――雨が降っている。
遠くから辛うじて聞こえる雨音と、洞窟へ忍び寄る夜の冷たさが、より一層心細さを加速させるようだった。わたしはぶるりと体を震わせてぱちぱちと音を立てる焚火に両手を翳す。じんわりと温まっていく両手にほうと息を吐けば、視界の隅でいきなりこちらへ投げられたものを反射的に受け取ろうとして、結局顔面で受け取ってしまった。
息苦しさに慌てながら顔を覆うそれを剥ぎ取る。それは見慣れたコートだった。目を瞬かせていると、新しい木の枝が放り込まれた焚火が一際大きく揺らめく。

「着てろ」

顔を上げれば、相変わらずヒスイさんはこちらに横顔を向けていた。雪国育ちらしく火に焼けていない彼の白い肌を、焚火の炎が優しく撫でている。まだ温もりの残ったコートを手に躊躇い戸惑っていると、痺れを切らしたようにヒスイさんがわたしを睨み付けた。

「いいから着てろ。俺は雪国育ちだから、この程度の寒さじゃどうにもならねえよ」
「で、でも…」

もう一度きつく睨まれて慌てて頷いた。やっぱりヒスイさんって怖い。そう思いながらコートを羽織り、ふと、焚火の向こうに揺らめく出入口を見る。逸れてしまった二人もこうして雨を凌いでいるだろうか。寒さと寂しさに鼻をすすりながら、羽織ったコートの裾を握りしめる。焦燥感に胸が逸れば、それを煽るようにびゅう、と風が鳴いた。
――コンフェイト大森林に、夜の帳が落ちていく。





有り体に言えば、わたしとヒスイさんは遭難している。
首尾よく依頼をこなし船へ帰還しようとしていた途中、異常繁殖したらしい魔物の群れに襲われ、一緒に来ていたシングさんとコハクさんとは逸れてしまったのだ。日が落ちるまでわたしとヒスイさんで二人を探したが結局見つからず、しかも二人を探している内に相当奥へ来てしまったらしい。二人の行方も知れず、かと言って船への道も分からず、日が暮れる前に慌ててかき集めた枝と木の実なんかを手に洞窟へ駆け込んだ。
そして駆け込んでからわたしは気付いたのだ。明らかに整備が施されていたらしい道やトロッコのレール、折れたピッケルが転がり、積まれた石屑は今にもこぼれ落ちそうである。――そう、ここはきっとウリズン帝国の所有していた星晶採掘現場のひとつなのだろう。今では閉鎖され跡地となっているのだが、かつてはこの大森林を中心に数箇所点在しているとエステルさんから聞いたことがある。わたしが一度目にしたことのある採掘跡地もまた、そのひとつなのだ。
そしてわたしとヒスイさんは足を踏み入れた星晶採掘地跡の奥、どうやら労働者達が休憩所として使っていたのだろう、比較的広く通気口のあるその部屋で身を休めることにしたのだ。

「…あの、ヒスイさん」
「……何だよ」
「あ、…あー、その……何でもないです」

そんなわけでわたしはヒスイさんと二人、気まずいながらも遭難をしているわけなのだが、ここで困ったことがある。
彼との会話が続かないのだ。

「ヒスイさん、寒くないですか?」
「…ああ」
「………そ、それはよかったです」

わたしが頑張って会話をしようと話しかけてもこうなのだ。あと一言、せめて一言、お前は?とか聞いてくれれば話が繋げられるのに。そう歯噛みをしながらも懸命に話題を探して口を開く。

「あー、えっと…コハクさん達、大丈夫でしょうか」
「コハクに万が一のことがあったら俺はシングの奴を絶対に許さねえ」
「シ、シングさんなら絶対にコハクさんを守ってくれてますって!大丈夫!」

やばい、この話題はタブーだった。目を据わらせてしまったヒスイさんの気を逸らそうと慌てて次の話題を探すが、何せここに避難して来てからずっとこんな調子なのでそろそろわたしの話のネタも尽きてくる。何か、何かないだろうか。必死に頭を巡らせていると、不意に通り抜けたか細い風が焚火を揺らし、わたしの身体の芯を冷やした。

「っくしゅん!」

鼻をすすり、羽織ったヒスイさんのコートの前を閉じる。どうやらわたしが腰を下ろしているこの場所は、ちょうど入口から吹き込んだ風が通り抜けていく場所らしい。先ほどから何度も冷たい風がわたしの身体に吹き付けては体温を奪っていく。風邪だけは引きたくないなと思っていると、不意に、何とヒスイさんの方から声をかけてくれたのだ。

「…そこ、風通るだろ」
「気付いてたんですか?」

正直な話とても驚いた。ヒスイさんは何故だか頑なに、わたしから顔を背け決してこちらを見ようともしなかったはずだからだ。目を瞬かせるわたしを軽く睨み付けながら、ヒスイさんはがしがしと乱暴に髪を乱す。

