってな。その病気をディセンダー様に治してもらったとかで、それからずっとファンなんだよ。なあ、ディセンダー様は今も船にいらっしゃるのか?」
「いえ、今は所用で船を留守にしています」
「へえ、さすが。救世主様はお忙しいねえ」

すみませんじゃんけんに負けて買い出し中です。なんて、口が裂けても言うことは出来ない。
感心するようにそう呟いて顎髭を撫でたおじさんはふと真顔になると、市場を行き交う人々を気にするように声を潜める。

「俺達は噂でしか聞いたことがないんだが…ディセンダー様って言うのはどんなお人なんだ?世界樹から生まれるって言うんだ、もちろん人間じゃないんだろ?」

――先程とは全く違う意味で、わたしは固まった。買い出しリストを握る手にじわりと汗が滲む。市場の喧騒が一気に遠退き、わたしだけどこか遠く冷たい場所に置き去りにされたような、今では懐かしい浮遊感と不安に襲われた。
しかしふと気が付けば、わたしの隣にいたはずのミントさんが一歩前のクレスさんの隣に並んでいる。わたしは思わず目を瞬かせた。彼と彼女の背中が、まるで魔物と対峙するかのような――独特の緊張感を纏っていたからだ。

「私達のディセンダーは、とても優しく…愛と慈しみに溢れた人です。世界の危機にも果敢に立ち向かい、どんなに辛い現実であっても真摯に向き合う。そんな彼女と共にこの世界のために戦えたことを、私は誇りに思います」

凛と透き通るようなミントさんの声が、優しくわたしの胸に染み渡る。クレスさんは深く頷くと、ふと纏っていた緊張感を緩めて――わたしは仕草だけで察するしかないが、確かに彼は微笑んだ。

「彼女は僕達と同じ人間です。僕達と同じように笑って、泣いて、たくさん苦しみながらこの世界を守ってくれた。ディセンダーだとか、救世主だとかは関係ない。彼女は確かに僕達の大切な仲間のひとりです」

今度はミントさんが隣の彼へ向けて深く頷いてみせる。二人は顔を合わせて微笑み合うと揃ってわたしを振り返り、あまりにもわたしが情けない顔をしていたのだろう、思わずと言った様子で破顔した。
わたしは呆然としたまま固まっていたが、ようやく肩の力が抜けたような、地に足が着いたような安心感に釣られて笑う。二人に圧倒されていた店主のおじさんはほっとしたように息を吐くと、気まずそうに目を逸らしながら頬をかいた。

「…な、何だかすまなかったな。別にディセンダー様を悪く思っているとか、そんなんじゃないんだ。ただ、そのー…俺達みたいな一般庶民にゃ遠いお人過ぎてな、いまいちイメージが湧かないんだよ」

イメージも何も目の前にいます。とは、もちろん言えるわけもなかった。
クレスさんとミントさんはそんなことないですよと朗らかに言い、わたしもそうだそうだと頷く。しかしそのせいか、何と店主のおじさんはそんな二人の後ろで気まずそうな顔をするわたしに気付いてしまったのだ。

「なあ、そっちのお嬢ちゃんから見たディセンダー様はどんなお人だ?」

クレスさんとミントさんがぴしりと音を立てて固まった。一瞬、不自然な沈黙が落ちたことに店主のおじさんは気付かない。わたし達はそっと顔を見合わせて、こくりと頷き合い、口を開いた。

「…普通の人ですよ。本当にどこにでもいるような…ディセンダーとか救世主とか呼ばれるのが、どうにも気恥ずかしくて未だに慣れないような。ええと、仲間とのじゃんけんに負けてこうして買い出しをするくらいには普通の人だと…お、思います」

ありがとうございました。また来ますね。それじゃ。早口にそう言い残して、わたし達はそそくさと店を後にする。ぽかんと口を開いたまま固まる店主のおじさんの視線に堪えきれずに吹き出したクレスさんに釣られ、わたしとミントさんも笑った。





買い出しを終えたわたしは、二人と共に荷物を船まで届けてから再び一人で港の市場へ向かう。生鮮食品が並ぶ通りを抜け、日用雑貨やよく分からない道具が並ぶその更に向こう、人も疎らな通りの端に店を広げるおじいさんに声をかけた。

「すみません。引き取ってもらいたいものがあるんですが」

おじいさんは無言でわたしを上から下まで眺めると、見せてみろ、と目線だけで示す。わたしは少しだけ気圧されながら、ポケットから取り出したそれをおじいさんに渡した。おじいさんは微かに目を瞬かせる。

「こりゃまた…この俺ですら見たこともない代物だな。こんな真っ二つに壊れてなきゃ、それなりの値段をつけられたが…」
「別に買い取ってもらわなくても構いません。ちょっと処分の方法がわからなくて…ガラクタ屋さんなら引き取ってもらえるかなって」

わたしがそう言って苦く笑えば、おじいさんは何かを言いたげな視線を寄越しながらもそれ――壊れた携帯電話をいじり回して、小さく頷いた。

「…買取料金だ。これで何か買って帰りな、お嬢ちゃん」
「ありがとうございます」

手のひらに乗せられたのは、近くのお店でアイスが買えるぎりぎりのお金だった。おじいさんにもう一度お礼を言ってお店を後にする。雑踏の中でそっと振り返るが、もう、あれはわたしの思い出ではない。


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