嵐の過ぎ去った広間は悲鳴と怒号が響いていた。
目を瞬かせて顔を上げれば、図らずしも押し倒すようにしていたヨーデル殿下が困惑した顔をしてわたしを見上げている。慌てて体を起こそうとするが思いのほかわたしも驚いていたらしく力が入らなくて、バランスを崩しかけたその時すっとたくましい腕に抱き留められた。ふわりと、香水のような匂いが鼻を掠める。そのまま掬い上げられるように体を浮かされ、瞬きをしている間にヨーデル殿下の隣へと下ろされる。色々と何が起こったのだろうか。固まるわたしを心配そうな顔をしたヨーデル殿下が覗き込んでくる。

「ナマエさん、お怪我は?」
「は、…あ、大丈夫です…。じゃなくて、ヨーデル殿下と…」

そちらの方は。そう言いながら恐る恐る見上げたその人は、風で乱れた金髪を軽く整えてから微笑んだ。騎士団の人なのだろう、軽装ではあるが甲冑を身に着けている。釣られたように彼を見上げたヨーデル殿下もほっと頬を緩ませる。

「マリク、それに先程の魔術はシュヴァーンですね。二人共ありがとうございました。おかげで僕もナマエさんも無事です」
「いえ、お二人がご無事で何よりです。…と、そちらの勇敢なお嬢様にはこちらを」

マリクさん、と呼ばれたその人が膝を折る。そっと微笑みかけられて再び胸がときめいて、差し出されたそれにあっと声を上げた。彼の手のひらの上で咲く大輪の花を模したそれは紛れもなくわたしのものだ。姉妹と言う設定だからとエステルさんと色違いで揃えた髪飾り。頭に手を伸ばしてみればやっぱりそこに髪飾りはなくて、慌ててそれを受け取った。
いそいそとそれを髪に着けようとするがなかなか上手くいかず、それを見兼ねたのかヨーデル殿下が手を伸ばし髪飾りを着けてくださった。あまりに恐れ多いことに頬を引きつらせるわたしに構わず、ヨーデル殿下はにっこりと微笑む。心の中でもう二度と髪飾りを落とすものかとひっそりと決意して下ろそうとしたわたしの手を、彼はそのままものすごく自然に握った。一瞬だけ広間の喧騒が遠退く。ヨーデル殿下は長い睫毛を伏せ、思わずこちらの胸が痛むほどに沈痛な面持ちで囁いた。

「守ってくださって本当にありがとうございます。すみません、僕が至らないばかりに…」
「そんな、気にしないでください。わたしこういうの慣れ……ええと、あー、その、とっ、とにかくヨーデル殿下がご無事で何よりです!」

ディノイア家の遠縁のご令嬢がいきなりシャンデリアが落ちてくるなんてデッドオアアライブな事態に慣れているはずがない。危ない危ない、思わず素でギルドの人間として答えてしまうところだった。と言うか別にギルドの人間としても慣れてないけども。
不思議そうな顔をしているヨーデル殿下だが、何故か握られた手を離してはもらえず、こんな事態だと言うのに遠くから嫉妬の視線が突き刺さっているようで正直に言って居心地の悪いことこの上ない。クロエさんが側にいるから大丈夫だろうが、わたしも早くエステルさんの側に行き彼女の無事を確かめたかった。こうなってしまった以上は申し訳ないが潜入作戦も中止して、せめてアレクセイさんのお屋敷か出来ればバンエルティア号へ帰還した方がいいだろう。リチャード殿下やユーリさんも言っていたじゃないか。狙われているのはきっと、――きっと。

「…サレ、」
「え?」
「ヨーデル殿下!」

わたしが顔を上げるのと、遠くから聞き慣れた声の人が駆け寄って来るのは同時だった。
甲冑で顔を隠した二人の騎士を伴ったアレクセイさんがヨーデル殿下とわたしの無事を確認して胸を撫で下ろす。ヨーデル殿下はそっとわたしの手を離し、招待客やリチャード殿下の無事を聞く。現在確認中ですが今のところ死傷者はおりません。そう告げるアレクセイさんの目配せを受け、マリクさんが一礼して走り去って行く。その背中を視界の隅に捉えながら、わたしはぐるりと広間を見渡した。そうだ、何故忘れていたのだろう。中庭で目撃した血の色、ユーリさんの声、仄暗い瞳。
恐怖で息が詰まる。しかしアレクセイさんに伝えるため声を上げようとしたその瞬間、アレクセイさんの側に控えていた二人の騎士がそれぞれ素早く身を翻し剣を抜いた。
きん、と鋭い音が鼓膜を貫く。一時だけおさまりかけていた悲鳴が再び広間を揺らして、座り込んだままのヨーデル殿下とわたしを背に庇ったアレクセイさんが唸り声を上げた。

「この嵐…サレか!」
「ヨーデル殿下、お逃げください!」
「ナマエもだ!早く!」

幾重にも襲い来る嵐の刃をその剣で斬り払う騎士の二人は、フレンさんとアスベルさんの声でそう叫ぶ。知らぬ間にヨーデル殿下を守ろうと他の騎士も集まってきていたが、嵐の刃か、今まで招待客に扮していたウリズン帝国の刺客に手一杯のようだ。失礼を承知でヨーデル殿下の腕を掴んで引き寄せる。ここには杖もないし、仮に術を使ってもコントロールは不可能だろう。それでもせめて彼を連れて逃げるくらいは、最悪の場合この尊い人の盾になるくらいは、震えているわたしにだって出来る。
アレクセイさんが振り返る。赤色の鋭い瞳がわたしを見て一瞬だけ見開かれるが、すぐにすうと細められ鋭く光る。それは紳士的に微笑んでわたし達を迎えてくれた彼の人ではなく、ガルバンゾ国騎士団長としての顔だった。

「ナマエ君、殿下と共に逃げてくれ」
「でも、エステルさんが…」
「エステリーゼ様は無事だ。今はシュヴァーンとクロエ君が側についている。だから今は殿下を、…依頼したい」

騎士団長としては断腸の思いなのだろう。絞り出すようなその言葉がわたしの中にあるアドリビトムの誇りを奮い立たせ、気付かぬ内にわたしは頷いていた。ここにはわたしが魔術を振るう杖もなく、履き慣れないヒールではあまりに動きづらい。けれど、依頼をされたからには応えなければ。わたしだって依頼を受けてここにいる、アドリビトムの一員なのだから。
素早くドレスの裾を払って立ち上がる。ヨーデル殿下も釣られるよう立ち上がって、今度はわたしが彼の手を取り辺りを見渡した。招待客は我先にと広間の出入り口に殺到している。あそこにヨーデル殿下を連れて突っ込んで行って、果たしてあの人達は退いてくださるだろうか。正直無理だと思う。
そうして立ち尽くしている間にも応戦する騎士の隙をついて刺客が襲いかかってくる。素早く腰の剣を引き抜いたアレクセイさんが立ちはだかってくれたのを確認して、ヨーデル殿下の手を引いて走り出した。脳内で先日の打ち合わせの時に教えられた緊急時の脱出ルートを思い描いて広間の隅にある小さな扉へ飛び込む。薄暗い廊下を進んでいけば、確か騎士団の詰所があって、アレクセイさんは何かあったらそこへ行けと言っていた。思うように走れないヒールがもどかしくて、それでも広間から離れ薄暗い廊下を進んで。
風の音が、背後から聞こえた。

「ナマエさん、危ない!」

ヨーデル殿下に手を引かれバランスを崩したわたしの腕を、見えない刃が斬りつける。走った痛みに悲鳴を上げかけたのを何とかこらえて、倒れかけたわたしを支えてくれたヨーデル殿下の腕の中で、靴を鳴らしながら近付いて来るその人を睨み付ける。

薄暗い廊下の中に浮かび上がる蒼白い肌。紫からは程遠いくすんだ色の髪をかき上げて、もう片方の手に細い剣を携えた異国の騎士は、ひどく楽しげに唇を吊り上げた。


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