魔物が獲物を狙う目をして、お姫様の手を取るように優雅に。柔らかく微笑みながら、抗うことを許さない強引さで。
そう言えば、わかるだろうか。

差し出されたのは上品な藍色の小箱。受け取るのを躊躇ったわたしの手を引き、彼はそれを握らせた。

「受け取って、くれないか?」

その言葉は形だけの疑問形を保ち、その声は拒絶をさせない色。
ばくばくと、二重の意味でうるさい音を立てる心臓を押さえて息を呑む。
アスベルさん、本気だ。

「あ、あの、これ…」
「開けてみてくれ」

開けたくないなあ。僅かな抵抗のようにそう思いながら、静かにその蓋を開ける。
深紅のビロードの玉座に鎮座しているのは、小さな銀色の輪。指輪、しかもペアリングだ。
あの箱を見た時から予想していたとは言え、恥ずかしいやら何やらで逃げ出したくなる。
そんなわたしの心情を見透かしたのか、アスベルさんは目を細める。その瞳にぞわりとした何かが背中に伝い、逃げ出したいような捕まってしまいたいような思いは増幅する。箱の乗った手ごと、アスベルさんはわたしの手を取った。

「気に入ったか?」
「で、でも、誕生日でも何でもないですし…」
「どちらかと言うと、俺への誕生日プレゼントになるかな」

そう言ってはにかんだアスベルさんに、驚いて顔を上げる。
もしかして。そう聞いたわたしに、彼は何でもないように微笑んだ。

「誕生日なんだ、今日」
「やっぱり!そ、そういうのは先に言ってください!」

仮にも。そう、一応は、わたし達は恋人同士のはず。それなのに、恋人の誕生日に何もプレゼントの準備をしていない、なんて、そんな。

「わたし、誕生日プレゼントとか何も準備してない…!」
「そんなの構わないさ。これから貰うから」

あまりのことに記憶の彼方にやってしまっていた藍色の小箱を、アスベルさんの剣を握る人の手が優しく撫で上げた。
二つ並んだ指輪の、大きめの方を取る。そのままわたしが手にしていた小箱を置いて、代わりにその指輪を握らせた。
見上げれば、優しげに、柔らかく微笑むアスベルさんが、その大きな手を差し出した。だと言うのに、その目は笑っていなくて。
そう、ついさっき見た。これは獲物を狙う目。

「嵌めてくれないか?」
「………え?」
「この指輪を、ナマエの手で、俺の指に」

爆発するかと思った。
予想の斜め上をいく要求に、思わず呆然とする。それのどこか、誕生日プレゼントになるのだろうか。
そんなわたしの視線に、アスベルさんが答えてくれた。

「ナマエがずっと俺の側にいてくれることが、俺への誕生日プレゼントになるんだ。だから、ナマエの手で選んでほしい。ナマエと一緒の未来を、俺にくれないか?」

アスベルさんの真摯な瞳が直視出来ず、わたしの視線は躊躇い彷徨う。
思わず指輪を握りしめたまま、無意識の内に逃げ出そうと爪先を揺らす。
しかし、その足を阻むように静かに肩を押され、壁が背に当たる。
逃げられない。逃がしてもらえないのだ、もう。
アスベルさんの真摯な瞳の中に輝く、獣のような光に身が竦んだ。

「そ、それのどこか…誕生日プレゼントなんですか…?」
「十分、誕生日プレゼントだよ。ナマエに俺を求めてほしいんだ」

何を言い出すんだこの人は。というか、今日のアスベルさんはどうしたと言うのだろう。
アスベルさんは微かに眉を寄せ、拗ねたような表情を浮かべる。

「いつも、どこかに逃げようとするから。こうして俺を独占してほしい。ナマエは俺のもので、俺はナマエのもの。そうすれば、ナマエもう逃げたり出来ないだろ?」

アスベルさんは、とても紳士的な人で。
例えばわたしが彼に嫉妬させてしまうようなことをしても、さっきみたいに拗ねた表情をするだけだった。
だから、こうしてあからさまな独占欲を向けられることは、初めてで。
その瞳から逃げ出したいような、捕まりたいような。獣のような、昏い光を燈した瞳から。
どこまでも優しく抱きしめてくれる、強引で抗い難い暖かな腕から。
心臓がうるさい。彼を、彼の未来を、この手の内に入れること。

「……ナマエ、迷わなくていいから」
「…迷います、よ…」

右肩に置かれた、大きな左手を見る。この手に、この薬指に、銀色の輪を繋げて拘束すること。
それは、それはとても、甘美で幸せなことじゃないだろうか。
アスベルさんの唇が、まるで急かすようにこめかみに降ってくる。それを受け止めて、躊躇いながら、左手に触れた。
その大きな手を包むように取れば、アスベルさんの瞳が見開かれ、嬉しげに綻ぶ。

「ナマエ、」

そんな顔をしないでほしい。わたしはこれから、あなたを手に入れるのだから。アスベルさんを、わたしに繋いで、独占する。
いつかきっと後悔することを理解しながらも、その薬指に触れる。震える手では難しくて、泣きそうになりながら、その指に指輪を嵌めた。
アスベルさんはわたしと同じように頬を染めて、うっとりと、恍惚したように自分の左手の薬指に嵌められた銀色の指輪を眺めた。

「…嬉しいな」
「…そっ、そうですか」
「ああ、すごく嬉しい。…これでもう、逃げたりしないよな?」

最後の確認だった。
わたしは躊躇いつつも、小さく頷く。アスベルさんはどこか急いたような手つきでビロードの玉座に鎮座していた指輪を取ると、するりとわたしの左手の薬指に嵌める。
まさか、自分の薬指に、こんなものが輝く日がくるなんて。感慨深くそれを眺めていると、不意に頬に手が触れる。

「愛してる。…だから、ナマエの全部を、俺に」

自然と触れた唇。
瞼を閉じながらも、頬に触れた手に金属の冷たさを感じる不自然さに静かに驚く。
目を閉じられなかったわたしの瞳を、熱に浮されたようなアスベルさんの瞳が覗き込んだ。
絡め取られた舌から、じんわりと、熱は広がって溶けていく。
ふるりと震えた体ごと、まるで獲物に食らい付くかのように歯を立てられた。けれど、覗き込む瞳は、あの昏い光は宿していない。

「ナマエ、…俺の、俺のナマエ」

耳元で囁かれる声は、わたしの知らない色をしている。

逃げ道を残すために、彼のものになるのを躊躇ったというのに。
いつの間にかその逃げ道は塞がれて、こうして手錠で繋がれて、きっともう本当に逃げられない。
こうしてわたしを抱きしめてくれる、彼は、わたしのもの。



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