ジョアンさんとミゲルさんは、わたしが目を覚ます前に船を降りて教会に向かったらしい。
二人からの手紙だと渡された便箋には、何枚もの感謝の言葉が綴られていた。
その中にわたしの居場所を見つけられたような気がして、少し涙した。





赤い煙に関しては、嘘か真か知れない噂ばかりが飛び交っているのが現状だった。
今でも街には願いを叶える赤い煙を求める人達が多く、その危険性を確信しているのは、実際にそれを体験したわたし達だけ。
最近では星晶採掘跡地以外でも赤い煙が観測されていると聞くし、いくらわたし達が赤い煙に触れさせないように努力しても、赤い煙を求める人は限りがないのだ。
ため息を吐く。

「ナマエ、少し構わないか」
「…クラトスさん?」

カノンノのいない操舵室で膝を抱えて黄昏れていると、珍しくクラトスさんに声をかけられた。
クラトス・アウリオンさんはわたしがアドリビトムに入った頃からいる人で、最近仲間になったリカルドさんと同じく傭兵をしている。
剣も魔法も回復も扱え、寡黙で厳しいけれど頼りになる人だ。うまく魔術が使えず落ち込んだり、依頼でちょっとしたミスをした時、さりげなく声をかけてくれる人。

「お前に受けてもらいたい依頼がある」
「え?」
「ブラウニー坑道の奥にはミブナの里という精霊と縁の深い場所がある。同行者は私とハロルド、どうだろうか」
「…せ、精霊?」

確か精霊って、言葉の勉強にとキールさんに渡された絵本に書いてあった気がする。
お伽話だと思っていたのだけれども、もしかしてルミナシアでは当たり前に存在しているのだろうか。

「…精霊って、本当にいるんですか?」
「お前はどう思う」
「えっ、…えーと、いるといいなと思います…。何ていうか、素敵ですよね。わたしの世界には、そんなファンタジーな存在はいないので…」
「…そうか」

受ける気になったらアンジュに言ってくれ。
ほんの少しだけ、気のせいのように目元を緩めたクラトスさんはそれだけ言い残し、操舵室を後にする。
残されたわたしは、まだ見ぬ新たなファンタジーである精霊という存在への期待を静かに膨らませていた。

「クラトスとの話は終わったみたいだな」
「あっ、キールさん」

クラトスさんと入れ違いにキールさんが操舵室へとやって来た。
最近のキールさんはオルタ・ビレッジのことで頭を悩ませていて、どうにもわたしが近付ける感じじゃなかった。必然的に言葉を教えてもらう機会も減り、久しぶりに彼の顔を見た気がする。
精霊について聞こうと口を開いたわたしの目の前に、一枚の紙が突き出された。

「これを読んでみろ」
「え、ええと…終わり、近い…?」

さっそく授業かと思いつつ、キールさんの久しぶりの授業は嬉しかった。
紙を受け取り眺めれば、大きな木と光のようなものが描かれている。今まで教材として使っていた絵本や新聞じゃなさそうだ。
いきなりの不吉な言葉に小さく首を傾げ、続きを読む。

「今こそ…救う、世界、じゃなくて、救世主?」
「そうだ。それは救世主ディセンダーと読む」
「ディセンダー…?」
「それに関しては僕よりも神官のアンジュが詳しいだろうが、まあ良いだろう。ディセンダーとは世界が危機に瀕した時、世界樹が生み出す存在のことだ」

世界を救うために世界樹により生み出され、世界を救い世界樹に還る。
記憶がなく、故に不可能も恐怖も知らぬ純粋無垢な存在。
それが、ディセンダー。

「す、すごいですね…。ルミナシアって、本当に地球とは違うなあ…」
「チキュウにも世界樹はあるだろう。ただの伝説だ、そう驚くことじゃない」

地球ではそれらしき木を見たことがない。
ルミナシアの世界樹は、さすが世界樹と呼ばれるだけはある素晴らしさを持っている。初めて船で近付いた時には、思わず窓に張り付いたものだ。
もしかして地球では、何とか遺産とかに登録されている木がそうだったりするのかもしれない。

「でもキールさん、そのディセンダーとやらがどうかしたんですか?」
「この紙を、暁の従者と呼ばれる新興宗教団体が街で配っていたらしい」

メルディが貰って来たんだと、キールさんがため息を吐いた。
確かに未だ星晶を巡っての戦争は絶えず、搾取されるだけの生活を送る人も多い。そんな状況下では、神様に縋り付きたくもなるのかもしれない。

「今こそ救世主ディセンダーが降臨する時。ディセンダーをこの世に迎え腐敗した世界を共に打ち砕き、輝ける未来を再建しよう。この紙にはそう書かれている」
「神様じゃなくて、ディセンダー様なんですか」

わたし自身無宗教だし、仏教やらキリスト教やら日本には宗教が溢れていたからか、特に宗教には偏見がない。
世界が違えば崇拝するものも違うんだと不思議に納得して頷いていたわたしに、キールさんは厳しい目を向けた。

「こういう奴らは永遠にいるわけのないディセンダーの出現を待ち続け、結局は何もしないんだ。いいか、お前もこんなのに引っかかるなよ」

キールさんの勢いに押されて頷く。元から宗教なんかに興味はなかったけれども。
満足そうに頷いたキールさんがわたしの手から紙を取り上げる。描かれている世界樹を眺め、ディセンダーの話を思い出した。
世界を救っても、ディセンダーは世界樹へと還らなければならない。
それは酷く、寂しいことなんじゃないかと思う。

「…ところで、クラトスの依頼を受けるのか?」
「え?あ、はい。そのつもりです」
「いいか、絶対に無茶はするなよ」

眉を寄せて言ったキールさんに、曖昧に笑う。
ジョアンさんとミゲルさんの一件から、より一層医務室や研究室に拘束されている時間が増えた。ついにはアンジュさんから依頼禁止を言い渡されてしまい、何度調べても異常のないことが分かるまでは毎日沈み込んでいた。
やっと明日から依頼復帰だと意気込んでいたけれど、相変わらず赤い煙については何も分からないし、こうしてみんなには心配をかけてしまう。

わたしの気持ちとは裏腹に、操舵室に広がる空は酷く澄み渡っていた。


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