バンエルティア号には、買い込んだ食料を貯蔵しておく倉庫が船内にいくつも存在する。それだけたくさんの人が乗っているし、どこの国にも所属していないこのアドリビトムの船は、どこの国の港に停泊するにもお金がかかるらしい。しかも、膨大なお金が。
そんなわけで、一度停泊した時にたくさん食料を買い込んでおくのが常となっている。野菜や肉や魚ならば自分達で調達することが出来るけれど、調味料なんかは買うしかないのだから。

「あれ、もうお砂糖がないわ」
「本当ですか?ちょうどお塩もなくなっちゃったんですけど」
「それなら僕が倉庫まで取りに行って来ますよ。クレア様とリリス様は食事の用意を続けてください。ナマエ様、お二人のお手伝いを頼みます」
「えっ、や、それならわたしが行きます!」

みたいな流れで、わたしは倉庫にお砂糖とお塩とついでに小麦粉を取りに行くことになった。
ロックスさんのあの小さな体に無理をさせるなんて可哀相だし、そもそもわたしはお手伝いのためにキッチンにいたのだから、当然だ。

「…お砂糖と、お塩と、小麦粉、だよね」

忘れないように指折りして数えながら、主に調味料などを貯蔵している倉庫に向かう。
廊下の奥にある倉庫の扉を、預かった鍵で開けてドアノブを捻る。重い扉を開けて倉庫の中を覗き込めば、真っ暗だ。そういえば明かりを持っていないとようやく気付いたけれど、扉を全部開けておけば明かりは入るから大丈夫だろう。
こう暗いと、ポケットに鍵を仕舞って落とした時は大変かもしれない。そう思って、鍵はドアノブにかけておく。
埃っぽい匂いのする倉庫内に足を踏み入れ、口元を覆いながら目当てのものを探す。

「…あ、見つけたっ」

少し埃を被っているけれど、積まれたお砂糖の袋を見つけた。とりあえず一袋でいいだろうか、とその前で首を傾げていると、ばたん、と。
扉が閉まる音が、した。

「え、…え?」

途端に、倉庫内は暗闇に包まれた。
全開にされた扉からくる明かりだけだった倉庫内に、明かりはない。自分の姿すらわからないくらいの暗闇だ。
何で、どうして。周りを見回して見ても、もちろん何も見えない。
不安と恐怖に駆られ心臓が早鐘を打ち始めた時、耳に、吐息が触れる。

「なーにやってんだ?」
「っきゃあああ!」

思いっきり飛び上がり、けれど何かに頭をぶつけて声にならない悲鳴を上げながら座り込んだ。
恐る恐る見上げてみたところで、まだ瞳は暗闇に慣れていない。
座り込んだままずるずると倉庫の壁まで下がり、微かに遠くから聞こえた痛みを堪える声を聞いて声を上げた。

「ユ、ユーリさん!?」
「ってえ…!」
「な、な、何でっ、何でここに…!?」

まだ姿は全く見えないけれど、どうやら本当にユーリさんらしい。どうしてこんなところにいるのかわからないけれど。
じんじんと痛む頭を押さえつつも、安堵のため息を吐いた。とにかく人間であるなら何でもいい。

「お前がこの倉庫に入って行くのが見えたから、驚かそうと思ったんだけどな。こんな反撃喰らうとは思わなかったぜ」
「じ、自業自得ですよ!ユーリさんの馬鹿!」

少しだけ目が暗闇に慣れたからか、鼻を押さえるユーリさんの、男の人にしては白く端正な顔は、辛うじて見ることが出来た。
馬鹿とは酷い言い方だ。そう笑うユーリさんを、この暗闇で見えないとわかっていながらも、睨み付けずにはいられなかった。

