舞踏会で着る変装用のドレスは、アレクセイさんが事前に幾つか選んでくれた中から、エステルさんに決めてもらった。
前置きとして幾つか、と表現したが、準備された数は軽く三桁を越えていただろう。ドレスに始まり装飾品、髪飾りに靴に果ては化粧品まで。一般庶民としては、その総勢が四桁を越えていないことを祈るばかりだった。
早々にドレス選びから辞退したわたしのドレスを選んでいたエステルさんはとても楽しそうで、今更ながらに彼女が一国のお姫様であることを痛感した。

「ナマエ、着替えは終わりました?」
「はい、大丈夫ですよ」

エステルさんが選んでくれたドレス、装飾品、髪飾りと靴。支度を手伝ってくれたメイドさんの話によれば、化粧についても指示があったらしい。もうさすがとしか言いようがなかった。
扉の外から聞こえた声はエステルさんのものだ。恐らく、全てに不慣れなわたしと違って早く支度が終わったのだろう。
きい、と音を立てて開かれた扉の先。肩口で切り揃えられた艶やかな黒髪を揺らして、彼女は目を輝かせた。

「すっ、素敵です!ナマエ、可愛いです!!」
「あ、ありがとうございます…。エステルさんこそ、よくお似合いです。可愛いですよ」
「私なんかよりナマエの方がお似合いです!やっぱりお揃いのドレスにしてよかったです!」

駆け寄って手を取るエステルさんの髪は、いつもの柔らかな花の色をしていない。わたしと彼女は姉妹と言う設定なのだ。容姿はどうにも変えられないがせめて髪の色くらいは揃えようと、エステルさんはウィッグを被っている。
わたしと同じ色の髪に、同じ型の、色違いのドレス。装飾品や靴に至っても揃えたのだ、顔さえ見られなければ姉妹に見える。はず。

「このドレスの型は、年頃になった貴族の令嬢が社交界に出る時のドレスとして最もスタンダードな型なんです。私も昔、初めて社交界に出た時に着たんですよ」

楽しそうに笑いながら、淡い空色のドレスの裾を器用に畳んですぐ隣に腰を下ろす。柔らかいソファーが沈むのを感じながら、釣られるように揺れたドレスの裾に触れた。
エステルさんがわたしに選んでくれた、彼女とお揃いのドレス。仄かな桜色に、黒いレース。大輪の花を模した髪飾りも、履き慣れた靴に似たこの靴も、同じ色。

「…もうすぐ、ですね」
「はい。クロエ達が最後の打ち合わせをしていますから、それが終わり次第城に向かうそうです」
「はあ…。何だか緊張してきました…」

くすくすと、エステルさんが笑う。拗ねたように俯き、胸元に光る華奢なシルバーネックレスを握りしめた。
今更ながらに、舞踏会。そう、舞踏会だ。ふんわりと裾が広がるドレスはもちろん、舞踏会なんて耳慣れない響き過ぎる。どうしてこうなったんだろうなあ、と、遠い目で落ちていく日を眺めた。

「ナマエ」

不意に、エステルさんがわたしの名前を呼ぶ。
ネックレスを握りしめていた手を取られ、白い手袋をした手が、わたしの黒い手袋をした手を取った。

「本当に、ありがとうございます。こうしてここまで来れたのも、ナマエのおかげです」
「そんなこと…」
「ナマエが依頼を受けてくれて、…話を聞いてくれて、嬉しかったです。今夜は、よろしくお願いします」
「…こちらこそ、今夜はよろしくお願いします」

ソファーの上で頭を下げ合い、小さく笑う。
すると、軽やかなノックの音が部屋に響いた。

「ナマエ、もうそろそろ時間なんだが…。エステルもここにいるか?」
「あ、はい。準備は終わりました、クロエさん。エステルさんもここにいますよ」
「そうか、失礼する」

扉を開けて部屋に入って来たクロエさんの姿に、わたし達は思わず黄色い悲鳴を上げた。

「クロエさん、かっこいい…!」
「はい!クロエ、王子様みたいです!」
「そ、そうか?」

照れたようにはにかむクロエさんは、正に騎士。いや、エステルさんの言う通り王子様だった。
女性にしては短い髪を後ろで纏めて一つに結い、すらりと女性らしい体を包む白い騎士服は文句なしに似合っている。細やかな金糸の刺繍がされたその騎士服は気品さえ漂わせ、男装の少女騎士は唇を綻ばせた。

「二人も、とてもよく似合ってるよ。まるで本当の姉妹みたいだ」
「でしょう?姉妹と言えば、お揃いのドレスだって思ったんです!」

クロエさんに褒められて上機嫌のまま、嬉しそうにわたしの腕に抱きつくエステルさんに釣られて笑う。そんなわたし達を眺めて、クロエさんもまた笑った。





王子様のようなクロエさんにエスコートされ、屋敷を出る。
玄関先に置かれた豪奢な馬車の周りでは何人もの騎士が忙しく駆け周り、夕の終わりが近付くにつれ着々と準備が整っていくようだった。

「おや、これは愛らしい姉妹だ」

両手に花だな、と笑いながら揶揄するアレクセイさんの言葉に、クロエさんは軽やかに微笑んだ。

「はい。今夜、彼女達と言う花を守る役目を頂けたこと、身に余る光栄だと思っています」

やばい、かっこいい。
エステルさんと二人、きらきらと輝くクロエさんに見惚れる。騎士だ、王子様だ。絵本の中での存在が、今目の前に存在している。
そんなわたし達三人を楽しそうに眺めていたアレクセイさんだったが、唐突に表情を引き締めた。釣られるように慌てて気を取り直せば、タイミング良く甲冑を着た騎士二人が駆け寄って来た。

「閣下、馬車の点検が終了しました。異常はありません」
「屋敷の周りにも不審な点はありません。いつでも城へ出発可能です」
「ご苦労。フレン、アスベル、」

アレクセイさん率いる親衛隊の甲冑を身に纏った二人は、声を聞かなければわたしにはもう見分けがつかなかった。
騎士団長の声に促され、二人は顔を覆い隠す兜を外す。この屋敷に来てから、久しぶりに二人の顔を見た気がした。

「二人共、今夜はよろしくお願いします」
「そ、そんな!頭をお上げください、エステリーゼ様!」
「いいえ、二人にも私の我儘に付き合っていただいているんです。ナマエも、クロエも、フレンもアスベルも…ありがとうございます」

再び頭を下げるエステルさんに、今度はフレンさんも慌てなかった。
所在なさげに眉を下ろした表情は、どうにも年不相応に見える。畏まりながら頭を下げるフレンさんの、その黄金色の髪を焦がす夕日を見上げた。

夕が暮れ、夜が始まる。
宵闇に聳えるあの城で過ごす一夜は、果たしてどんな夜になるのだろう。そんな期待と不安を胸に、馬車に乗り込む。
そして、忘れられない一夜が始まった。


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