焼け爛れたラザリスの細い指先を握りしめる。少女の姿に戻ったラザリスはぼんやりとした瞳で虚空を見つめていたが、弱々しくわたしの手を握り返した。まるで生まれたての赤ん坊のようなその非力さが痛々しくて、ぽたりぽたりと、白い頬に涙が落ちる。

「創造は…止められないのか…。生きとし生けるもの…生きていこうという意志がある限り…」

ラザリスの爪先が赤い粒子となって空気に溶けていく。もう、時間は残されていないのだ。ラザリスもそれがわかっているかのようにゆっくりと震える手を伸ばし、輪郭を辿るような拙さで、わたしの濡れた頬を撫でて呟く。

「ナマエ…見えないんだ…。僕の世界が、見えない……」
「うん、…うん…っ」
「穏やかで…美しいヒト達…。僕の世界の民…消えて…しまう……」
「わ、わたしがいるじゃない…わたしが、まだ、ここにいるよ…!」

ラザリスが目を大きく見開く。その拍子にこぼれ落ちそうになったその手を取り、もう一度わたしの頬に寄せて、嗚咽をこぼした。
繋ぎ合った両手は、互いに火傷をしそうなほど冷たかった。

「ずっとずっと側にいるよ…これからも、ずっとずっと、ずっと…」

虚ろだった瞳に光が灯るその一瞬の美しさを、生命の息吹を感じさせた奇跡を、わたしは永遠に忘れないだろう。ラザリスはくしゃりと泣きそうに顔を歪めた。震える唇がゆっくりと綻び、眩しげにその瞳を細めて――音もなく少女は光となった。
その場には赤色のドクメントだけが残される。わたしは震える手でそれを抱きしめ、声も殺さずに泣いた。今だけは何もかもを忘れて子供のように泣きたかった。涙がまるで雨のように彼女だったものへ降り注ぎ、床を、膝を濡らしていく。
誰も、何も言わず、わたしの気が済むのを待っていてくれた。しかしそれでも涙が枯れることはなかった。わたしは絶えず涙と嗚咽をこぼしながら、いつの間にか背に寄り添ってくれていたカノンノの手をそっと握る。弾かれたように顔を上げた彼女の手は、とてもあたたかかった。

「…ナマエ、」
「ごめ、っう、ニアタ…カノンノ…もう、大丈夫…」

服の袖口で両目を拭う。頬に、まだ、あの冷たい指先の感触が残っている気がした。

「これが最後の別れではない。時間はかかるかもしれないが、きっとまた、今度こそラザリスと共に歩める未来が来るだろう」
「そ、う…かな…」
「ああ。…他でもないそなたが、あそこで、望む未来を創るのだ」

宙を滑ったニアタの小さな身体を視線だけで追う。そして、自然と顔を上げた。全てを見届け力強く瞬いている生命の光は、変わらずに頭上で輝いている。

「生命の場。あそこへ行けるのは、そなた。ディセンダーのみだ」
「生命の場…」

立ち上がろうとしたが体に力が入らず、そう言えば杖はどこだろうと首を回せば、アスベルさんがそれを拾い上げてくれていた。しかし、今はもうそれは必要ない。彼もそれがわかっているのかどこか歪に微笑んで、杖をきつく握りしめていた。きっと彼が船へ持って帰ってくれるのだろう。わたしの代わりに、きっと。
ラザリスのドクメントを両手で優しく掬い上げ、カノンノに支えられながら立ち上がる。彼女は嗚咽を堪えて乱暴に涙を拭った。そうして再び顔を上げたカノンノは全ての葛藤を飲み下したような、そうすることで割り切れない何かと決別したかのような、とても晴れやかな顔をしていた。

「行くんだね…」
「…うん」

深く、重く頷いた。まるで明けない夜が訪れたように、二人で寄り添い眠ったいつかのように、カノンノはそっとわたしを抱きしめた。花のような色の髪に頬を寄せる。わたしは彼女に迎えられ、彼女と、仲間に見送られるのだ。カノンノの肩越し、一緒に来てくれた仲間のひとりひとりを、瞼の裏に焼き付けるよう見つめた。
リオンさんは腕を組みそっぽを向いて、こちらを向いてはくれなかった。しかしスパーダさんに小突かれ渋々わたしと目を合わせると、前髪を払って、ほんの微かに唇を綻ばせた。それはお世辞にもわたしを送り出そうと言う爽やかなものではなかったが、そのどこか無理やり作ったような不敵な笑みは、やはり彼らしかった。
対するスパーダさんはリオンさんを小突いたあと深く帽子を被り直してしまい表情が窺えなかったのだが、今度はリオンさんが彼の頭を叩き無理やり顔を上げさせた。一瞬だけ、一瞬だけ泣きそうに歪んでいたその表情は、彼がもう一度帽子を被り直した時には既に消えていた。行って来いと言わんばかりに、笑顔で、スパーダさんは手を振ってくれた。
お別れの時だ。カノンノとも、彼らとも。止まりかけていたはずの涙が再び込み上げてくる。ラザリスのドクメントを胸元に引き寄せ、自由になった片腕をカノンノの背に回して小さな身体を抱きしめた。