「もう…!本当にびっくりしたんですから…」
「悪かったって、ほら」

笑いながら差し出された手を、躊躇いつつ取ろうとしたその時だった。
がちゃり、と。扉の鍵が閉まる音が、暗い倉庫内に響き渡る。
嫌な予感がしてユーリさんを見上げれば、彼もわたしと同じような顔をしてわたしを見下ろしていた。引き攣った笑顔のまま、倉庫の扉を見る。

「倉庫の鍵って、確かアンジュに戻せばいいんだよな?」
「うん、そだよ。それにしても、どうして倉庫が開いたままで、鍵がドアノブにかかってたんだろうね」
「誰かが忘れたんだろ。早く鍵を戻して、食堂に行こうぜ」
「うん!」

遠ざかっていく、二人の笑い声。扉越しでも花が飛んでくるように微笑ましい、ロイドさんとコレットさんの会話。
それはいい。そう、それはいいんだ。
ユーリさんの手を取らずおもむろに立ち上がったわたしと、素早い動作で踵を返したユーリさんは揃って扉へ走り、その頑丈な扉を全力で叩いた。

「ロイドさん!コレットさん!ちょっと待って、行かないでー!」
「っくそ、駄目だ。この扉越しじゃ届かねえ!」
「う、嘘でしょ…!?」

二人の声は、もう聞こえない。
鍵は外からしか開けられないし、そもそもその鍵が手元にない。この扉は頑丈で、わたしはおろか剣士であるユーリさんが叩こうと蹴ろうと、びくともしない。
つまり、これは。

「…閉じ込められた…」
「みたい、だな」

膝を抱えて泣いてしまいたい。





ぶるりと体を震わせる。
そういえば今はアブソール方面を飛行中だった。倉庫は防寒対策なんてされていないだろうし、さすがに冷えてきた。
隣に座るユーリさんと、微かに触れ合っている肩だけが温かい。

「ユーリさんの馬鹿…」
「まだ言うか」

わたしの小さく呟いた言葉に、ユーリさんは呆れたようにため息を吐く。
元を辿ればあなたのせいでしょうに。そう言いたくなるのを堪え、わたしもため息を吐いた。
恐らくロックスさんあたりが帰りの遅いわたしに気付いてくれるだろう。それまでの辛抱だ、そう思いつつも、この寒さはどうしようもない。

「悪かったって言ってるだろ。出たら何か奢ってやるから、そんなに拗ねんなって」
「誠意が足りないです」
「誠意って、お前な…」
「いいですよ、もう。フレンさんに言い付けちゃいますから!」

完全に拗ねたわたしの言葉に、ユーリさんは暗闇の中でもわかるくらい、いっそ面白いほどに顔を青くさせた。
つい最近アドリビトムに加わったフレンさんは、ガルバンゾ国の騎士団の隊長さんでアスベルさんの上司で、ユーリさんの親友というあまりに不思議な肩書きを持つ人だ。
子供の頃から兄弟のように育ったんだ、と笑うフレンさんは、ユーリさんとは全く真逆の人。まさに騎士、むしろ王子様。
フレンさんだけが、この船で唯一ユーリさんが苦手としている人らしい。ユーリのことはあいつに泣きつけば万事解決よ、とリタさんが言っていたくらいだ。

「待て、フレンは関係ないだろ」
「わたしが誰に泣きつこうが、ユーリさんには関係ないです」
「関係ある。フレンだけはやめろ、というか泣きつくな!」
「いやです!」
「俺が殺されるだろ!」
「フレンさんがそんなことするはずないですよ!いつもみたいに正座で説教されて終わりです!」
「お前は本当のフレンを知らないからそんなこと言えるんだ…!」

鬼気迫る表情のユーリさんは珍しくて面白いけれど、今のわたしはユーリさんの表情を楽しんでいる余裕はなかった。

「もうユーリさんなんて知りません!」
「お前なあ…!」
「えっ、ちょ、ちょっとユーリさん!?」

遠慮もなく掴まれた腕を振り払おうとすれば、逆にその腕を引かれユーリさんの胸へ飛び込む形となった。
もがくわたしの両肩を、痛いくらいの強さで掴んだユーリさんは、真摯な顔でわたしに迫る。

