「…まさか、あの存在が人の手に渡ってしまうなんて。しかも、暁の従者に」

アンジュさんは見たこともないくらい青ざめた顔をして、重々しいため息を吐いた。

「このままディセンダーとして信仰の対象にされて、多くの人々に接触してしまったら、大変なことになってしまう…」

容易に想像出来る残酷な未来が脳裏を過ぎる。
まるで子供のようなあの存在は、酷く虚ろだった気がする。生まれたばかりで、恐らく自分がしていることがどんなことなのか、それすらも気付かずに願いを叶え続けているのだろう。

「これから暁の従者ってやつらは、変な真似しねえように見張ってねえとな」
「…あ、そうだ。リタの研究に進展があったみたいよ。ナマエ、話を聞きに行ってくれる?」
「あっ、はい」
「俺もいいか?」
「大丈夫よ。三人共、依頼お疲れ様でした」

疲れたような、どこか気落ちしたような様子で、メルディさんは手を振って部屋に戻って行った。
アンジュさんがいるホールを後にして、ティトレイさんの後に続いて研究室へ行く。
赤い煙だったものに握られた時を思い出す。風で揺らぐような儚い姿なのに、掴まれた時はとても力強かった。
痕も何も残っていないのに、腕を摩る。





「コクヨウ玉虫のドクメントを調べてみたんだけど、ナマエと同じくこの虫本来のドクメントが侵食されてるみたいなの」

研究室の中央には、コクヨウ玉虫だったものがいる。
リタさんはそれを示しながら、わたしのドクメントのサンプルを取った板のようなものを振った。

「全く違う生物にドクメントが書き換えられてるの。ううん…生物という仕組みじゃないわね。あたし達の世界には存在し得ないドクメントよ」
「ナマエのドクメントの黄色の部分も調べてみたんだけど、アレに関してはさっぱりね。私達とそう変わりない、普通のドクメントなのよ」

世界を越えても、人間のドクメントに変わりはないらしい。ハロルドさんがそう結論付けたのを聞いて、わたしは静かに胸を撫で下ろした。
これ以上、自分の体が勝手に人間じゃないものへ変わっていったりするのは、正直耐えられない。

「あの赤い煙…だった存在は、あたし達の世界にはない異質なドクメントなのかもしれない。でもどこから現れたかはわからないし、目的が何かもわからないわ」
「目的がねえのが、一番タチ悪いんだよ…」

ティトレイさんが吐き捨てるようにそう言った。
確かにティトレイさんの言う通り、今の状況のままが一番厄介だろう。
小さくため息を吐けば、しいなさんが腕を組んで何かを呟いている。

「赤い煙が他の生物に接触することで、その生物のドクメントが変化…。そして、赤い煙自身の変容…」
「しいなさん?」
「例えば、だけどさ」

しいなさんはいきなり顔を上げた。わたし達の顔を見渡し、口を開く。

「今までの出来事から、願いを叶えてほしいという強い想いに赤い煙に反応しているらしいじゃないか」
「そうですね。だから、願いを叶えるって話になりましたし…」
「だろ?…その赤い煙って奴は意志を持ってて、相手の想いに接触する時に、相手のドクメントを覗き込むことで学習、進化している…としたら、どうだい?」

ハロルドさんが、考えるように唇に手を当てる。
初めは星晶採掘によって息絶えかけた植物、そこから虫や動物、人間と姿を変えた。それは赤い煙が願いを叶え、ドクメントを覗き込んだ相手によって左右されているのかもしれない。
しいなさんが示した仮説は、確かに納得出来た。

「なるほどね〜。赤い煙が意識体と仮定するならば、意識もドクメントのひとつ。進化ってのも、考えられなくないわね」

リタさんも、納得したように頷く。わたしと同じく頭を悩ませていたティトレイさんは、眉を寄せて口を開いた。

「赤い煙…いや、願いを叶える存在がいて、生物に影響を及ぼしているのはわかったよ。でもよ、何でそいつは相手の願いを叶える?何で相手の姿形を変えちまうんだ?目的がわかんねえよ」

それに対しての答えは、今は誰も持っていない。

「…ティトレイさん、その、ゆっくり考えましょう?まだ赤い煙、願いを叶える存在については、何もわかってないんですから」
「…そうだな。悪い」

ティトレイさんは苦笑いを浮かべて、わたしの頭を撫でた。彼なりに気持ちを落ちつけようしているのかもしれない。
何もわからない、何も出来ないこの状況を歯痒く思っているのは、みんな同じなのだから。


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