「わたし、少しはディセンダーになれたかな。みんなに助けてもらわないと何も出来なかったけど、少しは…みんなが生きるこの世界を、守れたかな」

カノンノにだけ聞こえるようそっと囁いた言葉の答えを聞く前に、わたしはもう一度、震える唇を開いた。

「幸せだよ。わたし、幸せだったよ。あの日、あの場所で、カノンノに出会えて…この世界でカノンノに出会えて、本当によかった」

カノンノの嗚咽が聞こえる。彼女が顔を埋める首元が熱く、わたしはそのぬくもりを感じられる今が幸せだと、そう思った。
ふと目の合ったアスベルさんは、わたしの杖を握りしめたまま強い意志を込めた瞳で見つめ返してくれた。その瞳が微かに濡れているように見えたのは自惚れではないのだろう。わたしが唇をありがとうと動かせば、彼は一瞬息を詰まらせ、すぐに破顔してくれた。
そんな彼らよりも一歩遠く、全てを傍観出来る位置にいたユーリさんは、わたしと目が合うと一度だけゆっくりと瞬きをする。そうして彼はどこか苦しげに微笑んで、待ってるぜ、と唇だけで囁いてくれた。
わたしは何も考えずに頷く。わたしは、わたしは、どれくらいの時間がかかるのか分からないけれど――わたしは。

「ナマエ…ナマエ、っあのね、」
「…うん」
「ナマエの絵、まだ完成してないの。でもね、きっと今なら描けるよ。笑顔のナマエ、今ならたくさんたくさん…たくさん描けるよ。ナマエが帰って来るまでには…絶対に完成させておくから、だから、だから…っ」

もう一度だけきつく抱きしめ合って、わたしとカノンノは離れた。繋ぎ合った手にはわたしとカノンノの涙が絶え間なく落ちていく。
カノンノは雨に濡れた花が開くように、そっと、たおやかに微笑んだ。

「また…会おうね」

わたしは泣きながら頷く。

「絶対、絶対絶対絶対だよ!」

わたしは何度だって頷いた。それから涙を拭いて、きつく結んだ唇はそのままに、ゆっくりと深く頷いてみせた。カノンノはもう一度涙を拭い、わたしと、わたしの抱えるラザリスのドクメントに言い聞かせるように囁く。

「ずっと、待ってるから…」

繋いだ手を離す時が来た。わたしはそう気付きながらもそっと、最後に一度だけ、名残惜しむようにカノンノの手を強く握りしめた。

「待ってて。必ず帰って来るから、…この子と一緒に」

わたしはカノンノから目を逸らすことなく、一歩、彼女から離れる。どちらからでもなく手は解け、わたしは両手でラザリスのドクメントを抱え直した。
カノンノの隣へニアタが並ぶ。その隣にリオンさんが、スパーダさんが、アスベルさんがユーリさんが、みんなが並んでくれた。

「では、また会おう。しばしの別れだ、ディセンダー」

もう一歩、わたしは彼らから離れた。いつか聞いた優しい木々のさざめきが近付いてくる。おいで、おいでと、誰かが耳元で囁いているようだった。

「またね!」

わたしは笑った。みんなが笑って、涙を堪えて、そうして送り出してくれるのだから、笑って別れを告げた。

「カノンノ!リオン、スパーダ、アスベル――ユーリ!」

白く剥離していく意識の中で、ニアタの声だけが鮮明に響き渡った。

「よい創造を!」





わたしは漂っている。
光の奔流の中を、赤子のような少女を抱いて、微睡むように漂っている。脳裏を掠めるのは愛しい両親の顔、ふざけあう友人の声、車窓から毎日眺めていた町の風景や、黒板の隅の落書きに、お気に入りだったカフェのミルクティー。これが走馬灯と言うやつだろうか。不意に込み上げてきた行き場のない怒りや悲しみに似た激情は、しかし、腕の中で眠る少女の吐息が癒していく。わたしは力なく微笑んだ。悲しくて、寂しくて、嬉しくて、腕の中の少女の確かに生きているぬくもりがどうしようもなく愛しくて――笑った。

そして、わたしの世界は終わりを迎えた。



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