リオンさんは不機嫌そうな顔で、けれど優しく、わたしとカノンノを包むようにマントを掛けてくれた。

「全く、本当にお前は面倒なことばかり起こしてくれるな」

そうぶつぶつ言いながらも、顔色が優れないだろうわたしに気遣うようにしてくれる。優しい人、だと思う。
さっきから沈黙したまま何も言わないわたしに、フレンさんは困ったような表情を浮かべた。

「ナマエ、やっぱり体調が優れないのかな?」

首を横に振る。フレンさんは益々困ったように眉を下げた。
フレンさんとリオンさんはちょうど、依頼の帰りだったらしい。その途中でわたし達を見つけて、声をかけたそうだ。

「驚かせてしまってごめんね。外は寒いだろう、早く船に戻ってくれ」
「おい、こいつはどうする」
「僕が残るよ、リオンは三人を船へ」

フレンさんはもう一度わたしに謝ると、手を差し延べてくれた。その手を取ろうと手を伸ばして、くらりと視界が揺れる。
この手が、赤く染まっているように見えた。血よりも鮮やかで、恐ろしい色に。
反射的にフレンさんの手を押し退け、カノンノから離れようと立ち上がった。ひらり、とマントが揺れて、冷たい風が体に突き刺さる。

「あの、わたし、大丈夫です」
「でも、ナマエ…」
「…ごめんなさい。船、戻ります」

フレンさんに頭を下げてから踵を返し、小走りでその場から逃げる。
カノンノがわたしを呼ぶ声がした。ひんやりとした空気を側に感じられるから、きっとセルシウスは側にいるのだろう。
梯子に手を掛けて後ろを振り返れば、やっぱり、セルシウスは涼しげな顔でそこにいる。

「…赤い煙が、わたしの中に入ってきた」

唐突なわたしの言葉に、セルシウスは目を瞬かせた。わたしが睨みつければ、ふと、瞳を伏せる。

「…やっぱり、」
「…何がやっぱりなの、知ってたの!?」
「知らなかったわ、嘘なんかじゃない。ディセンダーの力は、もっと…そう、力強いものだから。あなたの持つ力は、確かにディセンダーの力だけれど…とても、弱い」

頭を殴られたような衝撃だった。
せめて、せめてディセンダーの代わりに頑張ろうと思っていたのに。それすら、出来ないなんて。

「その原因が、それね」
「…赤い煙…。ううん、赤いドクメント…」

今ならわかる。あの黄色のドクメントはきっと、世界樹がくれたディセンダーとしての力。そしてあの赤いドクメントは、この力を使う度に吸収していた赤い煙。
どうして痛みを伴っていたのかはわからないけれど、その痛みも大分薄れてきた。それはきっと、それだけ生物変化が進んでいるからだろう。
最初に見た時から時間が経った。わたしは何度も力を使った。今のわたしのドクメントは、どうなっているのだろう。

「相反する二つのドクメントが、互いの力を相殺している。だからあなたの力は弱い。…あなたがディセンダーの力を使う度に、弱まっていく」
「ディセンダーの力ってそういうものなの?ディセンダーはそうやって、人を助けるの?」
「違う。本物のディセンダーなら、そんなことにはならないわ。こんなこと、初めて…」

セルシウスが言葉を切った。彼女らしくもなく、わたしを気遣ってくれているのだろう。
足音が聞こえる。カノンノとリオンさんがわたしを呼ぶ声も。

「…ディセンダーという存在は、弱くないの」

セルシウスは声を潜めてそう呟いた。

「だから、世界樹にあなたを守れと命じられた時は驚いたわ。…やっと、理由が分かった。あなたは酷く不安定で、脆い存在なのね」

セルシウスが恐る恐るといった動作で、手を伸ばしてきた。その冷たい指先が躊躇いがちに、わたしの頬を撫でる。ぱらぱらと、音がした。
見れば、夜風に舞う小さな欠片達。きっと、あれは、わたしの涙。
わたしなら、ラザリスから人を助けられる。それならわたしは、誰が助けてくれるのだろう。
頬を包んだ彼女の両手から、温かい何かが入ってくるのを感じた。赤い煙の時のように、嫌な感じはしない。
見上げれば、セルシウスはぎこちなく微笑んだ。

「大丈夫。私がいるわ、私が、守るから…」

頬を伝った涙は、石屑ではなかった。





「ヴェラトローパっていうのは、遥か昔、あたし達の祖先が非物質だった頃、過ごしていた場所のことよ」

空は快晴、絶好の実験日和だと、ハロルドさんは鼻歌混じりに笑う。
よくわからない機械をいじる彼女を眺めながら、ヴェラトローパについてリタさんに聞いてみた。

「人間の祖先って、非物質だったんですか?」
「そうみたいね。あたし達のご先祖様は、自分達の手でドクメントを設計し、物質となって地上に降りて来たそうよ」
「それって…」
「そう、まるでソウルアルケミーの如くね」

