打ち合わせを終えたわたし達は、そのまま明日の夜の舞踏会へ向けて準備をしつつ、アレクセイさんのお屋敷に一晩お世話になった。
緊張のあまり味のわからない夕飯を終えメイドさんに案内された客室は、あまりにも広く豪奢過ぎて。着慣れないネグリジェやふかふかのベッド、丁寧に手入れをされた髪や肌に落ちつかずにそわそわしながらベッドに入ったわたしは、やっぱり眠れずにいた。
無意味な寝返りを繰り返しながら眠気が訪れるのを待っていると、不意にがたり、と音がする。
思わずベッドから跳ね起き、お姫様の部屋にあるようなビロードの天蓋を避けて部屋を覗く。カーテンが閉め切られた部屋は暗く、音の原因がわからない。恐る恐る天蓋から足を踏み出し、見えないながらに周りを見回してみる。
視界の隅で、ふわりと、カーテンが揺れた。

「…おや、失礼した」

揺れたカーテンの隙間から漏れた月明かりが、橙色をしたその人の姿を滑らかに照らした。
燻ったような濃い灰色の髪で緑色の瞳を隠し、無精髭を生やした男の人。けだるそうな瞳がわたしを映し、ふと笑う。

「ここはいつも空室だからと、つい楽をして忍び込んでしまったが…。レディが眠っていたとは知らず、とんだご無礼を」

飄々とした様子で一礼したその人に、戸惑うしかなく引き寄せた天蓋に身を隠しながら窺う。
多分、恐らくだけど、騎士の人だ。フレンさんやアレクセイさんとは違う服の色。けれど、その軽装に見える甲冑や腰に下げた剣がその理由だ。
とは言え、忍び込んだと本人が言っていた。騎士団長のお屋敷に忍び込む騎士って、どうなの。明らかに警戒した様子のわたしに気付いた彼は、騎士らしい礼を取ったまま目を細める。

「俺はシュヴァーン・オルトレイン。これでも、ガルバンゾ国騎士団首席隊長さ。閣下にご報告があって屋敷を訪ねただけで、別に疚しい用事じゃない。…最も、レディの部屋に窓からお邪魔した奴の言えるセリフじゃないだろうが」
「ああ、全くだ」
「うひゃあっ!」

突然後ろから聞こえた声に肩を震わせ振り返る。
いつの間にそこにいたのか、上品な色のガウンを纏ったアレクセイさんが大きなため息を零した。
天蓋に抱きつき忙しなく二人を見比べるわたしに気付き、アレクセイさんは申し訳なさそうに眉を寄せた。

「一応ノックはしたんだが、返事がなかったので勝手ながら入らせてもらったよ。こんな夜更けに女性の部屋に上がり込むなど、部下共々失礼をした」
「えっ、や、そんな…」
「シュヴァーン、いつまで笑っている」
「いや、うひゃあって悲鳴が可愛い過ぎて…」
「いい加減にしろ」

アレクセイさんが再び、大きくため息を吐いた。
何故か身悶えるように肩を震わせていたシュヴァーンさんは気を取り直すように咳払いをすると、次の瞬間には澄ました表情を浮かべていた。

「改めて紹介しよう。私の腹心の部下、シュヴァーンだ」
「初めまして、ギルドのお嬢さん」
「は、初めまして。ナマエ・ミョウジです」

天蓋から手を離して頭を下げる。わたしがギルドの人間であると知っていることから考えるに、今回のエステルさんの依頼のことも知っているのだろう。それにしても、何でアレクセイさんの腹心の部下とやらが、わざわざ空室だったこの部屋に忍び込んで来たのか。
疑問を隠さず彼らを見上げていると、ふと、部屋の空気が変わった。

「シュヴァーン、報告を」
「お嬢さんの前で、宜しいんですか?」
「…構わん、例の件なら彼女も関係がある」

状況についていけないわたしを置いてきぼりのまま、シュヴァーンさんが改めるように騎士の礼を取り懐から一枚の書類を取り出した。

「ご報告します。閣下のご推測通り、今回の舞踏会に招待された客を調べ上げたところ、最近行方不明と噂されている者。または元から出自の怪しい者が何人か確認されました。全員、社交界で王族に顔を覚えられるはずのない田舎貴族達です」
「…つまりは、城内部。しかも舞踏会の招待客に細工が出来る上層部に、奴らの協力者がいると言うことか」
「恐らくは」

