いつか終わりがくることなんてわかっていた。それが幸せな終わりじゃないことだって、わかっていた。

「おめでとうございます」

ざわり、俄かに広間がさざめいた。
咎めるように名前を呼ばれる。それに構わずその場に杖を置き、心からの祝福を捧げるよう。許しを乞うように、その足元に跪いた。

「ライマ国の新たなる王の誕生を、世界樹に代わりディセンダーとして心より祝福いたします」

権力に媚びるわけでも、王位に屈したわけでもない。燃え上がる夕焼けのように美しかった髪が躊躇いもなく切り落とされていたのを見て、ああ、と。きっとこれが最後なのだ、と。そんな確信のような予感に、わたしは跪いたのだ。
きつく噛み締めていた唇をゆるりと開けば微かに血の味がした。低く薄く息を吐き、震えを押し殺して囁く。

「…お幸せに、ルーク王子」

彼は王子様だけどわたしはお姫様じゃなかった。幸せな終わりを迎えられない理由なんて、ただ、それだけ。
拍手と喝采に掻き消され聞こえなかったふりをして立ち上がり、呼ばれた名前に振り返ることなく踵を返す。その背の向こうで高齢による現王の退位、そして第一王子ルーク・フォン・ファブレの婚姻と即位が、高らかに発表された。





半ば予想はしていたが、広間から抜け薄暗い廊下を行くわたしを追って来たのはガイさんだった。
出来ることなら彼に追い付かれる前に宛がわれた部屋に戻りたかったのだけれど。ルークさんに言われたのか息を切らして扉の前に立ち塞がる彼だが、わたしの腕を掴み強引に止めることが出来ないのはわかっている。わざと一歩近付いてみれば、顔を青くしてその背を扉に押し付けた。

「ナマエ、と、とりあえず話を聞いてくれないか…って、ちょ、まっ!ち、近付かないでくれ!」

二重の意味で!と騒ぐガイさんに付き合っていられる心の余裕はない。もう一歩、更にもう一歩と近付けば、ガイさんは情けない悲鳴を上げて扉から飛び退いた。確かにあの場で自由に動けたのはガイさんだけだっただろうか、正直に言って人選ミスだったと思う。
しかし、予想外のことにため息をこぼして扉を開けようとしたわたしの手を掴んだのは真っ青な顔をしたガイさんだった。驚くわたしをよそに自分で触れておきながら死にそうな顔をしているガイさんは痛いほどの強引さで掴んだ手を引いた。からんと杖を落とし、どんな時も不思議と消えることのない蝋燭の炎が遠退いていく。これに戸惑ったのは、もちろんわたしだ。

「ガイさん!どこに行こうとしてるんですか!?離して…!」
「すまないが、それは出来ないんだ…!」

ガイさんの声は震えていた。そんなに怖いのに、彼はルークさんのためだけにわたしの手を引いているのだろう。
どんどんと奥へと手を引かれる途中、訝しんだ兵士に呼び止められる。しかしガイさんのルーク王子の命令だとの一言と、わたしの顔を見て慌てたように引き下がった。
何度かそれを繰り返し、一際大きな扉の前。警護の兵士を払って、その足音が消えたのを確認してからガイさんは扉を開けた。そして困惑したままのわたしを明かりひとつないその部屋に押し込むと、素早く扉を閉めた。
もちろん、わたしが更に戸惑ったのは言うまでもない。

「っちょ、ガイさん!ここどこですか…って、開かな…!?」
「ここはルークの部屋だ。もうすぐ、ルークが来る」

心臓が止まるような錯覚が、した。
いや、本当に一瞬だけ止まったのだろう。しかしすぐに早鐘を打ち始めた鼓動が、息を詰まらせた。

「俺が言えたことじゃないのはわかってる。だが、ルークが本当に愛しているのは君だけなんだ。…ナマエ、君だけなんだ」
「待って、やめて…」
「今回の婚姻と即位はルークの意志じゃない。王と大臣達が勝手に決めたもので、ルークやナタリアやアッシュや…俺達は、ディセンダーである君の立場を思って名前を出すことも出来なかったんだ」
「ガイさん、やめて…!」
「頼む、信じてくれ!俺ではなく、ルークのことを。君の恋人のことを」

