「これはこれは、ヨーデル殿下。ご機嫌麗しゅう」
「あなたに招待状を送った覚えはありませんよ、サレ」

慇懃に一礼をしたサレを制するように、すぐさま凛としたヨーデル殿下の声が薄暗い廊下に響く。サレは出鼻を挫かれたことが気に障ったのか軽く眉をひそめたが、それでも圧倒的に自分が優位な立場にあることが彼の自尊心を満たしたのだろう。身を寄せ合うわたし達に嗜虐的な笑みを見せ、悪戯にその手に携えた剣を構えた。
刀身が薄暗闇の中でも物騒に煌めき、反射的にヨーデル殿下の腕を引いて背に庇う。ナマエさん、と焦り咎めるような声が背後から聞こえてきたが、構わずに彼の体を壁へ押し付けた。ヨーデル殿下が手を引いてくれたおかげか腕の傷はそう深くもないが、血は変わらず腕を濡らして滴り落ち、借り物のドレスを赤く濡らしている。思っていたよりも痛みがないのは不幸中の幸いだろう。
向き合ったサレは幾度相対しようとも変わらずに底知れない恐怖を感じさせた。構えた剣をわたしの喉元に突き付けて、サレは嘲笑うように顔を歪める。

「久しぶりだねえ、まさか君がいるとは思わなかったよ。ディセンダーも外交活動なんかするんだ」

わたしの背後でヨーデル殿下が息を呑んだ。それを黙殺し、努めて平静なふりを装うためにわたしは恐怖を押し殺す。
時間を稼ぎたかった。前衛でもない、杖も持たず、丸腰のままのわたしが背後の彼を守りきれるはずもない。それならせめて時間を稼いで、騎士が来てくれることを祈るしかない。サレに背を向け走り出したところで、わたし達があの嵐から逃げられるはずもないのだから。

「…あなたは、どうしてここに?」
「どうしてだと思う?」

それを聞かせてほしいんだけども。わたしは心の中だけでそう思って舌打ちをする。もっと言うといつものように大袈裟なまでにノリノリでそれを語って時間を稼がせてほしかった。楽しげに首を傾げるんじゃない。
焦り故か既に会話のネタ切れを起こしかけ言葉に詰まるわたしの肩に、そっとぬくもりが添えられる。振り返る暇もなく強く肩を引かれ、気付けばわたしの方がその人の背に庇われていた。わたしはもちろん驚き、サレも目を瞬かせた。確かにその腰には剣を携えているが、ヨーデル殿下はリチャード殿下と異なり戦うことはないと聞いている。なのに、どうして。

「…ヨーデル殿下は剣が得意ではなかったと伺っていますが」

暗に自分と戦うつもりかと、サレはどこか呆れた様子でそう問うた。わたしに突き付けられていた剣の切っ先は、そのままヨーデル殿下の喉元に添えられているのだろう。背筋が震え上がるようだった。縋り付くわたしに振り返ることはなく、やっぱり柔らかさを残した彼の声で、苦笑するようにヨーデル殿下は囁いた。

「ええ、確かに剣は不得手ですが…女性ひとり守れないようでは、男としてあまりにも情けないじゃありませんか」

廊下に不自然な沈黙が落ちる。わたしとサレは揃って呆気に取られ、次いで燃え上がるように赤くなったわたしと対照的に、サレは呆れ返って物も言えないとばかりにため息を吐いた。状況を顧みずときめいてしまった自分が恥ずかしい。
どこか気まずげな雰囲気の中、遠くから複数の足音が聞こえてくる。騎士か、それとも刺客か。息を呑んで顔を上げたわたしだが、サレの背後からやって来た招待客――に扮していたウリズン帝国の刺客達に顔色を変えた。サレは後ろを振り返ることなくそれが自分の部下であることを理解したのだろう。哀れむような笑みを浮かべて、これで終わりだとばかりに語り始めた。

「リチャード殿下、そしてヨーデル殿下。お二人のどちらかにガルバンゾ国の王となられては困るんですよ。何せあなた方はあの世間知らずのお姫様と違って、とてもご聡明でいらっしゃる。正しく王となられる器だ。我が国としてはそんなお二人よりもあのお姫様に即位していただいた方が、圧倒的に都合がいい」

世間知らずのお姫様と呼ばれサレに蔑まれているのが誰かだなんて、言われずともわかってしまった。一瞬で胸に怒りと呼ばれる激情が込み上げてくるも、今この場で、この圧倒的に不利な状況でサレにそれをぶつけるほど、向こう見ずにもなれなかった。
悔しさに顔を顰めるわたしをせせら笑いながら、サレの一声によって刺客達が揃って武器を抜く。次々と現れる凶器に音を立てて血の気が引いていくようで、わたしは確かに圧倒的な絶望を感じながら、ヨーデル殿下の腕を強く握りしめた。

「我が国としては殿下方が玉座を争い共倒れしてくれることを願っていたのですが、どうやらそれも望めないようだ。それならばいっそお二人諸共…とね」
「…それが今回の襲撃に繋がったわけですか」
「その通り」

サレは笑ったが、恐らくヨーデル殿下は笑わなかっただろう。サレの剣の切っ先が怪しく煌めいて、音もなく服の上からヨーデル殿下の首元を撫で上げた。わたしは息を呑んでそっと決意を固める。一か八か、ここは暴走することを覚悟して魔術を使うか――それとも剣が振り下ろされる瞬間、ヨーデル殿下の手を引き身代わりになるか。どちらが正しい選択なのかはわからない。しかし、彼が生き残る道を、わたしは。
その瞬間だった。薄暗い廊下の向こう、騎士団の詰所があると教えてもらったその向こうから鋭く何かが投擲される。サレは素早くそれを打ち払い、わたしは一拍遅れてヨーデル殿下を引き寄せサレから距離を取った。そんなわたし達を取り押さえようと刺客達が手を伸ばすが、それよりも早くフレンさんとアスベルさんがわたし達と彼らの間に割り込んで――ユーリさんがサレへ斬りかかった。

「ユーリさん!」
「フレン、アスベル!」

ユーリさんの剣とサレの剣が拮抗する。顔を覆う甲冑を脱ぎ捨てたフレンさんとアスベルさんは、唐突に現れた騎士に判断の遅れた刺客達を次々と昏倒させていく。先ほどまでの劣勢が嘘みたいだ。わたしは呆けながらも倒れ伏した刺客の一人が持っていた杖を迷わずに奪った。どうやらバンエルティア号のショップで手に入るものからはかけ離れた粗悪品のようだが、これでも杖に変わりはない。もう役立たずじゃない――打ち震えるような歓喜が力となり、わたしは自分でも驚くほどに素早くマナを集めた。その足元に魔法陣が描かれたのは一瞬にも満たなかっただろう。躍るように靡くドレスの裾が、その名残だった。

「ストーンブラスト!」

岩の礫が数人の刺客を襲う。場所を考えれば大きな魔術を使うことが出来ず、礫が命中した刺客もぐらりとふらつくのみだったが、それでも二人の助けにはなれたらしくふらついた刺客は片っ端から沈められていった。さすがである。

「ナマエさん、ここは…僕はもう大丈夫です。彼の元へ行ってあげてください」
「ヨーデル殿下?」

そう言って殿下が視線で示したのは、鍔迫り合う二人の剣士だった。ユーリさんが負けることはないだろう。そうわかっていても、わかっていたとしても、サレの恐ろしさに彼の勝利を信じ切ることが出来ない自分がいた。しかし、わたしは何よりアレクセイさんからヨーデル殿下を依頼された身である。彼の側を離れるわけにはいかない。例えその彼に言われたとしても、だ。
そんなわたしの葛藤を、ヨーデル殿下の木漏れ日のような微笑みがそっと晴らしてくれた。

