石造りの床に打ち付けた背中が痛い。手から零れ落ちた短剣の行方は知れず、冷たい指先が拙い仕草で触れてくるのを、わたしはただ、少女に押し倒されたまま、受け入れていた。

「ナマエ、…ああ、僕のナマエ…」

病的なまでに真白い頬が淡く恍惚の色に染められている。
紫色の宝石が纏う指先が慈しむようにわたしの頬を撫で、その細い指先と同じく氷のように冷たい唇が、瞼に落ちてくる。

「ずっと探していたんだよ。ルミナシアの世界樹に大切な君を奪われてから、ずっと、ずーっと」

頭が状況についていけない。
どうして少女がわたしの名前を知っているのか、どうしてこんな愛しいものに触れるようにされるのか、そもそも、少女の言う生まれるはずだった世界とは何か。
情報が溢れ返る頭は、ただわたしの背後に倒れたままの二人が無事かどうかしか考えられない。

「もう大丈夫だよ、こんな世界で生きていく必要なんてないんだ。綺麗な君まで汚れてしまう」

少女の赤い瞳が、優しげに細められる。
震えるほど冷たい両手がわたしの両頬を包んだ。

「僕のナマエ。おいで、君の願いを、今度こそ僕が叶えてあげる」

細められた赤い瞳から、はらはらと降り落ちてくる何か。燭台に照らされて、まるで宝石のように煌めくそれに触れようと手を伸ばす。
わたしが少女の冷たい手に触れるのと、そこから光が溢れてくるのは同時だった。痛みに喘いだわたしを見て、憎々しげに少女が舌打ちした。強く握られた手から、何かが流れ込む感覚が痛みと共に駆け巡る。

「いっ、あ、ああ…!」
「大丈夫、安心して…。まだ少しだけ痛むだろうけど、もうそこまでじゃないはずだ。君の身体を蝕む毒が、浄化されるまでの辛抱だよ」
「や、いや…!」

宥めるように少女の冷たい唇が、わたしの額へと落ちてきた。冷たい指先と、わたしの冷たい指先が絡まり合う。
触れ合う体から溢れた光は、煌めく黄色から怪しい赤色へと、徐々に変化していく。混ざり合うことなく、反発し合うふたつの光。
ちかちかと瞬き歪む視界の中、赤い瞳が細まる。再び唇が落ちてくるのを眺めながら、わたしは、わたしは、ただ。

「離れて…!」

少女が顔を上げる。その視線の先には、起き上がりこちらに鋭い瞳と短剣を向ける、アンジュさんがいた。

「あ、んじゅ、さ…」

少女と触れ合う場所から溢れ出る赤い光が、アンジュさんの薄汚れて血の着いた白い服を照らしている。
少女は無表情でアンジュさんを眺め、絡めていた指先を静かに外す。それと同時に、赤い光は消えていった。
わたしを押し倒していた体を起こし、少女は静かに立ち上がる。わたしを見下ろす少女の表情は、暗闇に紛れ赤い光に慣れてしまった目ではわからない。
短剣を放り出し、震える足で縺れながらもわたしの元へ駆け寄って来たアンジュさんは、わたしを抱き寄せ少女を睨み上げた。

「…ナマエは、この世界の人間じゃないの。あなたがどうしてこの子に近付くのかはわからないけれど、これ以上、ナマエをこの世界のことに巻き込むわけには、いかないのよ…!」

アンジュさんの柔らかな胸の中、目を見開いた。
彼女がそんな、そんなことを思っていたなんて。わたしがルミナシアの人間じゃないから、地球の人間だから。
同じじゃないから、違うから、だからアンジュさんはわたしを遠ざけようとしていたのだ。

「…君が、僕を覚えていなくても」

少女がぽつりと、小さく呟いた。見上げた少女の表情は窺えない。
前髪に隠れた赤い瞳がちらりと見えたと思えば、少女は慈しむようにその瞳を細めた。
そして、そのまま空気に溶けるように、夢のように少女の姿は掻き消えていった。

頬に触れてみる。少女の瞳から降り落ちてきた、涙のかたちをした小さな石屑達は、燭台に照らされて輝いていた。
少女は泣いていたのだろうか。わたしには、もうわからなかった。

啜り泣く声が聞こえる。


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