聞きたくないと耳を塞いで首を振る。扉に押し付けた額は擦れ、微かに熱く痛んだ。
幸せな終わりを迎えられないのならせめて、自分の手で終わらせたくて。終わらせようと跪いて、精一杯の祝福を捧げたはずなのに。わかっていたことなのに。わかっていた、はずなのに。
ガイさんはきっと扉の外にいる。しかし何度彼を呼ぼうと応えてくれることも、扉を開けてくれることもなかった。ぐちゃぐちゃな思考回路で、がくがくと震える体で、必死に考えて扉に背を向ける。
逃げなければ。情けなくも、ただそれしか思い付かなかった。バルコニーに繋がる窓を開けて身を乗り出すが、とてもじゃないが飛び下りることなんて出来ない。けれど、でも、早くしないとルークさんが。
その時だった。焦りを滲ませた背中に、扉が開く音が聞こえたのは。
ありがとう、ガイ。戻ってくれ。嫌に落ち着いた声がそう告げ、遠ざかっていく足音は閉ざされた扉に途絶えた。代わりに近付いてくる足音に振り返ることも出来ない。かたかたと、手摺りに置いた両手が震えていた。

「ナマエ、」

囁くような声に肩が跳ねる。今度はあの時のように、聞こえないふりも出来なかった。振り返れもしないわたしの肩を掴んだその手は手袋越し、懐かしいぬくもりをしていた。
あくまでも優しく、促すように振り返させられる。恐る恐ると見上げたルークさんは非常に穏やかな顔をしていた。長かった髪は見る影もなくばっさりと断ち切られ、緑色の瞳はどこか諦めに似た静けさをたたえていた。

「色々と、遅くなっちまってごめん」

声色はどこまでも優しく、わたしの心臓を掴んで爪を立てるよう。
終わらせたと思っていた。けれどそれはわたしの思い上がりで、もしかしたら本当の終わりはこれからなのかもしれない。そんな予感がひしひしと押し寄せ、心臓を鈍く高鳴らせた。

「即位や婚姻のこと、言わなかくて悪かった。この式典までにはどうにかして父上を説得しようと思ってたんだけど、なかなか上手くいかなくてさ」

結局、こんな土壇場になっちまった。そう言ったルークさんがふと、おかしそうに眉を下げた微笑みをこぼす。
彼らしからぬ微笑みだった。あの船で過ごしたルークさんはまるで無邪気な子供のように、その赤い髪を光に透かして生き生きと、その背に負ったものを感じさせずに笑っていた。けれど今はどうだろう。彼のこぼした感情の凪いだような微笑みの意味を、わたしは計りかねている。
ルークさんは徐に真白い手袋の指先を軽く噛み、自分の手から引き抜いたそれを背後の室内へと放り投げた。その手がわたしの両手を包み、伏せられていた瞳が真っ直ぐにわたしを射抜く。

「ちゃんと話はつけてきた」
「…なに、を、ですか…?」

彼を見上げるよう軽く反らした喉が異様に渇きを覚えていた。
彼の唇がどこか躊躇いがちに、薄く開かれる。ごく微かに震えていたそれが綻んで笑む様は、どこか花が開くようにも見えた。

「俺の持つ王位第一継承者の資格はついさっき、アッシュに譲り渡してきたよ。今の俺はライマ国の王族でも何でもない。お前と…アドリビトムの連中と同じ、ただのルークだ」

ぱちんと、大きく目を瞬かせる。彼の言っていることが、わたしにはよくわからなかった。聞き馴染み愛おしんだ声が鼓膜を震わせ脳を通り抜け、どこかに落ちてしまったのだろうか。それほどまでに様々な感情の混ざり合う微笑みでこぼされたその言葉を理解するのは少々、いや、かなりの時間が必要だった。
ルーク・フォン・ファブレ。ライマ国の王位第一継承者。ラザリスを手に入れた暁の従者から身を隠すためアドリビトムへと逃げ込んできた赤髪の、美しく傲慢な青年。それでもあの船で共に過ごしていく内にそのもどかしいまでの優しさに触れ、身分違いだとわかっていながら、いつか必ず終わりが訪れる恋だと知りながら、愛してしまったひと。たったひとりの、この世界にとってもわたしにとっても代わりなどいない、たったひとりのひと。

「なんで…そんな、どうして…!?」
「あいつの方がこの国のことを真摯に考えてる。押し付けるようで悪いとも思ったけどさ、これでようやく…誰の目も気にせず、あいつらも幸せになれるだろ」
「…ルークさん、は…?」

思わずこぼしたわたしの呟きに、ルークさんはただ不思議そうに首を傾げた。
諦めたような言葉が、凪いだような瞳が、全てを終わらせようとしているその人が。あまりにも痛々しくて憎らしくて愛おしくてどうしようもなくて、わたしはただ悲鳴のように叫ぶしかなかった。