「僕なら大丈夫ですよ。我が国が誇る二人の騎士が――あなたの仲間が、駆け付けてくれましたから」

…まあ、そりゃ、バレるだろう。わたしは思わず引きつった苦笑を浮かべて、しっかりと頷いた。
刺客達を的確に鎮圧していく二人の背後をヒールを鳴らし駆け抜けて、サレと戦うユーリさんの元へ走る。ヨーデル殿下には遠く及ばないとしても、わたしだって彼らとそれなりに長く一緒にいた。彼らなら絶対に大丈夫。わたしは彼らを――仲間を信じて走った。
サレは飛び込んで来たわたしに気付いて剣を振るいながらも眉を寄せたが、対するわたしは強気な顔を装って杖を構えると、再びマナをかき集めた。もちろん先ほどの集中力は途絶えてはおらず、瞬く間にわたしに集っていくマナにサレが益々眉をひそめて、ユーリさんの剣から逃れてわたしに狙う。

「邪魔だよ!」
「させるかよ、っと!」

サレがわたしに向かって放った嵐はユーリさんの剣に斬り払われる。散っていった嵐がわたしの髪を靡かせ、ドレスの裾を揺らそうと、たじろぐことなく杖を振り上げた。

「アイシクル!」

パキン――空気が凍り付く音がする。足元から現れた鋭利な氷の塊がサレを阻み、顔をしかめて舌打ちをした彼がその剣を振り上げる。しかし、全てがもう遅かった。わたしの創った氷をその剣の柄が砕き、音を立てて崩れた氷の破片が舞うその向こうで目を丸くしたサレへ、一瞬で距離を詰めたユーリさんが大きく踏み込んだ。

「これで終いだ――牙狼撃!!」

真正面から剣と拳を受けたサレがたたらを踏む。飛び散った赤が血の色であることに疑いようがなく、何とか倒れることなくその場に留まったサレはぐっときつく剣を握りしめ、血に濡れた唇から呻き声を漏らした。ちらりと見えたフレンさんとアスベルさんは全ての刺客を倒したようで、ヨーデル殿下を守りながらもいつでもこちら加われるよう厳しい目で戦況を窺っている。しかしその必要はないだろう。戦況は圧倒的にこちらが有利であることくらい、飢えた瞳でこちらを射抜くサレにだって、わかっているはずだった。

「言っておくけどな。お前が始末しようとしたあの男、生きてるぜ」
「…っ、ふん、しぶといな…。仕留めた…と、思った…んだけど……」

気を緩めることなく息を整えたユーリさんと対するサレは、血の気の失せた唇に不敵な笑みを浮かべたまま、掠れた声でそう言い返す。

「残念だったな。ついでにそこで伸されてる連中と一緒にリチャードとヨーデルを殺すためにお前に雇われ、お前の命令でナマエに薬を盛ったことも吐きやがった。…もう言い逃れは出来ねえぞ」
「君のような犯罪者が、っ、…こ、この僕を、捕まえられるとでも……?」
「…まあな。確かに、そいつは俺の役目じゃない」

ユーリさんが投げ捨てた鞘を拾い上げて、振り返る。わたしも釣られるように振り返り、あっと声を上げた。いつの間にそこにいたのだろう。その手に剣を携え、多くの騎士達を従えて、まるで自らが光り輝くような圧倒的な存在感を纏いながら――リチャード殿下は口を開いた。

「そこの彼の言う通り、もう言い逃れは出来ない。まさかウリズン帝国がこんなに大胆な手を使うとは思わず、大分後手に回ってしまったが…これで終わりだ」
「……ぐ、…っ終わりなものか……この僕が…!」
「――何をしている!」

それはフレンさんの鋭い制止の声だった。伏せていたはずの刺客の一人が懐から取り出し床へ投げ打ったそれが、小さな爆発音を立てて破裂した途端に、白煙が押し寄せてくる。わたしは誰か――恐らくユーリさんに引き寄せられて彼の胸へ飛び込み、慌てて名前を呼べば低い声で黙ってろと返された。遠くへ消えて行く足音がサレのものであることは疑いようもなく、わたしは焦燥を込めてもう一度彼の名前を呼ぶ。ユーリさんはそれに答えることはなく、ただ低く掠れ、押し込めるような悔しげな吐息をわたしの耳に残し――煙の晴れた廊下には、血の跡だけが残されていた。


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