尖ったヒールが床を叩く音にも慣れた頃だった。
かつてない大きな仕事の準備に忙ぐバンエルティア号は騒がしい。当事者であるわたしと言えば、ナタリアさんのレッスンを受けたりエステルさんと打ち合わせをしたりくらいしか仕事はない。
そんな中、ふと気付いたのだ。

「ヨーデルとリチャードについて?」

わたしはエステルさんのサポートとして潜入するのに、ターゲットのことを何も知らないままじゃいけない。そう思って、王族として付き合いがあるであろうルークさんに聞いてみた。
ルークさんは怪訝そうな顔をしながらも、わたしの頼みを聞いてくれた。

「見た目はエステルとは全然似てねえな。二人共金髪で、エステルとはそりゃもう仲が良かった。っつーか、すっげえエステルに過保護。同じ王様候補で、ライバルのはずなのにな」

ばりばりと音を立ててクッキーを頬張るルークさんのカップに新しいお茶を注ぎながら考える。
ガルバンゾ国は、現在も王様の座が空席となっているらしい。詳しいことはわからないが、前王様に子供がいなかったことが最たる原因だと、キールさんは言っていた。
前王様と近しい血筋のヨーデル様やリチャード様はもちろん、遠縁であるエステルさんまで担ぎ上げられ、ガルバンゾ城では骨肉の争いをしているんだと、教えられたのだけど。
何だかイメージと違うと言う顔をしたわたしに気付いたのか、ルークさんはお茶を啜る。

「ま、仲が悪いのはあいつらの後ろ盾の連中だしな。本人達はいとこ同士だし、平和なもんだよ」
「そうなんですか…」
「だからこそ、エステルはこんな依頼したんじゃねえか。自分が抜けた城の中で、ヨーデル達が元気にしてるかって」

ルークさんはそう言いながらクッキーを口に放り込んだ。これで、この話は終わりだと言うことだろう。
ガルバンゾ国の事情も、渦巻く骨肉の争いも、わたしにはわからないけれど。きっと優しい彼女は純粋に、いとこ達のことを想っているのだろう。
せめて、遠目でも会うことが叶いますように。
小さく祈り、話を聞いている内にすっかり温くなってしまった紅茶に口をつけた。クッキーを食べようか、でもナタリアさんに間食は控えるように言われているし。悶々と考えていると、ふと、ルークさんがわざとらしい咳ばらいをした。

「あー…、そ、それで。お前、ダンスのレッスンはどうなんだよ」
「え、」
「どうせお前のことだから、相手役したアッシュの野郎の足踏んだりしたんじゃねえの?」
「…舞踏会だからって、必ずしも踊らなきゃいけないわけじゃない、と、アッシュさんが言ってました」
「………そんなに酷えのか?」
「…察してください…」

ナタリアさんの厳しい声に言われるがまま、喋り方から挨拶の仕方に歩き方、入場や退場の作法に食事の作法に話の作法。全てをこの頭の中に叩き込んだつもりのわたしだが、どうしても、ダンスだけは出来なかった。
元々、舞踏会なんてとうの昔に絶滅した世界から来た人間なのだ。舞踏会に出席する、ならまだしも、踊れと言うのは不可能である。と言うか、勘弁してほしい。
さめざめとうなだれるわたしを、ルークさんがどんな表情で見ていたのかはわからない。けれど、急に握られた手は、とても熱かった。

「踊るぞ」
「は?」
「いいから、ほら、立てっつーの!」
「えっ、はあ!?」

ルークさんに強引に促されるまま立ち上がり、そのまま腕を引っ張られ部屋の中央に踊り出る。
混乱するわたしの手を自分の肩と腕に置き、彼の手はわたしの手を取り腰に回った。
緊張と羞恥で脳が沸騰する音がして、悲鳴を上げる。

「待って待って待って!わたし、ステップも何も覚えてない…!」
「俺がリードしてやるからそんなもん必要ねえって。足を踏まないようにだけ気をつけろよ!」
「む、無理です!」

音楽や手拍子もないままに、ルークさんはわたしの腰を抱いて踊り出す。
必死に足元を見るわたしに構わず、ルークさんに手を引かれ、腰を抱かれたまま、緩やかにターンする。我ながらあまりに自然にターンが出来たことに驚き顔を上げれば、ふと、ルークさんと目が合った。
意外だったのは、彼のリードが丁寧で優しかったこと。目を丸くしたわたしに、彼は年相応の青年らしい、楽しげな笑顔を浮かべた。





「か、壁の花になってようが依頼には何の支障もないしな」

結果として言えば、足は踏まなかったけど散々なものだった。
すっかり意気消沈してソファーに沈むわたしに、ルークさんは哀れむようなフォローをくれた。
わたしはこんなにも疲れているのに、さすがと言うか何と言うか、彼は息すら乱していない。

「ま、まあ、お前みたいな女を誘う物好きな奴なんて早々いねえと思うけど、もしも、万が一誘われたりしたら、ダンスが下手だとか婚約者がいるだとか言って断れよ!」
「そ、そうします…」

今回足を踏まずに済んだのは、一重にルークさんのリードのおかげだ。
ルークさんの言う通り、まあわたしみたいな奴を誘う物好きもいないだろう。大人しく壁の花をしつつ、エステルさんを見守ればいい。
そう結論を終えて顔を上げれば、微かに頬を赤くしたルークさんがふん、と鼻を鳴らした。

「今回は壁の花で構わねえが、ライマ国の舞踏会じゃそうはいかねえからな!」
「……………はい?」
「あ?何だよ」
「や、ええと…何か今、ライマ国の舞踏会がどうのって…」
「ナタリアから聞いてねえのか?国のゴタゴタが収集ついたら、ナマエをライマ国の舞踏会に招待してやるって意気込んでたぜ」
「き、聞いてませんよそんなの!」

悪夢だ、悪夢再来だ。
ナタリアさん的には好意百パーセントなんだろうけど、これぞ正しく有難迷惑と言うものである。舞踏会なんて後にも先にもこれっきりだと自分に言い聞かせながら、頑張って耐えていたのに。

「ほら、そうと決まればさっさと練習すんぞ!」
「ええええ勘弁してくださいよわたし行きませんから!」
「はあ!?お前、ガルバンゾの舞踏会には行く癖に、ライマの舞踏会には来れねえってのか!?」
「依頼だから行くんであってわたしの意志じゃないです!」
「なら依頼してやるよ!もちろん、お前を指名してな!」
「や、やめて!」

ルークさんはひたすらに楽しそうだった。

「その時はまた、俺がリードしてやるからな」

そう言ってまた、笑顔を見せてくれたのは嬉しかったけど、まあ、そんな問題じゃないのである。

舞踏会まで、あと少し。


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