「この国はあなたの故郷、あなたの大切なものでしょう!?それを捨てて、ルークさんは幸せになれるんですか!?」

そう簡単に捨てられるものじゃないことくらい、そう簡単に諦めることが出来ないことくらい、わたしが一番知っている。だから許せなかった。それをしたルークさんではなく、それをさせてしまったわたしを。
出会わなければよかった。何があってもそんなことは一度として、欠片もそう思ったことはなかったのに。今だけは、そう、思ってしまった。どうせ幸せな終わりは迎えられないのだから、きっと自分も彼も不幸にするのだからと、諦めてしまえば。そうしたらこんな取り返しのつかないことにならなかったのに。
堪えきれなくなった嗚咽を漏らす唇を押さえて俯く。今だけはもう、彼を見たくはなかった。
涙のせいで熱い吐息に濡れた手と反対の、きつくスカートを握りしめていた手を優しく取られる。頑なに彼を見ないよう視線を逸らしたまま顔を上げれば、視界の隅で短くなった赤髪が静かに頭を垂れた。
目を見開く。ルークさんがわたしの手を取ったまま、まるでおとぎ話の一頁のようにその場に片膝を立てて跪いたのだ。驚いてその手を引こうとすれば逆にその手を引かれ、スカートを握りしめていたせいで白くなってしまったその指先に、静かに唇が押し当てられる。
その唇はまるで氷のように冷たく、思わず身を凍らせた。伏せられていた緑色の瞳は暗闇の中でも濡れたように輝いている。彼もわたしのように泣いたのだろうか。そう思わせるほどに、搾り出されたその声はせつなく震えていた。

「国も、王位も、俺にとってはお前以上の価値なんてない。…側にいろよ。もう俺の手には、お前しか残ってないんだ」

縋り付くような強さで握られたその手に、もう一度冷たい唇が触れる。緊張しているのだろうか、それとも恐れているのだろうか。
わたしにはわかる。わたしにしかわからない。それは自身を引き裂くほどに、痛みを伴う選択だったのだ。
国も、家族も、世界も。この人のためなら捨てていいと思った。振り返ることも悔やむこともあった。泣いた夜など数えられない。けれど、だからこそ、今のわたしはここに在る。
袖で涙を拭い、膝を折ってその手を包む。互いの手は氷のように、この夜のように冷たく、生まれたばかりの子羊のように震えていた。
それもまた間違いではないのだろう。重ねた手を引き濡れた頬へと寄せて、わたしは静かに目を閉じた。わたしと彼は今ここで、この夜、新たに生まれ変わるのだから。

「ナマエがいなきゃ、俺は幸せになれない。だから、俺の側にいてくれ」

その言葉が胸を貫く。血飛沫のように溢れ出したのは後悔でも悲嘆でもなく、確かな幸せだった。

「……っはい…!」

幸せな終わりを迎えられないことくらい痛いほどわかっていた。二人が結ばれた先におとぎ話のような誰からも祝福される幸せなど訪れることはなく、わたし達は涙で濡らした夜に隠れるようキスをする。
けれど、ルークさんはもう王子様ではない。わたしもきっとディセンダーの名を捨てるだろう。それでも彼はルークさんだし、わたしはミョウジナマエだ。二人があの船に乗りどこに隠れ逃げようとそれだけは変わらない。
だからこそわたしは二人なりの幸せな終わりを迎えられると信じている。それが例え互いの全てを捨てなければ得られないものだとしても、それでも。





ライマ国の歴史から、王位継承者であった一人の王子の名が消された。しかしそれに次いで世界を揺るがしたディセンダーの世界樹への帰還と言う報せに人々は彼の王子の名などすぐに忘れ、その混乱の最中、ライマ国では新たなる王が誕生する。
その即位式にはかつて新王となる青年とその妃のなる姫と共に旅をした空を駆ける船が祝福に訪れた。歓喜に沸く城の上空を悠然と旋回するその船から、まるで雨のように花を降り落ちる。甲板から身を乗り出し、口々に祝福の言葉を投げかけるかつての仲間達に涙ぐむ妃の手に、まるで吸い込まれるように花が舞い落ちる。夕焼けのような赤い花と頼りなさげな白い花。まるで寄り添うように結ばれた花に添えられたメッセージカードに目を見張り、妃は思わず涙と共に微笑みをこぼした。
そこには懐かしい癖の残る文字で、お幸せに、と。ただその一言だけが、今は世界から消えた二人の名と共に書かれていた。



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