ソフィを養子に迎えようと思うんだ。
そう言った彼は笑って、ナマエのおかげで覚悟が決まったと、言った。
地球には帰れない、帰らない。そう決めたわたしを、アンジュさんは受け入れてくれた。バンエルティア号があなたの家、私が、あなたの家族。だからここが、あなたの居場所。行き場のないわたしを受け入れてくれた、かけがえないひと。
記憶をなくした彼女は、行き場がないという意味では、わたしと同じなのだろう。そんな彼女を、家族として受け入れる。わたしは笑った。アスベルさんらしい、そう思って。

「アスベル様、最近とても立派になられたわね」
「養子とはいえ、家族が出来たのだから。ほら、あそこ」
「あら、シェリアちゃんも一緒だわ」
「微笑ましいわね。三人でいると、本当に家族みたい」
「ラントも安泰ねえ」

アスベルさんとソフィさんとシェリアさんは、戦火を免れたとはいえ問題が山積みだからと、一度ラントに戻った。
どうやらアスベルさんは領主になろうと、騎士団はやめないらしい。今は少しだけ、騎士団に休暇を貰っただけだそうだ。
依頼の帰り、船が迎えに来るまでまだ時間があるからと、アスベルさんが治めているラント領へと足を踏み入れた。
そして、後悔した。
三人で笑い合う姿に両親を重ね、嫉妬したこともあった。けれど、今この胸に巣喰っているのは、もっと汚い感情だ。
穏やかな風と花の匂い。わたしは逃げるように、ラントを後にした。





アスベルさんが船に戻って来ているらしい。
依頼の報告をした時にそう教えてくれたアンジュさんは、わたしの曖昧な笑顔に気付いているのかいないのかわからないけれど、あなたを探していたみたいだから行ってあげてと、わたしをホールから追い出した。
正直に言うと、長期の依頼で疲れているのと一方的にアスベルさんに顔を合わせづらいので、このまま部屋に帰ってしまおうとしていた。

「ナマエ!何だ、依頼から帰ってたのか」
「ア、アスベルさん…。ええと…ついさっき…」

部屋に行く前に、ロックスさんにサンドイッチでも貰おうと食堂に行ったのが間違いだった。
サンドイッチの入った紙袋を手にそそくさと部屋に戻ろうとしていたところ、アンジュからナマエが帰って来てるって聞いたんだ、と本当にわたしを探していたらしいアスベルさんに見つかってしまった。

「確かライマ国で、会議の立会人をしてきたんだよな。お疲れ様、新しいエネルギー資源の開発はどうなりそうだ?」
「各国の研究者達を集めて、開発を始めることで合意しました。研究の指揮はニアタに取ってもらうって、ジェイドさんが言ってましたよ」
「そうか、やっと進展したんだな」

アスベルさんが安心したように胸を撫で下ろす。
星晶に代わる代替エネルギーの開発は、ルミナシアとジルディアが共存の道を選んでからすぐ始められたことだったが、なかなか各国の意見が揃わず難航していた。
そこで、一応はディセンダーであるわたしが、会議の立会人として呼ばれたのだ。そのため、ディセンダーの正装としてニアタに勧められたようにレディアントを着て会議に出席した。もう二度と着るまいと思っていた服だけれど、ディセンダーの正装だと思えば仕方ない。着替えるのが面倒でそのまま船に帰って来てしまったけれど。

「ありがとう、ナマエ。ナマエのおかげだ、本当にお疲れ様」
「そんな…。わたしなんて会議の真ん中に立たされてるのに何もわからなくて、ずっとジェイドさんに側にいてもらいましたから…全部ジェイドさんのおかげです」
「…そう、か」

アスベルさんの微笑みが引き攣った。気まずそうに視線が逸らされる。
ラントでは、あんなにも楽しそうに笑っていたのに。
喉の奥からどす黒い何かが溢れ出してくるのが、恐ろしかった。

「…それじゃ、わたし、部屋に戻ります」

アスベルさんの顔を見ないように俯いたまま、紙袋を抱きしめて横切る。
すれ違う時に彼の服から花の匂いがした。思わず走り逃げようとしたわたしの手を、アスベルさんが掴んだ。

「待ってくれ。…話が、あるんだ」

わたしが大事そうに抱えている紙袋を目にしたアスベルさんは、展望室で食べながら聞いてほしいと、ぎこちなく笑った。





ロックスさんがお疲れ様ですと労りの言葉と一緒に渡してくれたサンドイッチは、卵と厚切りのベーコンと新鮮な野菜がたくさん挟まれた、とてもおいしそうなサンドイッチだった。
夕暮れ近くの展望室は光が眩しくて、わたしを椅子に座らせながら立ったまま窓の外を眺めるアスベルさんを窺いながら、サンドイッチをかじる。
話って、何だろう。
傾きかけの太陽の光に赤茶色の髪が透け、翻った白いコートを撫でるように照らす。
緑色の瞳が、静かにサンドイッチを頬張るわたしへ向けられた。

「好きだ」

べちゃり。サンドイッチからトマトが落ちた。
あ、とわたしとアスベルさんの声が重なり、恐る恐る見下ろせば、ワインレッドのスカートに新鮮なトマトが落ちている。もちろん、じわりじわりと染みが広がっていて、わたしは卒倒した。

