「本当のことを言うと、ナマエさんやエステリーゼが舞踏会に潜入していることは最初から知っていたんだ」
「へ?」
「…と言うよりも、先にフレンへ依頼をしたのは僕達の方が先かもしれないな。僕達がバンエルティア号へ赴くことは出来ないし、それなら一度だけで構わないから、エステリーゼを本国へ連れ戻してくれないか…と」
「…は?」
「彼女のことが心配だったんです。フレンからの手紙ではアドリビトムの皆さんとも仲良くやっているようですし、ちゃんと仕事もこなしていると書かれていましたが…どうしても一目、エステリーゼの元気な姿を確認したくて。結果的にはあなた方を始めとしてアドリビトムの皆さんを騙していたような形になってしまい、本当にすみませんでした」
「……え、えっと…?」

恐らく今までにないほどの間抜け面をしているであろうわたしは、優雅にティーカップを傾けるリチャード殿下と、眉を下げて微笑むヨーデル殿下をそれぞれ見比べた。こうして見ると改めて似ていない二人である。昼下がりのテラスに不自然な沈黙が流れ、わたしは遠くから聞こえる愛らしい笑い声――心なしか聞き慣れているような気がする――に耳を傾けながら、そっと目の前に置かれたティーカップへ手を伸ばした。ゆらりと琥珀色をした液体が手の中で揺れる。その香りを胸いっぱいに吸い込み、一口だけ紅茶を飲む。おいしかった。何かもう、それ以外の言葉が思い付かないくらいに、おいしかった。

「ナマエさん、良ければこちらのチョコレートもどうぞ。女性の間で人気だと言うパティスリーの一品なんです。ナマエさんのために用意したんですよ」
「わ、わざわざすみません…。……あ、おいしい」
「それは良かった。ああ、こちらのブラウニーもおすすめです」

和やかなティータイムだった。白いテーブルクロスのかけられたテーブルを囲むのが一国の王子様方ではなく、例えばエステルさんとかユーリさんとか、気の置けない仲間であったのなら胸を張ってそう言うことが出来ただろうに。いや、ユーリさんはともかくエステルさんは一国のお姫様だけども。

「……その、つまりは…最初から仕組まれていたってことですか?アレクセイさんの協力も?何もかも?」
「そうですね…。そう言うことになるんでしょうか、リチャード」

そう問いかけられて、リチャード殿下はティーカップをソーサーへ置いた。その一連の動作に物音ひとつ立てることなく、どこまでも洗練されたその人は少しだけ考えるように目を細め、その指先で己の米神を撫でた。

「気を悪くしたのなら申し訳ない。もちろん、僕達もウリズン帝国の刺客が潜り込んでいることは知っていた。しかし幸運なことにエステリーゼは変装している。恐らく刺客は僕達を狙って来るだろう…だからこそ君達を危険に晒すことは絶対にないと思って、君達を招いたんだが…」
「まさか、ディセンダーがいるだなんて思いませんでしたね」
「本当にすみませんでした!」

とどのつまりは――ディセンダーであるわたしと、わたしがディセンダーだと知るサレのせいで、舞踏会はあんな惨状になってしまったようだ。どうやらわたしと言う存在が全てを狂わせてしまったらしい。本当にこれに関しては頭を下げるほかなく、わたしはテーブルに額をぶつける寸前まで腰を折って謝罪した。

「そう謝らないでくれ。結果的に君達を危険に晒してしまったのは完全にこちらの不手際だ。刺客の捕縛も君達がやったようなものだし、何から何まで本当にすまなかった。謝るのはこちらの方だよ」
「い、いえ、そんな…!」
「その上――癒えたとは言え、女性に深手を負わせてしまった。本当に…すまなかった」

悔やむような彼の声に、そっと、窺うように顔を上げる。リチャード殿下の瞳は痛ましく細められ、わたしの腕へ向けられていた。
――サレによって負わされた腕の怪我は思いのほか深かったが、ガルバンゾ国の誇る治癒術師の手によって痕も残ることなくきれいに治癒術を施された。だから気にする必要はないのだと、わたしはリチャード殿下へ微笑んでみせる。

「サレがわたしを狙ったのは、わたしがわたしだからです。誰のせいでもありません。わたしだってこんなでもギルドの人間ですし、荒っぽいことには慣れています。依頼に行けば怪我ばっかりですよ。…だから、リチャード殿下も謝らないでください」

頬に影を落とすほど長い睫毛が震え、リチャード殿下はゆっくりと、その唇を綻ばせた。

「サレについてだが、正式にウリズン帝国へ抗議を申し立てている。あの国のことだ…どうせ聞く耳なんて持ってはくれないだろうが、まあ、しないよりましだろう」
「そうですか…」
「…今はまだ、我が国の政情や他国との関係も鑑みて、これ以上強い姿勢には出られない。しかし、いつか――いずれ必ず、彼には全ての行いに責任を取らせてみせる」

そう言って、リチャード殿下はちらりとヨーデル殿下に視線を移した。まるで応えるように頷き返したヨーデル殿下は、一瞬だけ窺い見えたその凛とした横顔をすぐに甘く和らげ、わたしに微笑みかける。

「もちろん、ナマエさんの怪我も含めて、ですね」
「あ、…ありがとうございます」

果たしてここはお礼を言うべき場面だったのだろうか。わたしの疑問に答えてくれる人は、残念なことにこの場には誰ひとりとしていなかった。
わたしは悩みながらもう一度チョコレートに手を伸ばして口の中に放り込む。チョコレートの控えめな甘さが口の中に溶けて消えて、わたしはあまりのおいしさにほっこりとしながらいそいそとブラウニーにも手を伸ばし、一口かじってみる。今度はビターチョコレートのしっとりとした苦さが、仄かな甘みと共に舌を震わせた。本当においしい。もちろん、ロックスさんの作ってくれる三時のおやつには負けるだろうが。

「ああ、ところでナマエさん、フレンから聞きましたよ」
「…え?」

何故だろう。フレンさんの名前が出されたのに、ヨーデル殿下がどこかエステルさんを彷彿とさせる笑顔を浮かべているのに、何となく嫌な予感がする。そして、それは見事に的中した。

「昨晩の舞踏会のために、ライマ国のナタリア姫からダンスを教わっていたとか」

何を喋っちゃってるんだあの人!と、ぱっと思い浮かんだ王子様の如く輝かんばかりの笑顔を浮かべるフレンさんに怒鳴り付けたかった。口の中のブラウニーを吹き出さないよう必死になっているわたしへ、リチャード殿下が目を瞬かせてみせる。

「そうだったのかい?すまなかったね、結局は一曲も踊らずに終わってしまっただろう」
「い、いえ!全然大丈夫です!た、確かに教わりはしましたが、ルークさんやアッシュさんの言う通り、躍るつもりは元から…!」
「そんな、勿体ないですよ。――どうでしょう」

そこでヨーデル殿下は一口だけ、香りを楽しむように瞼を閉じて紅茶を飲んだ。そして物音ひとつ立てずにティーカップを置くと、おもむろに椅子を引いて立ち上がりわたしへと歩み寄って――降り注ぐ陽の光をまるでシャンデリアのように一身に背負いながら――甘い微笑みでしなやかに一礼をして、その手を差し出した。

「僕と一曲、踊っていただけますか?」

石の如く固まったわたしの耳に、どこか面白がるような笑みをこぼしたリチャード殿下が金糸のような美しい髪をかき上げる些細な音が、聞こえた。

「ヨーデル、抜け駆けは感心しないな」
「おや。リチャードもナマエさんと踊りたいんですか?」
「ナタリア姫からの指導を受けてまで舞踏会を楽しみにしてくれていたのに、あんなことになってしまったのは僕の責任だ。一曲も踊らずでギルドへお帰しするのも失礼だろう。それにヨーデル、君はダンスが苦手だったと思うんだが」
「確かに剣もダンスも不得手です。けれど、ナマエさんも得意ではないと言いますし…ここは、」

