体調も回復し、アニーさんとナナリーさんからのお許しも出たので、今日から仕事開始だ。久しぶりに食堂へ行ける喜びと気まずさの両方を味わいつつホールを横切ろうとすれば、ヴェイグさんとクレアさんがいた。
慌てて隠れたわたしには気付かず、ヴェイグさんはクレアさんにヘーゼル村の人達に物資を送れなかったことを謝った。

「ヴェイグ、いい方に考えましょう。アドリビトムのみんなも協力してくれているし、まだみんなを助けられる道はあるはずだわ」

情けなさと恥ずかしさに胸が痛む。
彼女は誰かから笑顔を与えられるような、弱い人じゃない。彼女は笑っていた。





「なあ、ナマエはどうして俺達をさん付けで呼ぶんだ?」

クロワッサンをかじるわたしにそう聞いてきたのは、クラムチャウダーを飲むセネルさんだった。
久しぶりに来た食堂では手厚い歓迎を受け、しかしみんな依頼で忙しく、わたしに無理をしないようにきつく言い聞かせてから慌ただしく食堂を後にした。
食堂に残されたのは、わたしとセネルさんとシャーリィさんだけ。午後からの依頼だと言っていた二人と一緒に、久しぶりのロックスさんのご飯にありついた。

「どうしてって…それが常識だからですかね?」
「そんな常識、ここにはないぞ」

セネルさんって、意外と遠慮のない人だ。
言葉に詰まったわたしを助けようと、シャーリィさんが少し慌てながらセネルさんの肩を叩く。

「お兄ちゃん、ナマエさんの世界の常識ってことだよ」
「そうなのか?」
「はい、そうです…」

天然な兄と、しっかり者の妹。傍目からはそうとしか見れないが、しかしこれで実は血は繋がってないと言うのだから驚くしかない。
心の中でシャーリィさんに感謝しつつ、クロワッサンを再びかじる。

「でもやっぱりここにはそんな常識はないんだから、ナマエも俺達を普通に名前で呼ぶべきだ」

そう来ましたか。

「…よ、呼んでるじゃないですか」
「さん付けなんて他人行儀だろ」
「ここは年功序列や先輩後輩の概念がないので、わたしに出来る最低限の礼儀として…」
「難しいこと言ってごまかそうとしてないか?」

バレてた。
じとりと睨んでくるセネルさんの視線が痛くて、シャーリィさんに助けを求める。シャーリィさんはセネルさんとわたしを見比べ、意を決したように口を開いた。

「ナマエさん、私もそう思います」
「そ、そんな!」
「だってさん付けだと、やっぱり何か他人行儀な気がして…」
「フィリアさんとかミントさんとかもそうじゃないですか!」
「ナマエとフィリア達は違うだろ」
「あの二人は神官ですから」

わたしとあの二人のどこが違うんだ。いや、色々違うか。むしろ年齢くらいしか近いものがない。
じとりと睨むセネルさんと、期待に目を輝かせるシャーリィさんの視線を真っ正面から受け、渋々口を開く。

「…だ、だって、今更、恥ずかしいんですよ…」
「恥ずかしがるようなことじゃないだろ」
「わ、わたしの世界ではそう簡単に人を呼び捨てにしないんです!」
「カノンノさんは呼び捨てじゃないですか」
「カノンノは別です!」

恥ずかしくなって叫ぶようにそう言うと、冷めてしまった紅茶を飲み干した。そこまでこだわるような話じゃないでしょ、これ。
さすがに真っ赤になったわたしを哀れんでくれたのか、シャーリィさんが気遣うように提案してくれた。

「あの、それならこういうのはどうですか?」
「何ですか?」
「ナマエさん、初対面の人は必ず苗字で呼びますよね。それを最初からさん付けでも名前呼びにして、慣らしていくとか」
「む、無理です!」
「ああ、それはいいな」

全く正反対の反応をしたわたしとセネルさんと、大好きなお兄ちゃんの賛同を得られて嬉しそうなシャーリィさん。
慌ててもう一度無理ですと叫ぼうとしたところ、食堂の外から足音が聞こえてくる。
この声は、フィリアさんと王女様だ。

「ナマエさん、エステルさんですよ!チャンスです!」
「いやいやいや、勘弁してください!相手は王女様ですよ!?」
「本人がエステルって呼ぶように言ってるんだから大丈夫だろ」
「どうしてそれで納得しちゃうんですか!?」

日本には王様なんていなかったけど、そんな気軽に名前を呼んでいい身分じゃないことくらいわかる。確かに医務室にまでお見舞いに来てくれた本人はとても気さくで優しくて、上品で優雅な雰囲気を纏いつつも、普通の女の子と変わらない。

「だからって、そんなの本当に無理です!」
「ナマエは難しく考えすぎなんだよ」
「そうですよ。エステルさんは王女様ですけど、アドリビトムの仲間なんですから」
「あっ、」

シャーリィさんが言った予想外な事実に固まるわたしの背後で、嬉しげな声がした。
恐る恐る振り返って見れば、可愛らしく笑う王女様が食堂の入口に立っていた。その後ろにはフィリアさんがいて、二人の目はわたしに向いているような、気が、する。
助けを求めるように正面の二人を見れば、セネルさんは素知らぬ顔でスクランブルエッグを食べているし、シャーリィさんは小声で頑張ってくださいと笑顔で応援してくれた。嬉しくない。

「おはようございます、ナマエ!今日から仕事開始だって、アンジュから聞きました!」
「あ、あ、ありがとう、ございます…」
「まだ顔色が優れないみたいですけど…本当に大丈夫です?」
「いや、その、これは!あの…っ」

心配そうに顔を覗き込む王女様に、本当のことは言えない。
もう一度、二人を見る。わたしの助けを求める視線をどう解釈したのか、二人揃って頑張れとでもいうように頷いた。天然兄妹め。
腹を括り、否、意を決して、忙しない心臓に急かされるように、口を開ける。

「…お、お見舞い、ありがとう、ございました。エ、エステル、さん」

ほぼ初対面の相手を名前で呼んだことと、その相手が異世界の王女様だということが、羞恥心よりも緊張と恐怖を上回らせた。
きつく目を塞ぎ、どんな反応を返されてもいいように覚悟を決める。たったの一秒程度の時間が、わたしには永遠のように感じられた。誇張表現でも比喩でもなく。

「はい!ナマエが元気になってくれて、良かったです」
「二人共、朝食はまだですか?」
「ええ、ナマエさんを見つけてからと決めていましたので」
「フィリア、取りに行きましょう!」
「はい。それでは、少し失礼しますね」

わたしのなけなしの勇気を振り絞った王女様を名前呼びも、ご本人に軽く流されてしまった。呆気に取られてロックスさんの元に行く二人の背中を眺めるわたしに、セネルさんがからかうように声をかけた。

「だから言ったんだ」
「…そう、ですね……」
「ナマエさん、一歩前進ですね!」

果たして進みきった先には何があるのか。
朝食の乗ったプレートを手に戻って来る二人に、わたしは小さくため息をついた。


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