世界を救うために世界樹により生み出され、世界を救い世界樹に還る。
記憶がなく、故に不可能も恐怖も知らぬ純粋無垢な存在。
それが、ディセンダー。
「どういう、こと…?」
彼女から手渡された杖が異様に重く感じられて、手が震える。
青色の髪を風に揺らし、彼女は涼やかな表情のまま、そんなわたしに首を傾げた。
「言葉の通りよ、ディセンダー。あなたは世界樹に選ばれた救世主。だから、戦わなければならない。それだけのことよ」
それだけ、なんて、どうしてそう言えるの。
悲鳴染みた叫びが溢れそうになり、唇を噛み締めた。
混乱している。確かに、わたしは混乱していた。
精霊だと、セルシウスと名乗った彼女が何を言っているのかわからない。杖が落ちる音がした。
「…ちょっと待って、」
アンジュさんが口を開いた。
彼女も戸惑った、混乱したような顔をしていたけれど、それでも気丈に凜とした視線を向ける。
「ディセンダーとは世界樹から生み出される者であって、選ばれるというのはおかしいわ」
「そうね。けれど、彼女は現に世界樹に選ばれ、ディセンダーの力を手にしている」
「…どうして、ナマエがディセンダーの力を?」
未だ震える両手を見る。
心当たりなら大いにあった。ジョアンさん達を、暁の従者達を元の姿へと戻したあの力、あの光。
リタさん達はわたしの世界の人間が持っているものなんじゃないかと疑っていたけれど、きっと、あれが。
あれが、わたしが世界樹から与えられた、ディセンダーの力。
「ナマエは異世界の人間よ?どうしてナマエがそんな力を…どうしてナマエばっかり…!」
アンジュさんの悲痛そうな声に、はっとして顔を上げた。
きっと彼女の方が、つらい。あんなにもわたしを心配して、あんなにもわたしを守ろうとしてくれていたのに。
結局、彼女に守られることは出来ないのだろう。もうわたしには、それがわかっていた。
青い髪の彼女は、そんなアンジュさんに寄り添うわたしを見て呟く。
「どうして異世界の人間であるあなたがルミナシアにいるのか、どうしてあなたが選ばれたのか。それは、私達精霊にもわからない。ただ、」
彼女の、氷の色をした瞳がわたしに向けられた。
涼やかに細まったのは、同情からだろうか。
「あなたじゃなければ、この世界は救えない」
甲板に落とした古びた木の杖を、再び彼女が拾い上げた。
それを差し出す彼女の、曇りのない瞳を見る。
逸らされもしないその瞳に、諦めのような想いが微かに込み上げてくる。
「…何だ、この空気…」
ふと彼女の後ろを見てみれば、依頼から帰って来たらしいカイウスさんとエミルさんと、くすんだ赤色の髪と眼鏡をした男の人が、そこにいた。
わたし達の間に漂う空気に顔を引き攣らせるカイウスさんに気を取られている内に、彼女の冷たい手がわたしの手首に触れる。
その手の冷たさは、あの少女を思い出させて。
確かに彼女は人間ではないのだと、その冷たい指が握りしめたわたしの手をゆっくりと解いていくのを見て、実感した。
やっぱりこの手に、杖は重い。
「そいつがディセンダーか、セルシウス」
くすんだ赤色の髪をした男の人が、カイウスさんとエミルさんを押し退けわたしの前に立つ。
見定めるように眼鏡の奥で光る緑色の瞳が、恐ろしくて。
その瞳に見下ろされたまま、一歩後退る。
「そうよ、彼女がディセンダー」
「…随分と貧弱そうな奴だな。世界樹も血迷ったか」
「リヒター、失礼なこと言わないで。彼女は世界樹に選ばれた救世主、この世界に残された最後の希望。私達が守らなくては」
彼女の冷たい手が、わたしの肩に触れる。思わずその冷たさに震えた。
ディセンダーとか、選ばれた救世主とか、最後の希望、とか。
いつの間にか、わたしの小さく貧相な体に、重い肩書きが降り積もっていく。息が出来なくなるようだった。
「…わたし、戻ります」
彼女の冷たい手と、彼の鋭い瞳を振り払い、踵を返した。
ナマエ、とアンジュさんに名前を呼ばれ、けれど振り返ることなく甲板を飛び出す。
目を見開きわたしを見る彼らの、その表情に晒されることがこれ以上耐え切れなくて、逃げるように走り去った。
*
「ナマエ?」
ベッドの上に広げられたスケッチブックと色鉛筆は、また絵を描いていたのだろうか。部屋に飛び込んで来たわたしに驚いたカノンノは、慌てたように駆け寄って来る。
「ナマエ、どうしたの?ナマエ、ナマエ?」
ルミナシアが好き。
その想いに嘘も偽りもない。けれど、わたしはわたしなだけで。
戦わなければと思っていたのに、戦わなくていいと言われただけで、こんなにも脆く、覚悟は崩れ去っていく。
自分を満たすためだけの戦いだったのに、いつの間にかその戦いに意味が増えて、そして。
「…わたしは、ディセンダーなんかじゃない」
惨めにも否定を続けるわたしを、カノンノはただ抱きしめてくれた。
← menu →