「玉の輿です!」

無駄に目立ってしまったわたしを保護し、二人に群がる男の人達を散らしてくれたアレクセイさんは、忙しそうに騎士を引き連れて仕事と挨拶に戻ってしまった。全くもって問題ばかり起こしていて申し訳ないと思う。
そんなわけで再び、ようやく三人揃うことが出来たわけだが。エステルさんは何故か目を輝かせ、そう言ったわけである。

「た、玉の輿って…エステルさん。意味わかって使ってますか?」
「玉の輿とは、身分の高い人の乗る輿のこと。つまり、玉の輿に乗るとは女性が身分の高い人に嫁ぐことを指す。です!」

わかっていて使っているなら尚のこと質が悪い。
思わず笑顔を引きつらせたわたしに気付かず、エステルさんは興奮したように小声ながらも熱を入れた。

「リチャードが初対面の女性に、あんな風に接するのを見たのは初めてです!きっとリチャードもナマエを気に入ったに違いないです…!」
「いやいやいや。あのですね、エステルさん。あれは…」

気を付けて。
リチャード殿下の、少し掠れた低い声。そして、頬と耳の縁に触れた唇の感触。言葉を思い出すだけでよかったのに余計なものまで思い出してしまって、知らず知らずに頬が熱くなる。
そんなわたしを満足そうに眺めていたエステルさんの生暖かい視線に気付き、慌てて声を上げた。

「あっ、あれは…その…気を付けるよう言われただけです!ほら、あんなことがあったから危なっかしいとでも思われたんでしょう、きっと!」
「あのリチャードが、そうやって一人の女性を気にかけること自体が珍しいんです。はあ…やっとリチャードにも春が来たんですね…!」

うっとりと、いとこの春を喜ぶエステルさんに何を言っても無駄だった。何か本当、可愛いいとこに勘違いさせて申し訳ありません。
思わず頭を抱えたわたしの横で、同じように頭を抱えたクロエさんがため息を吐いた。

「リチャード殿下の春はともかく、ナマエに薬を盛ろうとしたあの男だ。すまない、騎士である私が側にいたのに…」
「そんな、気にしないでください。あの状況じゃ仕方ないですよ。結果としては、リチャード殿下が助けてくださいましたから」
「しかし、何だってナマエに薬を…?」

それだけは、わたしにもわからない。
エステルさんならまだしも、わたしだ。確かに異世界人なためちょっと身元は怪しいが、特に狙われる理由はないと思う。それこそ、個人的な恨みや何かだと言われてしまえばそれまでだが。
そもそも薬って何の薬だったんだろう。リチャード殿下は匂いだけで気付いたけれど。

「…でも、私も初めて見る人でした。私が国を出てから、社交界に出入りするようになった人なんでしょうか…?」

不安そうな表情で首を傾げたエステルさんに、わたしとクロエさんは視線を合わせる。彼女もアレクセイさんから聞いているはずだ。今回、この舞踏会に招待された行方不明者と身元の怪しい者。行方不明者に成り済まして、又は堂々と招待客を名乗り舞踏会に潜り込んだウリズン帝国の刺客。もしかしたら、あの男の人も。
思考に沈むわたしを横目に、クロエさんがエステルさんを促す。

「エステル、もう少しリチャード殿下に近付いたらどうだ?ほら、ちょうどアレクセイ殿とお話していらっしゃる」
「で、でも…あまり近付いては…」
「大丈夫だ、気付かれやしない。もう少し近くでお姿を見たいだろう?」
「…はい…」

エステルさんが頷く。どこか焦がれるように、懐かしむように。慈しむような目で、微笑を浮かべるリチャード殿下を眺めるその姿は、郷愁を堪えていた。
そんな彼女に聞こえないように声を殺して、クロエさんが囁く。

「一番右奥のバルコニーだ」
「え?」

突拍子もない言葉に顔を上げれば、思ったより彼女との距離が近くて身を竦める。
そんなわたしに気付かないまま、クロエさんは呆れたように微笑んだ。

「長い黒髪の、口の悪そうな男だったぞ。ケーキでも持って行ってやれば喜ぶんじゃないか?」

石のお礼にな。
クロエさんはそれだけ言い残し、エステルさんの手を取って歩き出す。
置いて行かれてしまったわたしは呆けながらも、クロエさんに言われたバルコニーを見た。
扉の奥に広がる夜のような黒髪が、風に靡いていた。





大きめのお皿一杯にケーキを盛るのは地味に恥ずかしかった。
声をかけたそうな人達に愛想笑いを浮かべ、さりげなくバルコニーに近付いてその扉を開ける。途端に吹き付けた冷たい夜風に慌てて髪飾りを押さえれば、手袋をしているせいで滑り落ちそうになったお皿を取られた。

「ユーリさん」
「危なっかしくて見てられねえな」

なるほど。彼の座るバルコニーの隅は会場からは完全な死角となっているが、こちらからは会場が見えていたらしい。
靡くドレスの裾を押さえて、バルコニーの縁に寄りかかる。フォークを渡せば、そのフォークで示された。

「もう少しこっち。…ああ、そんくらいだな。そこなら、会場からも見えないだろ」
「よくわかりますね」
「慣れてるからな」

どうやら常習犯だったらしい。
呆れながらも笑って、ケーキを食べるユーリさんを眺める。お皿にケーキを揃えている時はおいしそうだと思ったが、少し調子に乗ってたくさん盛り過ぎてしまったせいか、すっかり食欲もなくなった。そんなわたしの気も知らず、ユーリさんは次から次へとケーキを口に放り込む。

「…石、ありがとうございました」

リチャード殿下がその剣で払い落としてしまったが、会場の外から投げ込まれたと言う石は、わたしの持つグラスを狙っていた。一体誰がと思っていたけれど、この場所からならわたしと男の人もよく見えたのだろう。
躊躇いながら頭を下げたわたしを、ユーリさんは呆れたような目で見上げた。

「あれくらい気付けっての。明らかにレモネードと違うだろ」
「し、仕方なかったんです。緊張してたし、エステルさんとクロエさんは囲まれてたし…」
「だから人選ミスだって言ったんだ、ったく…」

ぶつぶつとここにはいない誰かさんに文句を言いながらも、ケーキを食べる手は止めない。器用なことだと眺めていれば、お皿一杯に盛られていたケーキはすぐになくなってしまった。
仄かに満足そうな顔のユーリさんから目を逸らして、バルコニーの外から会場を眺める。
行き交う人々、宝石に反射するシャンデリア。贅の限りを尽くした美食と美酒。ついさっきまで、わたしもあそこにいたのだ。あんな、別世界に。
ふう、とため息を吐いた瞬間、バルコニーの縁に寄りかかっていた体が手を引かれてバランスを崩す。悲鳴を上げようとした口は無骨な掌に塞がれ、ユーリさんの膝の上に座り込んだ。
口を押さえる手と、お腹に回された手。後ろから抱きしめられるような体制に、口を塞がれながらも悲鳴を上げた。

「ちょっ、な、むぐっ」
「少し黙れ、…様子がおかしい」

そう囁く声に、いつものからかうような色は見つからない。
仕方なく羞恥心を押し殺して体制のことを忘れると、口を覆っていた手が外された。そして、わたしはようやく気付く。
様子がおかしい。風が、変わったのだ。

「…おい。あれ、お前に薬盛ろうとした奴じゃねえか?」
「…遠過ぎてわかりにくいですけど、多分…」

バルコニーから一望出来る、城の庭園。舞踏会が行われている夜だからか、立派な庭園を歩く人の姿はない。何かに怯えたように振り返りながら、逃げるように走る男の人を除いて。
男の人は、そう。このバルコニーからは遠い上に明かり一つもない暗闇のせいでわかりにくいが、恐らく先程連行された男の人だ。仮に釈放されていたとしても、どうしてこんな場所に。どうして逃げ惑うように、やって来たのだろう。
息を潜めて気配を殺す。背中に触れるユーリさんの温もりが、嫌に生々しく感じた。男の人がもう一度背後を振り返り、口を開く。その、瞬間。
男の人の体から、血が吹き出した。

「っひ、」

思わず悲鳴を上げたわたしを、ユーリさんも咎めない。震える両手でお腹に回された手を縋り付くように握りしめれば、その手を握り返してくれた手と反対の手が素早く視界を覆い隠した。
遠くに見えた男の人が、唐突に体を震わせ血を吹き出した。幾重にも幾重にも、瞬きの内に見えない刃に切り刻まれたかのように。
塞がれた瞼の裏に、暗闇の中でも鮮明に見えた血の色が甦る。恐怖と嘔吐感、そして、血の色。

「や、やだ、うそ、しっ、し、死ん…」

それ以上、言葉を続けたくなかった。
がちがちと歯を鳴らすわたしを強く引き寄せ、ユーリさんが何かを押し殺したような低い声で言う。

「ナマエ、落ちつけ。まだあいつは死んでない、生きてるぞ」
「え、…う、うそ…」

大きな掌の内で、濡れた睫毛を震わせる。
ユーリさんはその手を外すことなく、寧ろきつく視界を閉ざしたまま、その手でわたしの顔を後ろに向けた。

「ナマエ、俺はあいつを確認して来る。お前はこのことをアレクセイに伝えるんだ、いいな?」
「でっ、でも!わたしが行って、治せば…!」
「ここは天下のガルバンゾ国だぜ?騎士団の詰め所には、治癒術士くらい有り余ってるさ」

それでも、と言い募るわたしの言葉は、しかし、ユーリさんが続けた言葉に遮られた。

「それよりもお前は、エステル達の側にいろ。普通に考えて、狙われてるのはあいつらか…お前だ」

一体、誰が何に狙われていると言うのだろう。
ユーリさんは視界を覆うその手でわたしの顔を振り返らせる。釣られるように体ごと彼に向き合う形になってから、その手は外れた。
呆然としたまま、庭園を振り返る勇気すらないわたしを支えてユーリさんは立ち上がる。複雑な感情の入り混じった顔でわたしの頭を撫でて、その人はバルコニーから身を踊らせた。それを、音だけで確認する。
振り返ることは、やっぱり出来なかった。


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