「フレンがどんだけ怖いか、教えてやろうか」
「け、結構です…!というか顔近いっ、離してください!」
「あいつはな、どう取り繕ったとしても俺と同じ育ちなんだよ。むしろあの笑顔でそういうのをを隠し通してるあいつの方が恐ろしいんだ」
「は、はあ…」
「笑顔で剣を抜くフレンを想像してみろ」

初めて見るユーリさんの真摯な顔に気圧されて、想像してみる。

「………こわっ」

あの王子様のような笑顔を浮かべたまますらりと剣を抜くフレンさんを頭の中で描き、思わず背筋が震えた。
あの笑顔が逆に怖い。ユーリさんのように見た目からして凶暴というか、好戦的というか、そういう感じじゃないから、逆に恐ろしい。
ユーリさんに釣られるように顔を青くさせたわたしは、鳥肌が立つ腕をさする。

「こ、この話やめましょうよ…。何か寒くなってきちゃった…」
「何だよ、まだフレンの恐ろしさは語り切れてねえぞ?」
「フレンさんに会った時どんな顔すればいいかわからなくなるからやめてくださ…はっくしゅ!」

寒さに耐え切れなくなったのか、冷たくなった指に息を吹きかける。そういえば息も白い。これでは寒いはずだ。
不可抗力でユーリさんの腕の中にいるけれど、人の体温はやっぱり温かくてこのまま微睡みたくなる。けれどそうもいかない。
両肩に置かれていた腕が離れた隙に離れようと身じろぎすれば、すかさず伸びた腕がわたしの体に回り、抱き寄せられた。

「なっ、なん、何なんですかユーリさん!?」
「あー…お前、体温高い方だろ。あったけえ」
「人で暖を取るなー!」

確かにわたしも温かいけれど、この状態はありえない。恥ずかしい。
叫べば叫ぶほど、もがけばもがくほど強まる拘束に芯まで冷えた体が火照り始めた頃、本当に唐突に、がちゃり、という音が響いた。
それは紛れも無く、鍵が開けられた音で。驚いて扉を見れば、あの重い扉が静かに開かれ、暗闇に光が差していく。
その眩しさに思わず瞼を閉じたわたしを抱きしめたままのユーリさんは、わたしの背中に回した腕を震わせた。それに疑問を感じながらも、恐る恐る瞼を開ける。

「…あ、フレンさん!」

久しぶりの光を背にしたフレンさんは、何故かはわからないけれど呆然とした顔をしてわたし達を見ていた。
けれどすぐに笑顔を浮かべる。あの、王子様のような笑顔を。

「ナマエ、ユーリも、こんな所にいたんだね」
「フレンさんこそ、どうしてここに…」
「ナマエの姿が見えないって大騒ぎになってるからね、探してたんだ」
「そうなんですか!でも案外早く見つけてもらえてよかったですね、ユーリさ…」

そういえばまだユーリさんに抱きしめられたままの格好だったけど、そんなことを忘れてしまうくらい嬉しくて。
けれどすぐ目の前のユーリさんを見上げて、わたしの笑顔は凍り付いた。

「ところで、ユーリ」

ついさっき見たような、真っ青な顔。それと同時に思い出したその話に、ゆっくりと視線をフレンさんに向ける。
彼は笑顔だった。それはもう、王子様のようなその笑顔のまま、音も立てずに鞘から剣を抜いて、そして。

「どうしてそんな状況になったか、教えてもらえるかな?」





その数日後、ユーリさんと一緒にケーキを食べに行った。
生きてるって素晴らしいな、と遠い目で呟いたユーリさんに、わたしは無言で自分のケーキを差し出す。

もう二度と、わたし達が倉庫に近寄ることはなかった。



thanks 20000&30000hit


menu

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -