それはまるで、生まれたばかりの子供よう。
ルバーブ連山は山頂へと続く道が塞がれている。山頂は霧が濃く、危険だからだと初めてルミナシアに来た時にカノンノが言っていた。
けれどその塞いでいた扉は開けられ、わたし達は急かされるように山頂へと続く道を行った。
そして、少し空気の薄くなった中腹付近。
薄い霧に混じり赤い煙が漂っている。そしてその赤い煙を纏い、赤く輝いている小さな人影。
胸騒ぎは逸る鼓動と一緒にわたしの中を騒がしく巡る。ぼやけた輪郭の顔を上げて、虚ろに光る瞳でわたしを見た。
目が合った、気がした。
「人間…じゃ、ねえな」
「光ってるよう…!」
ティトレイさんはわたしとメルディさんをその背中で庇うように、赤い煙だったものに鋭い視線と武器を向ける。
その肩越しに、虚ろな瞳は未だわたしに向けられたまま。甲高い耳鳴りにこめかみを押さえ、わたしも赤い煙だったものに目を向けた。
「お前は何だ、何者なんだよ!」
赤い煙だったものは小さく首を傾げたように見えた。そしてティトレイさんの問い掛けに返事をするわけでもなく、覚束ない足取りで歩き出した。
一歩ずつ、少しずつ近付いて来るそれに気圧されたように、ティトレイさんが後退する。彼の広い背中が見えなくなり、わたしと赤い煙だったものをを隔てるものは、なくなった。
胸騒ぎと耳鳴りが酷い。
「ナマエ、下がれ!」
「え、…っあ!」
ティトレイさんの悲鳴のような声にはっとして顔を上げたその時には、もう、赤い煙だったものはすぐ目の前で。
赤い、赤い手が伸ばされて、わたしの手を掴む。
「い、いた…っ!」
フラッシュバックしたのは、初めて赤い煙に触れた時に感じた痛み。
けれどもその時に感じたような、耐え切れないほどの痛みじゃない。ジョアンさん達に触れた時よりも、痛みは優しい。
触れたところから何かが流れ込んでくるこの感覚だけは、相変わらず不快感が込み上げるけれど。
「ナマエから離れろ!」
「ナマエ、ナマエ!大丈夫か!?」
「う、…っは、はい」
ティトレイさんが赤い煙だったものを力任せに突き飛ばした。少しよろめいた隙を狙い、メルディさんがわたしと赤い煙だったものを引き離す。
赤い煙だったものは変わらずにわたしに手を伸ばす。赤い手が縋るように伸ばされる様は恐ろしくて、わたしを支えるメルディさんにしがみつく。
「…こ、来ないで…」
赤い手が、止まる。
虚ろな瞳が少しだけ揺らぎ、まるでわたしの言葉に傷付いたように見えて目を見開いた。
「いたぞ!ディセンダー様だ!」
背後から歓喜の声が上がる。驚いて振り向けば、二人の男の人がわたし達を通り越し、赤い煙だったものを見ていた。
「願いを叶え、全ての者を導き給うお方。ディセンダー様、やはり降臨されていたか!」
「え、…ええ!?」
歓喜極まり、今にも涙すら浮かべそうな男の人の言葉にまた驚いて赤い煙だったものを見る。
虚ろな瞳は相変わらず、鏡のようにわたしを映している。
わたしの横で、メルディさんが声を上げた。
「あの人、街でチラシ配ってた。暁の従者だな」
「た、確か、最近興ったディセンダーを信仰する宗教団体…でしたよね」
「ったく。こりゃ、ややこしい連中に出くわしたもんだな」
彼らの目にわたし達なんて映っていないだろう。赤い煙だったもの、まるで子供みたいに覚束なく虚ろな存在しか見えていない。
ティトレイさんもそれを理解しているのか、頭をかいてわたしとメルディさんに彼らから、赤い煙から離れるように促す。
「我々の救世主をお運びするぞ!」
「おっと、待てよ!こいつがディセンダーだって確証はあるのか?迂闊に接触しない方がいいぜ」
「何だ、お前達は。邪魔をするな!」
そこでやっとわたし達の存在に気付いたらしい。明らかに訝しげな視線を向けられ、ティトレイさんを仰ぎ見る。
暁の従者の人は大袈裟に両手を広げた。
「その方こそが貧しき者を救いに導き、私欲に肥え膨れ、堕落した大国の者共を成敗するために降臨した、ディセンダー様だ!」
「こいつは人だけじゃなく、生物全てに害を成す危険な存在かもしれねえんだぞ!」
「願いを叶えてもらった人がどうなったか、知らないんですか!?絶対に違います。これは、ディセンダーなんかじゃありません!」
「そういうこった。小難しい説法してねえで、とっとと帰りやがれ!」
わたしとティトレイさんの言葉は、赤い煙をディセンダーだと信じ切っている彼らには届くはずもなく。逆に神経を煽られ激昂した様子の彼らは、わたし達に叫ぶ。
「ディセンダー様を侮辱するか!」
「お前達、ディセンダー様を私欲のために独占する気だな。ならば、これでも食らえ!」
「きゃあっ!」
「バイバ!」
何かを地面に叩き付けたと思ったら、鋭い光が瞳を貫く。
思わず目を覆い、その場に座り込んだ。
「くそっ!ナマエ、メルディ!大丈夫か!?」
「だっ、大丈夫です!」
「メルディもだよう…」
光が薄れていき、それと同時に足音が離れて行くのが分かった。
瞬きをしながら痛む目をゆっくりと開けば、もう
光は完全に消え、薄い霧と静寂が戻って来る。
そんな中、ティトレイさんが声を上げた。
「ああああっ!光ってる奴がいねえ!」
「えっ」
赤い煙だったものがいた場所を振り向けば、そこに赤く光る虚ろな人影はない。
考えるまでもなく、暁の従者に連れ去られたのだろう。
最悪だ。最悪の展開だ。青ざめるわたしの前で、ティトレイさんが隠すことなく舌打ちをして乱暴に頭を掻きむしった。
「急いで戻って報告するぞ!」
「あの赤い煙が、人の手に渡るなんて…!」
「ああ、偉いことになるぜ…」
薄く漂う霧が視界を邪魔して、世界樹を見ることは出来ない。
掴まれた右手首の、不自然に赤くなったその部分は、緩く撫でればわたしの肌と馴染み、消えていった。
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