さっきまでの飄々とした雰囲気はどこへやら、肯定の意を示して頷くシュヴァーンさんは騎士の顔をしている。
彼から書類を受け取り視線を落としたアレクセイさんの顔は、険しさを増していくばかりだ。
窓から漏れる月明かりだけが唯一の光である室内は相変わらず暗いまま。悪戯に、わたしの不安を駆り立てていく。
誰も何も言わない空間が恐ろしくて、再び滑らかな手触りのする天蓋をきつく握りしめて俯いた。
そうしていると不意に、柔らかなものが背中と肩を包み込んだ。
驚いて顔を上げれば、すぐ目の前でシュヴァーンさんが垂れ目がちの瞳を優しく細めた。

「寒いだろう、着ているといい」
「すみません、ありがとうございます…」
「ネグリジェなんて無防備な姿、我々男には目の毒だからな」

そう言って、彼はお茶目にウインクをする。呆気に取られながら、また頭を下げた。
目の毒って何だろうとは思いつつも、かけられた白いガウンに袖を通す。
よく見ればこのガウン、メイドさんにお休みになるまでどうぞって着せられたけどそわそわしながら起きてるなんて出来なくて早々に脱いで畳んでソファーの上にそっと置いて頭を下げたやつだ。着慣れないネグリジェにガウン。何だかまたそわそわしてきた。
そわそわするわたしのすぐ側で、書類に目を通し終わったアレクセイさんがそれを懐にしまう。

「就寝中にすまなかったな。話が話だから、是非ナマエ君の耳にも入れておくべきかと思ったんだが…」
「いっ、いや、眠れなかったので元から起きてました!大丈夫です!」

おや、とアレクセイさんが目を瞬かせる。

「緊張しているのかね?しかし、今日はちゃんと睡眠を取るべきだ。舞踏会は基本、夜通し開かれるものだからな」
「夜通し…ってことは、徹夜…?」

ただの女子高生であった時は、夜更かしも徹夜も余裕だったけど、今は正直自信がない。
ギルドの仕事と言うものは、要は体力勝負だ。体が資本のこの仕事で、睡眠不足は一番の敵。ルミナシアに来てからと言うもの、何とも健全な生活を送っていた。
途中で壁の花をしながら寝たりしちゃ駄目だろうかと首を捻っていると、アレクセイさんが厳しい表情を浮かべる。

「話を聞いていて分かっただろうが、どうやら今回の舞踏会に潜入しようとしているのは、君達だけではないらしい」
「はい…。その、奴らって誰なんですか…?」

貴族が行方不明とか、出自が怪しいとか、不穏な言葉ばかりが並べられていた。
開かれたままの窓から入り込んだ夜風が、ネグリジェの裾を揺らした。

「リチャード殿下とヨーデル殿下を狙った、ウリズン帝国の刺客だ。奴らは、前々からお二人の命を狙っていたからな」
「ウリズン帝国…」
「それに関してですが、閣下。国内で、サレに似た男を目撃したとの証言が」

ウリズン帝国と聞けば、何より先に思い出してしまう名前。
正に脳裏に描いていた人物の名に、厄介そうに眉を寄せたアレクセイさんと一緒にシュヴァーンさんを振り返る。

「まさか、よりにもよってサレだと?」
「あくまでも目撃証言です。…が、しかし、奴は暗殺も得意としていると聞きます。有り得ない話ではないかと」
「サレが、舞踏会に…」

夜風が体を冷やしたからか、それともその名のせいか。思わずガウンを胸元で引き寄せ身を覆い、鎧のように身に纏って恐怖から逃れようとした。
アレクセイさんはサレの名を聞きぶつぶつと独り言を零しながら何かを考えている。それを窺いながら、小さく震える息を吐いた。

「…これは、早急にフレンとアスベルにも伝えるべきだな。ナマエ君、私達はこれで失礼する」
「わ、わかりました…」
「悪戯に不安を煽るようなことになってしまってすまなかった。今日はゆっくり休んでくれ」

おやすみ。アレクセイさんはそう言って、足早に部屋を後にする。
それに続くシュヴァーンさんは不意に足を止めて振り返り、わたしに手を伸ばす。

「眠れなければ、侍女を呼んで温かい飲み物でも持って来させるといい」
「…はい…」
「…そう心細げな顔をしないでほしいな。思わず夜が明けるまで側にいたくなる」

見上げたシュヴァーンさんは柔らかく眉を下げ、伸ばした手をわたしの頭に置いた。

「おやすみ、ナマエちゃん」

静かに扉が閉まる音に、目を瞬かせる。
何だろう、シュヴァーンさんの声。どこかで聞いたことがあるような、そんな気がした。
とは言えわたしの知り合いにはあんな人はいないし不思議なものだと首を傾げながら、大きな手で撫でられた頭に触れる。
何だか、よく眠れそうな気がした。


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