「あ、あああ!?どっ、どうしよう!」
「すっ、すまない!やっぱり、食べてる時に言うのはよくなかったよな」
「そ、そういう問題じゃなくて…!」

アスベルさんはコートのポケットから白いハンカチを取り出し、トマトを退けてスカートを拭く。
きれいなハンカチが汚れてしまうと慌てたわたしを制し、わたしの目の前に跪づいたアスベルさんは、丁寧に濡れたスカートを拭いてくれた。
どうすればいいのかとそわそわしていたわたしはふと、アスベルさんのハンカチの隅に刺繍がされているのに気付く。
銀糸で丁寧に縫われたそれは、どうやら彼の名前らしい。相変わらずこちらの文字は難しいなあと思っていると、スカートを拭き終わったらしいアスベルさんが、膝に置いたままのわたしの両手をそっと、静かに取る。
跪づいたアスベルさんは微かに頬を染め、わたしの手を取る両手は、震えている。

「…ごめん。俺、そういう気の利いた言葉とか、知らなくて。でも、本当にナマエのことが好きなんだ、…愛してる。ナマエのことを、守ってやりたいんだ」

取ったわたしの両手を、額に当てる。まるで祈るかのように、懇願するように。
それはきっと、わたしへの同情だ。居場所も家族も失ったわたしへの、同情だ。アスベルさんは、優しい人だから。
アスベルさんのハンカチを見る。きれいに名前が刺繍されたそれは、きっとシェリアさんが縫ってくれたのだろう。
一糸に、一針に、アスベルさんへ思いを篭めて。

「…ごめんなさい」

自然と口は、言葉を紡いでいた。
顔を上げたアスベルさんの目を見たくなくて、わたしは顔を逸らす。
食べかけのサンドイッチから零れたトマトは潰れてひしゃげ、見るも無惨な姿となっていた。

「わたし、…元の世界に好きな人がいて。その人のことが、今でも…忘れられなくて…」

だから、ごめんなさい。
もう一度繰り返し、懺悔するように頭を下げる。
こんなの、嘘に決まってる。でもわたしには、こう言うしかないのだ。
わたしはディセンダーだから。あなたにはシェリアさんがいるから。
世界のために生きるしかないわたしより、あなたを想って生きていた彼女がいるから。

「そんな顔して言われても、説得力ないな」

驚いて顔を上げ口を開こうとしたその隙を狙ったように、唇を塞がれる。
それはただ唇が触れるだけのものだったけれど、わたしを黙らせるには十分だった。
唇が離れる。呆然と目を見開いたままのわたしの目から零れた涙が、アスベルさんの手に落ちた。

「俺、よく鈍いって言われるけど、ナマエのその言葉が嘘だってことくらいは分かるさ」
「そ、そんな…嘘なんかじゃ……」
「ナマエ、教えてくれ。俺のことが嫌いならそれでもいい、そう言ってほしい。ナマエの、本当の気持ちを知りたいんだ」

両手を優しい強さで握るアスベルさんの大きな手を、わたしの涙が濡らしていく。
常識とか、罪悪感とか、世間体とか、そんなものに縛られずに、あなたの言葉を受け入れられたのなら。
わたしの顔を覗き込む彼の緑色の瞳は、痛ましげに細められている。違うの、そんな顔をさせたいんじゃないの。

「…っわ、わたし、ディセンダーだから…」
「そんなこと関係ない。この世界はナマエのおかげで変わったんだ。もうナマエがディセンダーとしてしなければならない使命はないだろ?」
「でも、…でも!わたしと一緒にいたら、アスベルさんがあの人達に何て言われるか…っ」

豪奢な舞台の裏で、見え透いた嘘とお世辞に塗れた人達。
ディセンダーに取り入ろうとする人。マナの恵みに預かろうとする人。世界樹を手に入れようとする人。吐き気がするほどに醜い欲望を愛想笑いに隠して、わたしの手の甲に口付ける人達。
蘇った光景に、思わずアスベルさんの手を乱暴に振りほどく。

「やっぱり駄目…!わたし、わた…っん、」

悲鳴のような否定の言葉を繰り返そうと開きかけたわたしの唇を、再びアスベルさんの唇が塞ぐ。
二回目のキスも触れるだけの、優しいキスだったけれど。啄むように触れ合う唇が、濡れたような音をして離れた。

「そんなこと、ナマエが気にする必要なんてないんだ。俺はナマエと一緒にいられるだけで幸せなんだ。ナマエがそんな声を聞かなくてもいいように、俺が守るから…」

脳裏にこびりついた醜い声はアスベルさんの優しさで遠く消えていく。
そうして最後に残ったのは、眩しく笑う彼女の姿だけ。
否定すればするほど、拒絶すればするほど、アスベルさんへの想いは募る一方で。こうして優しく抱きしめて、キスしてくれるぬくもりを知ってしまえば、後戻りなんてもう出来なかった。
三回目のキスに目を閉じれば、シェリアさんの笑顔が、消えた。

「ナマエ、」

息継ぎの合間に、促すように囁かれる。
常識とか、罪悪感とか、世間体とか、そんなものに縛られずに、あなたに言ってもいいのですか。
幸せなはずなのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。高鳴り過ぎて苦しい胸を押さえ、止まらない涙で白いコートを汚しながら、濡れた吐息と共に吐き出した。

「…すき」

花の匂いがわたしを責める。



thanks 20000&30000hit


menu

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -