硝子の向こうに飾られた、落ちついた色のワンピース。派手ではなく、かと言って地味過ぎず。よくある型のワンピースだが、繊細な模様の彫られた釦と裾から覗く淡い色のレースが愛らしい。
正直に言おう。一目惚れ、だ。
ルミナシアに来てからと言うもの、あまりお洒落をしていない。理由は様々だが、一言で表すなら価値観の違いだろうか。当然ながら、地球の女子高生の価値観とルミナシアの女の子の価値観は違う。そのため、下手な格好をするよりはずっと学士の制服を着ていた方がいいと言う結論に落ちついたのである。
そんなことをつらつらと考えながら、ワンピースを眺める。どうしよう、ルミナシアに来て初めてのクリーンヒットだ。高級そうなお店だけど、これいくらするんだろう。わたしのおこづかいで足りるだろうか。

「ナマエ君？」

その声にはっとした顔を上げれば、わたしの前を歩いていたウッドロウさんがこちらに歩み寄っていた。もしかしてもしかしなくても、硝子の向こうに飾られたワンピースに夢中になって足を止めていたのだろう。
後ろ髪を引かれながらも慌ててウッドロウさんに駆け寄る。

「すっ、すみません！大丈夫です、行きましょう！」
「あのワンピースが気になっているんだろう？」

見られていた。思わず顔を赤くしたわたしに、ウッドロウさんは優しく笑う。

「ナマエ君によく似合いそうじゃないか。君はいつもその服だが、たまには違う服を着てみてはどうだろう」
「うっ、…で、でも…」
「まあ、買うかどうかを考えるのは試着してからかな。ほら、行ってみようか」
「え、ちょっ、」

ウッドロウさんはどこか楽しげな様子でわたしを促す。背中に添えられた大きな手に導かれるまま、困惑しながらもお店の扉を潜った。
お店の中は店先に飾られていたワンピース同様、シンプルで落ちついた洋服が並んでいる。これはもうこのお店ごとクリーンヒットだと胸を高鳴らせていると、目の前に一目惚れしたワンピースが広げられた。

「うん、やはり似合うな」
「あの…」
「すまない、試着室はどこだろう」

あちらになります。店員さんはウッドロウさんに見惚れながら、試着室に案内してくれた。決して広いわけではない店中から突き刺さる何であんたみたいなちんちくりんが、みたいな視線が恐ろしくて申し訳ない。
身を縮こませている内にワンピースと一緒に試着室に放り込まれ、無情にもカーテンは閉められる。外から聞こえる店員さんの黄色い声とそれにそつなく答えるウッドロウさんのやり取りを聞きながら、仕方なくワンピースを試着した。
柔らかな布地に袖を通して鏡を覗き込む。似合うかどうか別として、やっぱり可愛い。小さく息を零し、はっとして裾を捲る。値札を確認して、うなだれた。手が出せない値段じゃないけれど、持ち合わせじゃ足りない。申し訳ないけどまたの機会にさせてもらおう。

「ナマエ君、着替えは終わったかい？」
「あっ、はい」

音を立ててカーテンが開けられる。
ウッドロウさんはふむ、と腕を組んでわたしを上から下まで眺めた。そしてわたしを置いてきぼりのまま側にいた店員さんと二言三言話すと、少し驚いたような顔の店員さんが離れて行く。目を瞬かせながらそれを見送るわたしに、ウッドロウさんは手を差し出す。
その大きな掌に乗せられていた、ワンピースと同じ色の髪飾り。リボンの形をしたそれをわたしの頭に翳して、試着室の鏡に向き直させる。

「こういったものはどうだろう？」
「どう、って…」
「好みかそうではないか、と言うことだ」
「す、好きです。可愛いですね」
「それは良かった。ああ、これで頼むよ」

後半はわたしではなく、いつの間にかこちらに戻って来ていた店員さんに向けてだった。店員さんは営業スマイルで髪飾りを受け取り、再びわたしを試着室に押し込む。
目を白黒させるわたしに構うことなく髪を纏めて髪飾りを着けたと思ったら、ワンピースの裾を捲られ悲鳴を上げる暇もなく鋏で値札を切った。
適当に畳んでおいたわたしの服は店員さんに回収され、カーテンが開かれる容赦のない音で慌てて我に返る。

「ちょっ、ちょっと待ってください！えっ、な、何これ！？」
「我儘を言ってすまなかった、ありがとう。それでは、私達はこれで」
「ウッドロウさん！」
「ああ、そう言えば昼食はどこで食べようか？君の気に入った所で私は構わないよ」
「た、確かに最初はそんな話でしたけど！そうじゃなくて、この服…！」

早く依頼が終わったのでお昼ご飯でも済ませてから帰ろう。最初はそのために港町を歩いていたけれど、いつの間にか一目惚れしたワンピースに可愛い髪飾りを身に着けてお店を出てしまった。と言うか、これお金払ってない！
顔を青くさせるわたしの手を取り、緩やかな歩調でウッドロウさんは歩き出す。

「それは私からのプレゼントだ。何も言わずに受け取ってほしい」
「プレゼントって、そんなの…」

受け取れません、と言おうとしたわたしの先回りをして、ウッドロウさんはやっぱりどこか楽しげに微笑む。

「確かにギルドの人間としては、ああいった動きやすい服が最適なのだろう。だが、君は年頃の女性だ。依頼がない時くらいは、君の好きなようにお洒落をしてもいいんじゃないかな」
「で、でも…」
「今の私は一国の王子ではなく、一人の男として此処にいる。エスコートをする女性に心を砕くのは、男として当然のことだろう」

思わず音を立てて頬が燃える。
さりげなくわたしの言葉に先回りをするのも、その嬉しげな顔も、どこか甘く聞こえるその声も、全てが反則だ。
はくはくと言葉にならない音を漏らすわたしの顔を覗き込むように、ウッドロウさんは腰を折る。胸に片手を当てたその姿は正に幼い頃に夢見てた王子様そのもの。もう片方の手が差し出され、ウッドロウさんは蕩けるような微笑みで言った。

「とても素敵だよ、ナマエ君。君のように愛らしい女性と一時を共に出来る私は、この世の誰よりも幸せ者だ」

それが、とどめ。
音を立てて思考回路のどこかがショートした。もう何も言えずに真っ赤な顔のまま、その大きな掌にわたしの手を乗せる。姿勢を正したウッドロウさんは一際嬉しげに笑みを深めて、さりげなくわたしの手を持ち上げる。
そして、その手の甲に軽い音を立てて口付けた。

「っちょ、ウ、ウッドロウさん！？」
「ははっ」

慌ててその手を離せば、ウッドロウさんが笑い声を上げる。思わず目を瞬かせた。いつも大人なウッドロウさんがこんなに無邪気に笑うだなんて、初めて見た。
思わずまじまじと見つめていたわたしの前でひとしきり笑い終えたウッドロウさんが改めてその手でわたしの手を取る。指先を絡められて肩が跳ねる。恋人同士が繋ぐようなそれにまた顔を赤らめれば、手を引かれた。

「行こうか」
「………はい」

大人しく頷いて、一歩足を踏み出す。
何だか今日は不思議な日だと、ふわふわと浮ついく頭で思う。ローファーが石畳を叩く音だけが、妙に現実的に聞こえた。


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