地球で言われる人間の祖先と、この世界の祖先は全く違う。それに驚きながら、リタさんの説明に耳を傾けた。

「そしてヴェラトローパは、現在非物質となって別の次元に隠されているらしいの。だからあの機械でヴェラトローパのドクメントの振動数を変えて、物質化させてみようってわけ」
「そんなこと出来るんですか?」
「理論上は可能よ。本来マナの塊であるセルシウスが、こうして存在しているでしょ?それと同じこと」

甲板の隅で、ただこちらを眺めているセルシウスに視線を移した。
あの夜も、アンジュさんに無断外出を叱られた時だって、彼女はいつもと同じ、涼しげな顔をしていた。あの拙い仕草も、ぎこちない微笑みも、夢だったかのように。
夢だったら、よかったのに。

「そのヴェルラトローパには、創世を見届けたヒトがいるらしいの」
「創世を見届けたって…そんな人が…?」
「セルシウスの物言いからして、人間じゃないみたいね。恐らく、もうそのヒトと接触することは叶わないでしょうけど、何かしらの手掛かりはあると思うの。ラザリスがこの世界に封じ込められていた理由とかね」

あんたもそれが知りたいんでしょ、リタさんの言葉に曖昧に頷いた。
ヴェラトローパについては初めて知った。セルシウスは、そこに自分より世界に詳しい存在がいたと言っていた。そのひとなら、わたしについてもわかるかもしれないと。例えもう存在していなくても、行ってみる価値はある、と。

「んじゃ、ちゃっちゃと始めちゃうわね」

ハロルドさんが機械をいじり、スイッチを押す。
機械の真上に取り付けられた球体が震え、空気が振動するような感じがした。
それが何回か繰り返される。けれど、何も起きなかった。

「何も起きないわねえ。触媒が足りなかったかしら」

ハロルドさんがそう、空を見上げて首を傾げた時だった。

「わああああ!」
「きゃあああああ!」
「うおおおお!?」

重なる三つの悲鳴と同時に、何かが叩き付けられるような衝撃が船を襲った。思わずたたらを踏んだわたしだったが、さすがに、彼女達はクールだった。

「今の音、なぁに?」
「さあ?」
「ディセンダー、無事のようね」
「わ、わたしは大丈夫、っていうか、今の…?」
「ハロルド、そんなことより、その装置はまだ手を加えないといけないんじゃないの?」
「やっぱ、もうちょっと改良が必要ね。じゃあ、撤収撤収〜」
「えええ!?」

ハロルドさんは機械をがらがらと押しながら、そのまま甲板を後にした。わたしは呆然とその後ろ姿を見送る。
いや、今の音、確実に上の展望室辺りから聞こえたよね。

「セルシウス、何の音だと思う?」
「何かが落ちてきた音に聞こえたわ」
「うん、わたしも」

しかも悲鳴と一緒に。
にわかに船内が騒がしくなり始めた。やっぱり展望室に何か、それこそ、人とかが、落ちて来たのだろう。
ただ展望室を見上げるわたしに釣られたように、セルシウスも展望室を見上げた。こういうところは、可愛いと思う。
そんなわたし達を呆れたように眺めていたリタさんが、ため息混じりの声で言う。

「あんた達、何か仲良くなったわね」
「え?」
「少し前までは、お世辞にも仲が良いって雰囲気じゃなかったけど。何かあったの?」
「そ、そうですか?別に何も…」

曖昧に笑うわたしに、リタさんはつんとそっぽを向いた。何だろう、今日のリタさんは機嫌が悪いのだろうか。その割にはそわそわと、わたしの様子を窺っているのに。

「ディセンダー、そんなに気になるのなら様子を見てきてはどう?」
「…ん、うーん。そう、しよっかな…」

リタさんは相変わらずそわそわしたままだし、ここに用はないし。
ちらりと彼女を窺えば、何だか慌てたような様子だ。何だろう、つい最近も、こんなことがあった気がする。

「あの、リタさん。どうかしましたか?」
「えっ、…な、何でもないわ」
「そうですか?…そういえば、前に研究室で話そうとしていたことは…」
「あ、あれは…その…」

リタさんはちらちらと、セルシウスを窺い見ている。確かあの時も、ハロルドさんが来たから話すのを止めたのだ。もしかしたら人に聞かれたくない話なのかもしれない。
ふと、ホールに続く甲板の扉が開いた。

「ナマエ、少し良いかしら。あなたに頼みたいことが出来たの」
「アンジュさん。はい、大丈夫です、けど…」

リタさんを窺えば、わざとらしく視線を逸らされた。やっぱり、人のいる前では話したくない内容らしい。
そんな彼女を気にかけつつ、アンジュさんの笑顔に嫌な予感を覚えながらも、甲板を後にした。


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