そこでふと、ヨーデル殿下は言葉を止めた。遠くから聞こえていた笑い声が悲鳴に変わる。何事だと驚き飛び上がって振り返ろうとしたわたしの両手を、それぞれ苦笑を浮かべた王子様が取って、そして――。

「ちょーっとお遊びが過ぎるんじゃねえかな、王子様方」

――唇が触れる寸前、そんな声と共におもむろに視界が揺れて体が宙に浮いた。唐突に訪れた浮遊感に見開いたわたしの目に飛び込んだ見慣れた黒髪が、昼下がりの眩しい太陽の光を一身に受けてまるで金色に輝いているような、そんな錯覚を見た。

「ユーリさん!?」

って言うか、え、何でお姫様抱っこ。
ユーリさんの腕の中で借りてきた猫のように、はたまた石のように微動だにすることの出来ないわたしへ向けて、リチャード殿下はわざとらしく肩を竦めてみせた。

「どうやらお茶会はここまでのようだ。ナマエさん、お付き合いありがとう」
「え、ええと…こ、こちらこそ……?」
「実はまた来月に舞踏会を開く予定なんです。招待状を送りますので、今度こそ是非ナマエさんと踊らせてくださいね」
「うちのディセンダーは忙しいんだ、次なんてねえよ。招待状なんざ送り返してやる」

ひとしきり見えない火花を散らしたあと、ユーリさんは舌打ちと共にくるりと踵を返す。そして汚れひとつないバルコニーの真白い手すりに足をかけ――身を乗り出した。

「ずらかるぞ!」
「は?ちょ、まっ、…いやあああ!?」

先ほど抱き上げられた時とは違う圧倒的な浮遊感。悲鳴を上げながら無我夢中でユーリさんにしがみつき、瞬く間に近付いて来る地面が恐ろしくてきつく目をつむれば、一瞬だけ息が詰まるような衝撃を受けたあとすぐにユーリさんは走り出した。わたしは呆けるしかない。嘘でしょ、人ひとり抱えて飛び降りたって言うのに。
ユーリさんが駆け寄った先には、やはりと言うか何と言うか未だ変装を解いていないエステルさんとクロエさんがいる。少女騎士はきつく眉を寄せて、誰もが遠巻きに眺める中、わたしを抱えるユーリさんへ詰め寄った。

「ローウェル!お前、ナマエを抱えて飛び降りるだんて、無茶にもほどが…!」
「小言はあとで聞かせてくれよ。そんなことより、心配性のアンジュが迎えに来てるそうだ――バンエルティア号に帰ろうぜ」
「はいっ!クロエ、ナマエ、船へ帰りましょう!」
「全く…船に帰ったら覚えておけ!」
「いや、船に帰るのはいいんですけど、えっ、わ、わたしこのまま…!?」

――遠くから、ディノイア家のご令嬢が浚われたぞー!と言う声が聞こえる。
ユーリさんはあからさまにうんざりと言った顔をしていたが、隣を走るエステルさんは楽しそうに笑っていて、クロエさんは苦笑を浮かべて自業自得だと呟いた。わたしはふと遠退いていくバルコニーを見上げた。そこには一夜だけの夢を見させてくれた異世界の王子様が二人並んで佇んでいて、目が合うと笑顔で手を振ってくれた。何とか気を持ち直したわたしは手を振り返そうとしたのだが、それよりも先にユーリさんから動くな落とすぞと脅され、仕方なく身を縮めて小さく手を振る。城門には顔の見えない甲冑を脱いだフレンさんとアスベルさんが馬車と共に立っていて、手招かれるまま大慌てで馬車へ乗り込む。急いで城下町を走り抜けて行く馬車の中、もう一度だけと城を振り返ったわたしへこっそり――ウィッグを外したエステルさんが囁きかけた。

「思っていたよりも大変なことになっちゃいましたけど…ナマエ、舞踏会はどうでしたか?」

わたしは目を瞬かせて、彼女の依頼から始まった始まった一連の出来事を順に思い返してから、苦笑と共にこう返した。

「楽しかったですよ。でも、もし次があるのなら…せめて一曲くらいは踊りたいな」



end.


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