「見てりゃわかる。ここなら風も通らねえから、もう少しこっちに来いよ。…俺の隣が嫌だって言うなら離れてやるから」
「そ、そんなわけないです!」

わたしはそそくさとヒスイさんの隣へ移動し、拳ひとつぶんの距離を保ちながら腰を下ろす。ヒスイさんがぴくりと身じろぎをしたような気がしたが、わたしは構わず小さくため息をこぼして焚火に手を翳した。
寒かったのは本当だし、わたしは純粋に嬉しかった。物理的な距離の近さは確かに心細さを紛らわせてくれるし、それだけでこの寒さも和らぐような気がする。そっとヒスイさんと同じように古ぼけた棚に背を預ければ、ぎしりと音を立てて棚が大きく軋み、物が落ちてくるんじゃないかと大袈裟に驚いて棚を見上げた。思わずと言った風に小さく笑いをこぼしたヒスイさんに何だか恥ずかしくなるが、こうして遭難してからようやく気を休められた気がした。

「…雨、止みませんね」
「…そうだな」

遠くから絶えず雨の音が響いている。わたしが何となしに通気口を見上げると、不意に再び軋むような音が鳴る。棚の寿命が近いのだろうか。ぼんやりとそんなことを考えていたわたしとは対照的に、はっとしたようにヒスイさんは顔を上げた。

「伏せろ!」
「えっ、」

そう叫んだヒスイさんにその胸へと引き寄せられた途端、音を立てて部屋が揺れる。
断続的だが徐々に大きくなる揺れに悲鳴を上げ、わたしはヒスイさんに庇われるままその場に伏せた。耳元でくぐもった苦痛の声が聞こえる。この揺れのせいで棚から物が落ちてきているのだろう、そう気付いてヒスイさんを呼ぶが、彼は二度と苦痛の声を漏らすことはなかった。
――不意に揺れが途切れる。慌ててわたしに覆い被さるようにしているヒスイさんを起こし、その場に散乱する本や採掘道具を見渡して、さあっと血の気が引いた。

「ヒスイさん、ヒスイさん!大丈夫ですか!?」
「ってて…。だ、大丈夫に決まってるだろ…!」
「そう言われても…!とにかく頭、頭を見せてください!」
「ちょっ、おい!」

わたしはかつてないほど強引にヒスイさんに迫ると、胸の辺りにある彼の顔を固定するように両頬を押さえて覗き込む。ヒスイさんは目を大きく見開き動揺した様子で背中を棚へ押し付けるが、動かないで!と一喝すればまるで石のように固まった。薄暗くてわかりにくいがどうやら目立った外傷は見当たらない。わたしがそれにほっと安堵のため息をこぼした瞬間、思いのほか間近にあったヒスイさんの顔が驚愕に見開かれた。

「危ねえっ!」
「っな、きゃあ!?」

強く腰を引かれて体勢を崩す。棚に手をついて何とか踏ん張ったつもりだったが、それも虚しくわたしは目の前のヒスイさんに飛び込んでしまう。――わたしの胸の辺りに顔のあったヒスイさんに、だ。
背後でガシャンと言う音が聞こえた。恐らくヒスイさんは棚から落ちてくるそれに気付いて腰を引いてくれたのだろうが、しかし、何と言えばいいのだろうか。

「………」
「…………」

この体勢はない。あり得ない。この、こんな――ヒスイさんの顔にない胸を押し付けるような体勢は!

「あ、…あ、あ…あの、すっ、すみませ…ひっ!」

混乱に震えるわたしの胸で、ヒスイさんも悲鳴を上げようとしたのだろうか。しかし彼の吐息がわたしの胸元を服の上から撫でて、何とも言えない感覚がわたしの身体の奥を震わせた。砕けた腰で半ば這うようにしながらヒスイさんから飛び退いて、近くの壁に勢い余って頭から激突する。思わず込み上げていた涙がこぼれてしまうほどに痛かったが、今はそんなことはどうでもよかった。
さっきまでの寒さは何処へやら。知らぬ間に熱く火照った身体を冷まそうと、わたしは半泣きのまま壁に抱きつくようにしてヒスイさんに背を向けた。ちらりと窺ったヒスイさんの顔は暗闇でもしっかりとわかるほど、それこそわたしと同じほどに、真っ赤になっていたような気がした。
――それから少しして。

「あっ、見付けた!おーい!コハク!ヒスイとナマエがいたよ!」
「本当に!?ああ、よかった!二人とも無事……ど、どうしたの?」

通気口から漏れ聞こえたのだと言うわたし達の声を頼りに星晶採掘地跡に足を踏み入れ、邪魔をする扉や壁を壊したりと存分に破壊活動を行って地震を起こしながらもしかしたら生き埋めになっていたかもしれないことなど一切考えずにわたし達を探してくれていたシングさんとコハクさんがやって来てくれるまで、わたし達はひたすらに無言を貫いていた。二度と思い出したくもない夜になったのは、言うまでもない。



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